ハードラックダガー ─ Epitaph ─
某企画のアレです(無宣言飛び入りの上に大遅刻)
──霧の中でその“男”と出会って、戻ってきた者はいない──
ただ、ありふれた『伝説』だけが残っている。
実在しない戯言だと、笑い飛ばす者は後を絶たない。
そもそも、霧を遮断して「難攻不落」という建前をかろうじて維持している都市要塞の中にあっては、ただそこにいるだけで命の危険に晒される《霧》の向こうでのことなど、話半分にも伝わらぬ。
ただ、都市と都市とを繋ぐ交易回廊の権益を争う小競り合いが慢性化して幾年月──時には《霧》の領域へと踏み込んでまで争いが続くことも、日常茶飯事になってきた。
《霧》の中で相争うことで、かつて《霧》で犠牲になった人数をはるかに超える人々が命を失うことが日常になりつつあった、その時代に……そんな『伝説』だけが、空気も読まずに浮いた戯言として、それでもしぶとく人々の口の端に上り続ける。わけもなく、意味もなく、それでいて途切れることなく。
そして、今日も誰かが、その言葉を呟く。誰かが、その言葉を聞いて、いいようもなく恐怖する。
いつか《霧》の中からやってくるかもしれない、次の犠牲は自分かもしれない……そんな迷信めいた空想に、囚われて。
「霧の中でその“男”と出会って、戻ってきた者はいない。
悪いことは言わない……やめておいた方がいい」
「そうはいかないわ。
唯一の手がかりなんだもの、諦めるわけにはいかない。お願い、手を貸してちょうだい」
「……確かに俺もプロだ、報酬さえ支払われればそれだけの仕事はする。
だがな……奴を探す、なんてのは、とびっきりの厄ネタだぞ。俺だけじゃなく、あんたの命だって保証はできん」
「これだけのお金、伊達や酔狂で用意できたと思う? しかも女手ひとつで。
わたしも命を賭けて、ここにいるの。仕事に命を賭けられない程度の『プロ』は、お呼びじゃないわ」
「………。
そこまで言われちゃ、断るわけにもいかんな。
先程言った条件でよければ、引き受けよう──あんたを奴に、『ハードダガー』に会わせるという依頼をな」
「──ありがとう。支払いは前金で払うわ。振り込み先の指定は?」
「半額でいい。残りは後払いでもらおう……その方がゲンがいい。
前払いの仕事でそのまま消えちまった同業者は、大勢いるんでね」
「ふぅん。そういうものなの?」
…そんなやりとりが、都市の酒場の一角で交わされてから、およそ2日後。
激しく炎を噴き上げて、横倒しになったトレーラーが炎を噴き上げる、そのすぐ傍ら……頭から血を流し、全身にも傷を負って地に伏している若い娘が、かろうじて首だけを傾けて炎の様子をぼんやりと見やっていた。
おかしい、確かついさっきまで、人探しのために運び屋を雇って、トレーラーで霧のこもる荒野をひた走っていたはず。
もうすぐ情報に記されたポイント、というところで、何か大きな爆発音が響き、左右から大きな何かが飛んできて……
そうだ、
運転席にいた運び屋の彼が、
ひしゃげる車体に身を押し潰されながら、
わたしを思い切り反対方向に突き飛ばして、
いつの間にか開いていたドアから、外へ放り出され て──?
身を起こそうにも、いや、身体を動かそうにも、全身がまるで鉛を詰めたように重たくなっていて、全然言うことを聞かない。
耳もおかしくなったようで、燃え盛っているはずの炎の音もろくに聞こえない。自分の発する、ひゅーひゅーという苦しげな息の音だけが、うるさいほど頭に響く。
「…おい、だから言ったろ! 車さえ止めりゃよかったってのに、やりすぎなんだよ馬鹿が。
完全に傷モノじゃねえか、顔にケガどころかこのまま死んじまったらどうするつもりだよ」
「車輪に当てて転がす予定だったんだよ! まさか運転席に当たるなんてよ……」
「直撃して死んだのが運び屋の方だったのはせめてもだが、このままじゃこいつも『売り物』にはならねえぞ。
アジトまで運ぶにしても、それまで息があるか怪しいぜ」
「…だったらよお、このまま身ぐるみ剥いで金目のもんだけ確保しちまおうぜ。
ボスには事故で死んじまったって報告しとけば、この場で俺たちが“楽しむ”分にはバレやしねえだろ」
「またそれかよ、この節操なしめ。この前も確かそれで上物を一人ダメにしたろうが。
……とにかく血止めくらいはやっとけ、いろいろ聞き出す前に死なれちゃ台無しだ。
おーい、野郎ども! 火を止めるぞ、消化装置持ってこい!」
ダミ声のやりとりが頭上でうるさく響いたと思ったら、そのうち一つの声が遠ざかるとともに、無遠慮な男の手が乱暴に娘の身体をまさぐり始めた。どう贔屓目に取っても、治療をしようという意思は感じられない。
とはいえ、娘の意識は半ば霧に包まれたように覚束なく、下手をすると骨の何本か折れていそうな身体を不躾に触られても、不快感どころか痛みさえろくに感じない。
おそらく、このままこの野盗どもの慰みものにでもされながら死ぬのだろうと思うと、無力感と怒りが同時に胸を覆う。
せっかく全てをなげうってこんな所にまで──《霧》の中にまで『ハードダガー』を探しに来たのに、何もできないまま、ハイエナに貪られるような最期を迎えるのか、と。
『ハードダガー』──わたしの恋人を、殺した男。
都市防衛軍の主力部隊、その小隊長として出世頭だった若者。その彼が率いていた主力部隊500騎を、たった独りで──《霧》の中で、全滅させた男。
呪わしき伝説、不幸なる邂逅。死神の刃・『ハードラックダガー』。
霧の中でその“男”と出会って、戻ってきた者はいない──
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今日も、《霧》はまだ晴れない。
昨日も、襲ってくる者達を、両手に握る硬質の『それ』で、貫き続けた。
きっと明日も、貫き続けるだろう。それしかない。それだけがある。それだけの、世界。
《霧》の中をただ歩き続ける、その過程で、貫き、斬り、裂き、命を奪い。
誰でもいい。おれをこの《霧》から解き放ってくれるなら。
誰でもない。おれをこの《霧》から解き放てる者などいない。
かつてある日、誰かがおれを『ハードダガー』と呼ぶのが聞こえた。誰だ? おれに名は無い。おれをそう呼ぶのか?
