転生ターンオーバー
まだ街の人々が寝静まっている、丑三つ時。
ここはとある宿の一室。ベッドの上で眠っていた私だったが、何か違和感を感じ目を覚ました。身体が重いような気がする。掛け布団を捲り上げると、水色の長い髪が顔を出した。
(今日も、か……)
わざわざベッドが二つある部屋を取っているのに、気付けば私のベッドに入ってきている。今回が初めてではない――というか、このところ毎晩こうなのだ。
「ユリウス……」
私の腰にぎゅっとしがみつき、か細い声で呟く少女。そんな姿を愛おしく感じ、長い髪をそっと撫でる。
眠りこけている少女――名前はメル――は、元々男だった。メルは以前の私の体よりももっと小柄だ。
ユリウス。これがこの世界での、私の名前。
私は、この世界へやってくるまでは女だった。
身を寄せるメルに対し布団をかけ直し、私は再び眠りに就いた。
◇
私とメル――高崎祥は、元の世界では幼馴染みだった。
高校二年生。身長一五〇センチ程の小柄で社交性のない私――木下晴菜は、クラスの中に友達はいなかった。休み時間は自分の席で本の世界に入り浸る、典型的な文学少女だった。
そんな私はクラスで鼻つまみ者扱いされていた。そうなった理由は、とくにない。ハブられることに、理由は必要ないのだ。
けど、祥はそんな私の唯一の味方だった。恐らく祥が居なければ、私はいじめを受けていただろう。
祥が居たから、というもっともな理由は体付きだ。スポーツ万能で、身長は百八十センチはゆうに超えていた。巨漢と形容してもいい姿だった。そんな相手に、喧嘩を売る無謀な人間はいなかった。私にちょっかいを出すと祥は怒る、それを皆が分かっていた。だから、私に手出しをしてくる人間がいなかった。その点では祥にとても感謝していた。
私はその祥とは、幼馴染み。とはいっても家が隣なだけで、一緒に遊んだりするような仲でもない。趣味が全くと言っていいほど合わないからだ。祥は身体を動かすことが好きだけど、私は逆に嫌いだ。
なぜなら、私は体力に自信がないからだ。体力テストのどの項目も、同年齢の平均以下だ。決して誇れることではないけど。
あとは、通学を一緒にする程度。付き合いそのものは家族ぐるみなので、たまにどちらかの家で家族揃って食事をしていた。
それでも祥は何かにつけて、私を遊びに誘い出そうとした。こんなつまらない私と遊んでも、何も面白くないだろうに。
祥としては買い物などに連れて行きたかったそうだけど、私は人混みが嫌いだった。祥はそれを知っていたから、無理に連れ出すようなことまではしなかった。
そんな私でも一緒に楽しめるものを――と祥が提案したのが、とあるオンラインゲームだった。
フェアリー・テイル・オンライン、通称FTOと呼ばれるゲーム。いくつかの職業を選び、自由に冒険や生活をする。典型的なオンラインRPGだった。それを題材にした小説を何作か読んだことがあるから、基本のシステムぐらいは分かっていた。
私も興味がないわけではなかったし、断る理由もなかったからOKを出して一緒にプレイすることになった。
祥が操作する、ユリウスと名の付いたキャラクターの職業は、剣士。その中でも、キャラクターの背丈以上もある長剣を振り回すタイプだった。私は支援職である、治療士を選んだ。名前はメルと付けた。一人で戦うのは難しい職業であったけど、祥が手伝ってくれるのもあり選んだのだ。どのみち、一人でプレイするつもりはなかったし。
祥は既にこのゲームを始めていたようで、ある程度のレベルまで上げてあるそうだ。私は、後方で回復魔法や支援魔法を使う役に徹した。
プレイするときは、専ら祥の部屋で。オンラインゲームだから別に同じ部屋に居る必要もないのだけど――。わざわざノートパソコンまで用意してくれたので、一緒にやることになったのだった。
