⑨
ーー第11学習室前。
物音一つ聞こえないこの部屋は、ほとんど使われることのない敷地の端、北館の6階奥にある。
隣は学習準備室。その隣はまたナンバリング2桁の学習室と、日常で活躍の場がない部屋が続く。
希一は紅愛に言われた通りに来ていた。
「ここだよな。……誰もいないのか?」
彼の声が空中に霧散する。
「……」
どんなに耳を澄ましても、室内から拾えそうな音は何一つない。
沈黙と人のいない廊下の独特な虚無感に耐えられなくなった彼は、ついに部屋の扉に手を掛けた。
『パスワードは?』
「っ!」
扉のノブに手を触れた瞬間。どこからか甲高い加工ボイスが彼の耳に降りかかった。
「なんだ、いったいどこから」
『だからパスワード。ここの住人なら知ってるはずでしょ?』
「……は?」
高圧的な謎の声に眉をひそめる希一。
知らないといっても、声はしきりにパスワードを要求する。
「知るかっての。……んーあれだ。黒帝院紅愛の知り合いでここの新入り。だから開けてくれ」
『証明して』
「……」
『ねぇ』
「だあぁぁぁ!!うるせぇ!!」
加工ボイスの一言でついに堪忍袋の緒が切れた彼は、大声で神器の名を叫ぶと思い切り扉を叩き斬った。
鋭い刃の摩擦音が響いて、扉は縦に真っ二つに割れた。
「どうだ……っ!」
だが中から現れたのは黒いモヤモヤで、何も見えない。
「おいなんだこりゃ」
『……入ってどーぞー』
先ほどまでの刺々しさは何処へやら。
やる気なく加工ボイスがそう呟くと、モヤモヤの中から豪華絢爛な扉が現れてゆっくり開かれた。
「!」
目を見開いく希一。開かれた扉の先に続く下り階段を見て思わず唾を飲む。
『閉めたいから早く入ってー』
「……あ、あぁわかったよ」
やる気のない加工ボイスの催促に彼がそそくさと階段を降りると、再び扉が閉められた。
長い長い螺旋階段の向こうは、広々とした教室。
そう。黒いモヤモヤに豪華絢爛な扉、螺旋階段を経て現れた空間は、あくまで何処にでもありそうな教室だったのだ。窓から気持ちの良い日光が差し込む、至って普通の部屋だ。
ただ、少し広いこと。冷蔵庫やソファ、ティーポットなどの家具家電が置いてあることを除いては。だが。
「やっほー」
部屋の真ん中に置かれた真っ白のソファから、ひょっこりと細腕が現れて左右に揺れる。
「……ん?」
怪訝な表情を浮かべ希一がソファを覗けば、着崩した制服を身に纏った少女が寝っ転がっていた。
「ここ、魔術部だよな」
「ん、そだよー」
やる気なく答える少女に、彼は口を歪める。
「……お前、さっきのパスワードボイスか」
「へい。その通り!ごめんねーうちの通過儀礼みたいなもんだから」
動きすらもふわふわとしている少女は、同じくふわりとした赤髪のボブヘアーを揺らす。前髪に留められた金色の2つのヘアピンに蛍光灯が反射した。
「ふんっ。……とぉ!」
彼女はソファの縁に掛けた両足を天井に上げでんぐり返しのような状態になると、思い切り足を振り下ろし起き上がった。
「いらっしゃい新入りさん。私、1年6組の星江薙沙。よろしくねー!」
「俺は青宮希一。……凛と同じクラスか」
「お、凛とはもう会ったのかぁー!」
「あと、湊にも」
「あぁそっか。今日あの2人ツーマンでエリア監視してたっけ」
薙沙はふんふんとわざとらしく何度も首を振ると、踵を返してスタスタ歩き出す。
「希一くん!……んにゃ、何か君はくん付けキャラじゃないね。希一は?」
「好きにどーぞ」
「んじゃ希一、紅茶でいい?」
「おう。砂糖多めで」
「はいよーちょうどお湯沸かしてたんだー。あ、座って!」
希一はゆっくりとソファへ腰を下ろす。
明るくてノリの軽い楽しそうなやつだと、楽しげに揺れる彼女の背中を見ながら思った。
「はい。あとクッキーもあるから食べて」
ニッと大雑把な彼女の笑顔と共に、ティーカップと菓子の乗った小皿が置かれた。
彼はふと、カップに入っているティーバックを取り出す。
ティーバック本体と先端の紙の部分に薄く「黒帝院」という文字が。
「……これ」
「あぁそうそう。そのお茶、部長の紅愛が持ってきたもの。黒帝院家製なんだって。ていうか、ここにある家具とか全部そうだけど」
貴族凄いよね。と呟く彼女に希一は同調する。
