帰郷
奇妙な信号を受信した。
そのとき私はロゥーエンの衛星軌道上に設置された格納庫で、探査船のスキャナを新しい型番に交換していた。はじめ、私はそれをロゥーエンの磁気嵐が生み出した雑像だと考え、別段気にも留めなかった。しかし整備を終えて船の交信ログを確認すると、一つの映像データが受信されていることに気がついた。小さな月が浮かぶ、緑の植物群に覆われた世界の映像だ。一瞬、この場所をどこかで見たような錯覚に陥ったが、すぐにそれが気のせいだとわかった。
生物学者である私は母船からの指示を受けて生命体の調査を行っている。調査は第四周期の終わりをむかえ、私達の母船は次の星系に向けて移動を開始しようとしていた。帰還の指示が出ている。だが、受信した信号を無視できなかった。信号が送られてきたということは、発信元には知的生命体が存在するということだ。
私は船のハイパードライブに燃料を充填し、強力なヴィリィ製のシールド発生装置を積み込んだ。スーツの生命維持装置は正常に機能している。異常はない。
探査船の推進機関を起動。紫の恒星が輝くロゥーエンの宙域へ静かに滑り出る。信号が送信された座標を目的地に設定し、ハイパードライブを稼働させると、深い紫に染まる宇宙は光の帯となった。
最後に母船へ送信した生物サンプルは、ケイ素を基本構造にもつ節足動物だった。彼らは体をくねらせてロゥーエンの空を器用に泳いでいた。細長い胴体が空の色を屈折させて、鈍い赤褐色に輝いていたのを思い出す。
光から抜けた先に現れた惑星は、その生命体によく似た色をしていた。信号は間違いなくあの星から発信されたようだが、映像から想像していた世界とは違っていた。
私は惑星に針路をとる。軌道上全体を厚く覆う大小の金属片をシールドで跳ね除けながら、私は船を惑星への突入コースにのせた。大気は検知できない。宙域に存在する古びた恒星が、この惑星の大気を根こそぎ引き剥がしてしまったのだろう。
船は惑星の夜に向かって降下していく。目的の座標まではあと幾許もかからない。私はできるだけ低空を飛んだ。新たな調査地にやってきたとき、私はいつもそうすることにしていた。宇宙と同じ闇の中に、遥か彼方まで起伏のない地表が続いている。巨大な赤い恒星が左舷の地平線からゆっくりと顔を出した。照らされた赤褐色の大地に植物群は見えない。この星は枯れていた。小さな岩が点在するだけの寂しい星だ。
目的地近くの平地に船を着陸させ、私は地表に降り立った。重力が強い。踏み出した足が緩く沈む。地表の組成はほとんどが粗い鉄の砂だった。
私は信号の発信源に向けて歩き出した。しばらく歩いてみてわかったが、上空から岩のように見えた物は金属製の構造物だった。幾本もの灰色の角柱が、砂に半ば埋もれて静かに並び立っている。かつての文明の名残かもしれない。
重力に耐え、角柱と砂の大地を歩き続ける。大気のない空間には私以外に何の動きもない。目的地が近づいてくる。頭上には宇宙の暗黒の中に老いた恒星が力なく輝いていた。生命体はどこにも見えない。
私は何をしているのだろうか。
信号の発信源と思しき座標に着いた。だが、そこには角柱と砂と、他には何もなかった。私の旅は徒労に終わり、砂地の足跡と時間の抜け殻だけが残った。母船は次の星系に向けて移動を開始しようとしている。急いで帰らなければいけない。私は帰路に就く。重力が強い。ざらりとした砂に足をとられる。私は体を支えようと目の前の角柱に手をついた。
唐突に視界が球状に歪んだ。体勢を維持できずに私は砂に膝をつく。固い感触が脚部に響いた。すでに足元に砂はなく、そこには磨かれた床があった。
私は白い部屋にいた。腕部に接続している計器に目を落とす。生命維持装置は正常で、先ほどまで私がいた場所と座標の差異はない。どうやら私は角柱に触れたと同時に違う空間へ転送されたらしい。
部屋の中央を見る。生命体がいた。前触れもなく現れ、二つの茶色い虹彩でこちらを見ていた。
私は動揺したが、高揚してもいた。生命体を観察する。頭部が一つ、二本の腕、足は二本で直立している。体の構造に関していえば私とさして違いはなかった。偶然の産物か。それともこれは私の作り出した幻なのか。
体の色は黒に近い茶だが、頭部から下は布で覆われていて確認はできない。頭部には二つの吸気口と、それよりひとまわり大きな一つの穴がついている。穴がゆっくりと開く。
「信号を受信したのか。」
驚くべきことに、私は生命体の発した信号を意味のあるものとして認識することができた。偶然にしては出来過ぎている。
私は、狂ってしまったのか。
「君は正常だ。今、私と君とは電気信号を介して意思疎通をしている。これは君達の言語だ。同時に、今の我々の言語でもある。」
未知の生命体と意思の疎通ができるという事実に、安堵よりも先に不気味さを感じた。信号を発信したのはこの生命体なのか。なぜ。なんのために。何者か。疑問は尽きない。
生命体が近づいてくる。片腕を伸ばし、私にデータ媒体を差し出す。私はそれを受け取るべきか迷った。
「君は信号を辿ってここまで来た。君はこれを受け取る資格がある。」
生命体は私の手にデータ媒体を乗せた。淡く発光するそれがデバイスではなく、データそのものであると直感的に分かった。しかし、信号を辿ってきただけの単なる生物学者に、資格などという大仰な言葉は似合わない。
「君は、君達はこの星を知っている。我々が地上と肉体を捨てデータの海に漕ぎ出した一方で、君たちは外殻を得て星の海に針路をとった。私達はかつて同盟者だった。」
私はデータを手のひらに乗せたまま動けなかった。偶然に訪れたと思っていた。しかしそうではなかった。この生命体が、そしてこの星が呼んだのだ。
あるいは呼び戻したというべきか。
生命体の背景がにじみ始める。部屋の端から灰色の霧が染み出し、空間がゆっくりと蝕まれていく。
「ここは終わる。とうの昔にオフラインだった。君が来てくれてよかった。」
生命体は私の背後を指さす。そこにはいつからか、古ぼけた木製のドアがあった。なにをすべきか理解した。最後に、私が何を託されたのか知りたかった。生命体は笑った。少なくとも私にはそう見えた。
「それは、この星の、全ての生命の記録だ。」
霧が部屋全体を塗り潰していく。私はドアに向かって走った。背後で彼が霧に飲まれて消えていくのがわかった。
私の周囲には、砂と角柱の他には何もない。老いた恒星が地平の先へ落ち、空には宇宙の闇が戻ってきていた。暗い砂地には足跡が伸び、その先で探査船が私の帰りを待っている。私は歩き出す。渡されたデータはすでに私の中にインストールされている。
探査船に乗り込み、動力機関を起動する。システムは良好だ。異常はない。推進機関を起動し、惑星の重力を振り切って、赤い恒星が輝く宙域へ飛び出す。母船の座標を目的地に設定すると、最後にもう一度だけ、私は無機質の目で惑星を見た。私の、私達の遠い故郷を見た。
ハイパードライブが稼働する。
暗い宇宙は光の帯になる。
拙い作品ですが、感想をいただけると幸いです。