「どうして、わざわざ一緒の部屋でやるの? 別にチャットでもいいよね?」
「……ほら、チャットだと入力する手間があるじゃねえか。近くにいれば、直接話ながらできるからパーティープレイも楽なんだよ」
――それなら音声チャットソフトを使えばいいんじゃないか、とも思ったのだけど。まあ家も隣だし、そこまで目くじらを立てる必要もないかと、それ以上は考えなかったのだった。
◇
そんなある日のこと。一緒に通学していると、後方から何かの衝撃音。祥と振り返ると、車体の前面が妙にへこんだバスが間近に迫っていた。
逃げる間もなく、全身に衝撃が走った。それが、前世での最後の記憶だった。
◇
そのあと気付いたら、この世界に居たというわけだ。なぜか、プレイしていたFTOに酷似した世界へ。そしてなぜか、自身の姿が祥が使用していたキャラクターへとなって。
生まれ変わった、とでもいえばいいのだろうか。恐らく私は死んでしまったのだろうと、直感的に察した。
救いだったのは、祥も一緒にいたことか。私の使用していたキャラクターに生まれ変わって、だけど。誰も知り合いがいない世界へ、一人放り出されることにはならずに済んだのはよかった。
前世の家族とは、もう二度と会えないという悲しみに暮れる間もなく。
どうしてこんなことになったのかは分からないけど、当時は大いに混乱した。それは祥も同じだったけど。私は女から男へ、祥は男から女へと変わってしまった問題があったからだ。
私は元の祥と同じ一八〇センチ超の身長になり、短めの金色の髪。がっしりとした体付きに背中には大きな長剣を背負っていた。
一方の祥は、元の私よりも身長が低くなってしまったようだ。恐らく、一五〇センチを下回っているだろう。それに長く繊細な水色の髪。筋肉など無縁な体付きだ。身長や顔付きのせいで、元の祥の年齢よりも少々低く見えた。
ゲームのキャラクターメイキングでは身長や体重、年齢などは設定できなかったのだけど。なぜか二人には、性別以外でも差が生じてしまったようだ。
けれどそれよりも深刻だったのは、前の世界とは全く違う世界でどう生きていくかという問題に直面したことだった。
生きていくためには、まずお金が必要だった。そのお金を稼ぐには、冒険者稼業――モンスター討伐だと知った。
モンスターと戦うなんてどうしたら、と不安になったけれど。幸いにしてそれぞれの自身の姿は、ゲームで育て上げた通りの性能だった。頭に動作やスキルを思い浮かべるだけで、体が動いてくれた。
ただ、実際のモンスターを倒したときの感覚は、なかなか慣れなかったけれど。
ユリウスの戦い方は、ゲームで支援を行っているうちに何となく頭に入っていた。それは祥も同じようだった。祥が的確に支援を行ってくれたお陰で、モンスターとの戦いを楽に進めることができた。
「なんとかなりそうだな。俺は戦う術がないから、何とか頼む」
「……うん。分かった」
私より背の小さくなった祥が、前世通りの話し方で私に話しかける。その言葉が心の支えとなった。
――祥の言うとおり、私が頑張れば何とかなるだろう。私たちの生活は、この長剣にかかっている。
◇
それから拠点となる街を決め、祥と力を合わせ冒険者稼業で日々を何とか生き抜いていった。お互いの体――男女の問題は、教え合いながら解決していった。
「お、女ってこんな大変なのか……なの」
「そうだよ、丁寧にしないと痛んじゃうからね」
ある日のこと。髪のケアがあまりにいい加減なのを見かねた私が、お風呂に一緒に入って髪の洗い方などを教えてあげた。身体を見られることに若干抵抗は感じたけど、今の私の身体は男だった。そして見るのは女――見慣れた身体なので、あまり気にしないことにしたのだった。
そして女の子らしい言葉遣いや、身のこなし方などをレクチャーした。一人称も俺ではなく”わたし”に。