先日の黒帝院家といいへーラーの話といい今回といい、紅愛の電話1本でヘリでも飛んでくるのではないかと彼は苦笑する。
薙沙は希一の横にちょこんと座って紅茶を啜ると、あ。と思い出したように声をあげた。
「そっか。希一は紅愛に凛、湊にもあってそして私に会ったわけか」
「おう。それがどうかしたか?」
「入部おめでと!」
「……このタイミングかよ」
首を傾げる彼に、彼女は再びティーカップに顔を埋めると頷く。
「これで魔術部4人全員に会ったわけだからね。希一が入って晴れて5人の大所帯になったけど!」
「大げさだな」
「まーいいじゃん!これでより一層賑やかになる気がするよっ」
無邪気に笑う薙沙を見ると、思わず彼も吊られてしまう。
彼女の師事すれば笑顔も上達しそうだと彼は思った。
「そういや、さっきの通過儀礼ってなんなんだ?それにこの部室」
「あぁパスワード?ごめん、私のイタズラだから気にしないで!ただ、どんな魔術を持ってるのか見てみたかったからさー」
「……おいおい」
「まぁでも、あの扉は外部からの侵入を防ぐために良く機能してるよ。この部屋で魔力登録をしたもの以外は入れない仕組みなんだ」
人型の魔人もいるからねー。という言葉に希一は眉をひそめる。
母親を殺した男のシルエットが過った。
回想の中で、男がこちらを見て笑った気がして、少々気分が悪くなる。
「どした?」
気づいた時には、薙沙が覗き込むように希一を見ていた。
「あぁいや。なんでもない」
「ホント?変なのー」
希一は頭を振り、一度深呼吸して意識を整えた。
どうやら紅愛に出会ってから敏感になり過ぎているようだと彼は自らを戒める。
「いやー、それにしてもさっきの刀は凄かったね。へーラーだっけ?」
「あぁ。神器か」
「翼みたいなのがファーって背中に広がって、バサって簡単に扉切っちゃうんだもんね。びっくりしたよ。……でも、本当に変身みたいなんだね」
紅愛みたい。とポツリと呟く薙沙に、彼はピクリと肩を震わせた。
「……紅愛も神器を持ってるのか?」
「え、そだよ。あれ、紅愛から聞いてない?」
希一は首を横に振る。
薙沙は宙を見つめて、あー。と口を開く。
「そっかー。紅愛最近忙しいからなー。ま、私も見たのは半年前に一回きりだけど」
「そうなのか」
「うん。多分、最終兵器でここぞという時の為に取ってあるんじゃないかと私は推察する!」
「なるほどな……」
「いつかは、わかんないけど!」
「……で、あいつのは、どんなものなんだ?」
彼の言葉に、彼女はニンマリと目を三日月型に歪ませる。
「それは、見てからのお楽しみじゃない?多分、説明するより見た方が早いよ」
「なんだよもったいつけて。教えろよ」
「そだねー。とりあえず、ゼウスっていう名前。凄く強いよ。神器の中では2大最強の1つに数えられるくらいだし」
最強。というフレーズに彼の耳が動く。
「なぁ。神器ってのは、一体どれくらいこの世にあるもんなんだ?」
持てるのが特殊な魔力を持つものだけだし、そんな多くないだろ。と彼が言うと、彼女は足を組んで顎の下に指を乗せる。まるで謎を解明する探偵のようだ。
「私もすんごい詳しく知ってるわけじゃないけど、とりあえず世界に12体あるって言われてる」
「12……」
「そ。確か大昔のギリシャで活躍した伝説の12人の魔術士が産み出したもので、それが何世代にも渡って引き継がれてるとかなんとか」
「じゃあ、俺も誰かから引き継いでるってわけか」
姿も名前も知らない、自分と同じ神器を使って戦った偉人に彼は思いを馳せる。
「……でも、確かその12体のうち何体かは魔人に奪われたって古い歴史書で読んだことある。最近でも2大最強のうちの1つのポセイドンが奪われたってママから聞いたし」
「つまり、敵側にも神器を使うやつがいる」
「ん、本当かはわかんないけどね。とりあえず、12体のうち2体は人間側の、しかも日本にあるってこと!しかもうちの部の希一と紅愛が持ってんだよ」
いや凄いね!と誇らしげに胸を張る薙沙に彼が頷くと、ガチャン。と部室の入り口が思い切り開かれる音が響いた。
「なんだ?」
「噂をすれば、だねー」
え。という彼の言葉は次の瞬間にはかき消された。