ただ、おれに在るのは、この両手の“刃”だけ。『ハードダガー』? なるほど、言い得て妙か。
昨日も、今日も、明日も。
おれはただ、襲い来る者達へ、ただ『硬質』を、撃ち込み続ける。
それだけが、おれであり、おれという存在の意味──
突然、目の前に炎が現れた。
鉄の塊が転がって、燃えている。その周囲を囲む、肉の塊ども。
そいつらが、いつものようにおれを見て、悲鳴にも似た罵声を上げる。鉄の塊と化して、おれに襲い掛かる。
だが、この日は、なぜか。
炎の傍らに倒れ伏しながら、こちらをじっと見つめる女の濡れたような瞳が、奇妙におれの心を打った。
──もう、おれに心など、無いというのに。
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「な、何だあいつは!?」
「やべえぞ……『ハードダガー』だ、間違いねえ。
赤茶けてボロボロの姿、両手の“ダガー”……し、死神だ……!」
「ふざけんな!! 何が『死神』だ、ただの刃物キチガイの噂が何だってんだよ!
おい、全員で囲め。機関砲で蜂の巣にしてやりゃあ、死神だろうが何だろうが跡形も残りゃしねえぜ」
「…てめえはその女を見張ってろ。
もしかしたら人質に使えるかもしれねえし、逃げられやしねえだろうが無理に動かれて死なれちゃまずい」
「お、おうっ」
あたしの周囲の雰囲気が、さっきまでとはがらりと変貌していた。
突然この場に現れた闖入者は、その登場だけで野盗どもを一瞬にして恐怖の渦に叩き込んだ。
かろうじて虚勢を張る気力が残っていたリーダー格の野盗が、必死に仲間を叱咤して武装を構えさせる。
ああ、いけない……
せっかく会えたのに。『ハードダガー』、あなたに。
わたしの愛しい人を殺したあなたを、やっと、わたしが。
なのに、このままじゃ──
……つまるところ、わたしは。
『ハードダガー』の伝説を、甘く見ていたということなのだろう……
空気が裂ける、微かな音。
まるで空気さえその刃を回避したかのような、一閃。
野盗たちが乗り込み、機関砲やロケット砲、その他多様な武器を構える機械兵器たち──その先頭に立っていたリーダー格の機体を、二本のダガーが貫いていた。
コクピットをおよそ15度ずつの角度で、左右から斜めに背面まで各々一突き。装甲など意味を為さない、『硬質』の洗礼。
ぶしゅう、と吹き出す赤黒い液体は燃料か、あるいは乗り手の血潮か。
それを合図に、野盗たちのまったく統制なき乱射が始まる。
同士討ちさえも厭わず、いや味方など目に入りもせず、ただ目の前の『ハードダガー』へ手持ちの最強の威力を叩き付ける、本能的行動。
だが……赤茶けたボロクズのような姿は、ただ『硬質』であった。
機関砲の弾丸の雨は、『硬質』の刃に弾かれ、虚空に消える。
煙を吐いて撃ち出されたロケット弾は、半ばから一刀両断され、ごとりと地に墜ちる。
イオンの焦げた匂いとともに放たれた電磁フィールドは、『硬質』の一閃に阻まれて雲散霧消。
狂乱と恐怖に突き動かされた攻撃は、絶え間なく続く──だが、そのどれひとつとて、『硬質』には届かない。
機関砲の弾幕の隙間を縫って、2本、4本、6本のダガーが飛び、射手を蜂の巣に。
ロケット弾を刃身に突き刺したままのダガーが砲手ごとコクピットを串刺しにし、『硬質』の破片の煌めきとともに爆発四散。
エネルギーを再度充填する余裕さえなく、次々とコクピットへ2本のダガーが突き立ってゆく。
『ハードダガー』の動きが目にも止まらぬ、などということはない。むしろ、無防備にさえ見える体勢から、こればかりは目にも止まらぬダガーの一閃を次々と浴びせ、あるいは突き刺し、あるいは投げつけているだけだ。
だが……そのゆるやかな動きを、誰も捉えられない。攻撃を避けるのですらなく、攻撃「が」避ける。
難攻不落を鉄壁と称するのなら、『ハードダガー』のそれはあたかも、決して触れること叶わぬ、虚無の鉄壁。
みるみるうちに倒れ行く機体、死に行く哀れな犠牲者どもを悼むように──『硬質』の墓標が、炎のゆらめきを受けて鈍くぎらりと輝いた。
「うっ……う、動くんじゃねえ! 『ハードダガー』!!