私自身は言葉遣いを少し直すだけで問題がなかったけど、祥の場合はそうもいかない。
メルの姿は可憐な少女なのだ。それに見合った振る舞い方をしないと、かなり違和感がある。この姿で生きるしかないから、祥には我慢して覚えてもらうしかなかったのだ。
◇
冒険者としての仕事をこなしていくうちに、街ではちょっとした有名人になっていた。依頼をほぼ確実に成功させる、剣士と治療士の二人組として。
身体能力に優れ、思ったように動いてくれるこの身体は私に快感をもたらしていた。前の身体では、こうもいかなかったからだ。
一方の祥は、体力がほとんどなくなってしまったことにショックを受けていたけど。それでもメルの体に、徐々に慣れていっているようだった。
この世界はゲームと酷似はしているけど、レベルの概念はない。ゲームのときはユリウスとメルのレベルは離れていたけど、今のメルは私と同じモンスターを討伐している。同じ修羅場を幾度となく潜り抜けてきたことを考えると、冒険者としての実力は同じだろう。
何より治療士としての実力は指折りのようで、どこで話を嗅ぎ付けたか他の冒険者らから声がかかるほどだ。まあ、それらはすべて私が丁重にお断りしたけど。
逆に私は、女性から頻繁に声を掛けられていた。この姿は有り体でいえばイケメンであった。そして有名人ともなれば、お近づきになりたいという女性が自然に寄ってきてしまうようだ。
その誘いも、私は全て断っていた。初めからそれに付き合う気もないのだけど、話し掛けられているときに横から睨み付けるような視線を感じるのだった。
――それは、祥から向けられたものだった。
「メル、心配しなくても他の人とは組まないよ」
「……心配なんてしてないし……」
そう言ってそっぽを向いた祥。背を向けてプンプンと怒る姿は、なかなかかわいらしい。とはいえ祥を怒らせたままなのはかわいそうなので、最近祥の好物となった焼き菓子をプレゼントして機嫌取りをしたのだった。
◇
「この服、どう、かな?」
「……うん、似合ってる。かわいいよ」
街の衣料店で少し自信なさげな表情を浮かべた祥が、試着した姿を私に見せてきていた。この頃は、積極的に衣装を自分で選ぶようになった。メルは大変な美少女なため、衣装がよいとなおさら映えるのだ。実際、祥がこの姿で街を歩けば、誰もが振り向くだろう。
祥のチョイスは、スカート部がフリルのかわいらしいワンピース。ノースリーブで丈が短く、肌の露出が多かった。
この世界に来た頃は、肌の露出が少ない治療士の正装ですら嫌がっていたというのに。どういった心変わりなのだろう。
私が褒めてあげると、少し顔を赤らめてはにかんだ笑みを浮かべたのだった。
◇
そんな生活が数か月続き、事件が起こった。街で買い物をしていたときだ、少し目を離した合間に祥がいなくなってしまったのだ。
目撃談から奴隷商が連れ去ったとの情報を掴み、祥が奴隷として売られる寸前のところでなんとか救出に成功した。
「怖かった……怖かったよう……」
「もう大丈夫だから……。助けるのが遅くなってごめん」
救出直後、よほど怖かったのだろうか、泣きじゃくる祥を私は優しく抱きしめて背中をさすってあげた。その姿は元の祥とはかけ離れた、一人のか弱い少女だった。
◇
事件のあと、祥は大きく変わってしまった。何かに怯え、私の傍から離れようとしなくなってしまった。また私以外の男が怖いようで、一人では絶対に外を出歩くことはしなくなった。あのような経験をしてしまったのだから、仕方がないとはいえ。
あまりの豹変ぶりを見かねた私は、じっくりと話をしてみたのだけど。
「だって……わたし一人じゃ何もできないし……。ユリウスに迷惑かけてるんじゃないかって……」
「そんなことない。メルがいるから頑張れるんだ!」
