①
ーー東京、広尾。
小綺麗な有栖川宮記念公園を見下ろせるとあるマンションの1室で、1匹の黒猫が窓際をうろうろしていた。
気味が悪いほど整った毛並みを揺らし、うろうろと歩いては時々立ち止まり、窓の外を眺める。
ガチャ。と玄関の扉が開くと、黒猫は飛び上がって駆け寄るでもなくただその場で振り向く。
扉の閉まる乾いた音が静かな室内に反響した。
「だだいま。……ってまた電気消してる」
黒ローブのフードを外してその小さな白い顔を見せた少女は、部屋の明かりをつけると藍色のサイドテールを垂らしながらブーツを脱ぐ。
次にローブも脱ぐと、傍の壁に吊ってあるハンガーに綺麗に掛けた。
「遅かったな。……唯」
窓際から少女を振り返ったまま、金色の瞳を光らせ黒猫が呟いた。
唯と呼ばれた少女こと色見唯は、苦笑する。
「邪魔が入って思ったより時間が掛かっちゃったよ」
「……案外勘が冴えている連中だ。油断するな」
「うん。あ、メル、何か飲む?」
「ミルク。生乳100%のやつな」
「わかった」
唯は冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、猫皿に注ぐ。
そして、ヤカンに水を入れ火にかけると、カウンターキッチンの棚からコーヒーパックを取り出して青猫のマグカップに粉を入れる。
「はい、先にどうぞ」
床に猫皿を置くと、黒猫ことメルは窓際から飛び降りて舌でいそいそとミルクを舐めた。
「相変わらずそうやって飲むの好きだねぇ」
「ペロッ。……舐めてから飲んだ方が甘さを感じられるんだよ」
「そんなもんかな」
「あぁ。唯こそ、よくあんな苦い物が飲めるもんだ」
「よく頭が冴えるしいいんだよなかなか」
「……そうか。血みたいな色で、私は嫌いだ」
ミルクを舐めながら淡々と答えるメル。唯は髪色と同じくらい青い目を細める。
「そうだね。私も最初は苦手だったよ。病気になる気がして飲めなかった。でも、近所のおばあちゃんに勧められてから好きになった。飲まず嫌いってやつだよ」
「……お前は、よく人間と馴染んでいるな、本当に」
「……」
と、ヤカンが水蒸気を吹く音が沈黙を破った。
「止めなきゃ」
火を消すと、コーヒー粉の入ったマグカップにお湯を注ぐ。
香ばしい香りと湯気が静かに舞い上がる瞬間に、唯は顔を綻ばせた。
「……で、どうだった」
メルの問いに、唯はコーヒーを口に含みながら頷く。
「メルの読み通り当たりだったよ。あの子は神器の持ち主だった。しかも、ゼウスの相方へーラー。彼の腕は素人だけど、メルがけしかけた中級を光の一撃で破ってた。力は本物だよ」
「……これでこの国に2体。いや、天華院家の御曹司を入れたら3体か」
唯はマグカップを両手に、コクリと頷く。
「ここで私たちが、3体とも全て捕まえれば……みんな解放されるよね」
悲しげに笑う彼女に、メルは目を細める。
「そうだな。ノックスのお前の両親も、兄妹も、奴隷ではなくなるだろう」
「私、絶対に捕まえてみせるよ。もう、あんな思いはしたくない」
「……私も、捕まえるまではノックスに帰るつもりはない」
「部隊を裏切ってこっちにきたもんね。凄かったよ」
苦笑する唯を他所に、メルは再び窓の外を眺める。
「(おそらく捕まえて献上したとしても解放されることはないだろう。糧にされ朽ちるだけ。中央政府の常套手段だ。奴らは、姑息だ)」
メルの考えを知ってか知らずか、コーヒーを飲みながら唯は首を傾げる。
「(……捕まえたら確実に私たちの力にし、反逆を起こす。他部隊に、ロンドンで伝説の魔術士ミセス・エリザベスを殺し、神器ポセイドンを奪った者もいると聞く。我々もそうしなければこの子の大切なものは1つとして助からないだろう。人類は、それを達成させるための駒だ)」
「……メル?」
唯の言葉に、メルは長い髭の生えた口をゆっくりと開く。
「唯」
「なに?」
「……人間とは、あまり仲良くなりすぎるなよ。ほどほどにしておけ」
「わかってる」
メルはスタスタと玄関の方へ歩きだす。
すると、突然まばゆい光と共に黒猫は黒髪金目の女性へと変わった。
「メル」
「忘れるな。人類は、私たちとは違う生き物なのだ。そして我々の血を奪い、力を奪った敵。……絶対に相入れないのだから」
「それも、わかってる」
唯が再び頷くと、メルはハンガーに掛けてある漆黒のライダースジャケットを羽織った。
「どこかいくの?」
「あぁ。少し出てくる。それまで目立つ動きはするなよ。……唯」
「うん。いってらしゃい」
ガチャリ。唯が帰ってきた時と同じ乾いた音が部屋に反響した。