動いたらこの女をぶっ殺すぞぉお!!」
最後の機体が、『硬質』の墓標を突き立てられ、無慈悲に穿たれたその瞬間。
ぼんやりと娘の傍にへたり込んでいただけの野盗の生き残りが、地に伏していた娘を無理やり抱え上げ、その喉に刃物を突きつけて叫んだ。
無言のまま、ただ一方的に“殺戮”を終えて、赤茶けた姿の『ハードダガー』がその様子を視界に収め……
ほんの僅か、逡巡したようにも見えた。
「…は! ははっ! そうだ、動くんじゃねえぞ!
いいか、抵抗するなよ。まずそのふざけたダガーを捨てて──」
風を切る音は、やはり風自身が『それ』を避けたかのように、遠慮がちな響きを残しただけだった。
喉元に添えられた刃物が離れ、同時に野盗の首から下が力を失って地に転がる。はるか後方、野盗の首もろとも飛び去って大地を抉った『硬質』の音が、遅れて聞こえた気がした。
もとより立つ力も残っていなかった娘の身体もまた、その場にくたりと頽れる。
それでも、娘の瞳だけは……燃え尽きる前の蝋燭の炎にも似て、ぎらぎらと『ハードダガー』を見据えていた。
声が、聞こえた気がした。
誰も証明するものはいない。記録にも残っていない。
もしかしたら、妄執じみた願望が生み出した、ただの幻聴だったかもしれない。
『なぜ、おれをそんな目で見る』
「……『ハードダガー』。逢いたかった」
『なぜ、おれに逢いたがる。おれには逢うべき者などいない』
「あのひとの……最期を。あなたに、教えてほしくて。
あのひとが最期に見た、あなたを……わたしも、見たくて……」
『おれは何も知らない。おれには、何も無い。
昨日も、今日も、明日も、何も無い。おれにあるのは、この“刃”だけだ』
「本当は………したかった、けど……もう、わたしは、死ぬから。
最後に、逢えて。よかった……死神に出会って、死ねるなら、運命ってやつよね……」
『──違う』
「………え?」
『おれは死神じゃない。おれはただの“刃”。ほかには何も無い。
──お前には、ある。おれに無いものが』
「……なにが……何があるって、いうの……」
『お前は助かる。死なない。
おれに無いものが、お前にはあるからだ』
「…助けて、くれる……の……?」
『知らない。おれには、誰かを助ける方法など無い。
……だが、お前は、助かる。
お前は、選ぶことができるからだ。おれには選べないものを』
「…何を……言っ…て……?」
『礼を、言ってやるといい。もしくは、恨み言のひとつでもかけてやれ。
──おれになど、遭わなければよかったのに、と……』
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……次のニュースです
……第99都市連盟軍の司令官令嬢が《霧》境界エリア東方で消息を絶った件の続報が入りました
……令嬢は重傷を負っていましたが、複数の護衛機に守られる形で捜索隊に発見されたとのことです
……ただ、発見された護衛隊は、半月前に全滅した主力部隊のメンバーで構成されていたとのことで、情報の確認が急がれています
……また、護衛隊の機体には、例外なく2本の硬質ダガーが突き刺されており、激しい戦闘があったと推定されます
……今のところ、護衛隊に含まれていた若き小隊長を含め、令嬢以外の生存者は確認できていないとのことです──
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……次のニュースです
……第99都市連盟軍の司令官令嬢が、入院中の病院より行方をくらましてから、今日で一ヶ月が経ちます
……今のところ、有力な手がかりは報告されておらず、事件・事故の両面で捜査・捜索が続けられています
……自力で病院を抜け出すほどの回復はしていなかったことから、誘拐の可能性も検討されていますが
……今までに身代金の要求などはなく、令嬢の安否が気遣われています
……
……次のニュースです
……都市近郊に建てられた小さな礼拝堂が、最近謎のブームを巻き起こし、「行列のできる教会」として話題を呼んでいます
……硬質ダガーを2本組み合わせた意匠のお守りも謎の売れ行きを見せており、教会のシスターから「偽物注意」とのコメントが……
(おわり)