弱々しく語る祥に対し、安心させようと私がそう力強く答えると祥は泣き出してしまった。嗚咽を漏らしながら、胸の内を明かしてくれた。祥は自身の情けなさから、私に捨てられてしまうんじゃないかと考えていたらしい。
そんなこと、絶対にあり得ないのに。祥がいたからここまでやってこられたのだ。迷惑に感じたことなど一度もない。
祥は幼馴染みなのだ。この世界で、唯一心を許せる存在なのだ。そんな祥を捨てるだなんて、絶対にしない。
祥の姿を見て、私は確信した。祥はもう元の祥ではなく、メルなのだと。精神も男から弱々しい女の子へと変わってしまっているようだった。
そのような傾向を薄々感じてはいたけど、あの事件がそれに拍車を掛けてしまったのかもしれない。
メルにそのような想いを抱かせてしまったことを恥じる。私は決心した。メルは私が絶対に守る。守れるだけの力がある。前の世界では私を助けてくれたメルに、報いるべきだと。何より、私もメルからは絶対に離れたくなかった。
メルにそれを伝えると、メルは私の胸に飛び込んできた。そんなメルの頭を、私は優しく撫でたのだった。
◇
それから、数年の月日が流れた。
冒険者の仕事を通して十分な金銭の蓄えを得ていた私とメルは、街の外れに一軒家を建てた。私はまだ冒険者を続けているけど、メルはとある理由で続けられなったので休業している。
その理由は――。
「メル、ダメじゃないか! 安静にしてなきゃ」
「もう、大丈夫よ……逆に少しは運動しないとだめらしいし」
家に帰ったところで家事をしようとしていたメルを制止するも、いつも通りそう言われてしまった。私も頭では分かってはいるのだけど、その姿を見るとつい言ってしまうのだ。
メルのお腹は、ゆったりとした服の上からも分かるほど大きく膨らんでいた。
――メルは、私の子を妊娠している。
「ユリウス、わたし……ユリウスのことが好き。これからも、ずっと一緒に居たいの……」
「……メル……」
とある冬の夜。メルから大事な話があると言われたときのことだった。メルから告白されるなんて思ってもいなかったけど。元の世界にいたときから私のことが好きだった、と言われて二度驚いた。何かにつけて私と居ようとしたのは、そうだったかららしい。
でもこちらの世界に来て何もかもが変わってしまい、一度はそんな考えは吹っ飛んでしまったそうだけど。私と行動を共にするうちに、そういった気持ちを募らせていったみたいだ。男視点から女視点へと、ベクトルは変わってしまったようだけど。
――それは私も同じだったのだけど。メルと一緒にいると胸が高まるというか、ドキドキするという状態だった。こんな気持ちは、元の世界では起こらなかった。
宿で一緒の部屋だと気分が昂ぶって眠れなくなってしまって、一度は別々の部屋にしようかとも思っていたぐらいだ。メルに断固拒否されたため、それは叶わなかったけど。
そしてわざわざツインベッドの部屋を取っているのに、相変わらずメルは私のベッドへと滑り込んできたのだ。お陰で暫くは、悶々とした日々を送っていたのだった。
そしてメルの告白に応える形で、私とメルは結婚をしたのだった。
一人でのモンスター討伐は無理があるので、毎日その場限りの冒険者パーティーへ参加しているのだけど。家に帰るとメルは拗ねていることが多い。
同じパーティーに女性がいなかったかどうか、と何度も聞いてくるのだ。パーティーは選べないので、当然女性がいることもある。メルはそれが気に食わないようで――。
本当はずっと一緒に居て欲しい、とはメルの願いなのだけど、さすがにそうはいかない。
毎朝なるべく早く帰るからと言い聞かせ、帰宅後にはずっと一緒に居ることで何とか許してもらっている。
自身のお腹を優しくさすり慈しむメル。表情は母親そのものだった。
もうすぐ、守るべき相手がもう一人増えることとなる。
一家の主として、私は気持ちを新たにするのだった。