第5話 ゴーレムメイド エメスちゃん
第5話です。
よろしくお願いします。
もはやこれは拷問ではなかろうか……。
おれはだらしくな顎を開け、夏場のアスファルトの上を歩いていた。
両の手は大量の食材が入った買い物袋で塞がっている。
前には少女が大手を振って歩いていた。
体内に冷却機能でもついているのだろう。
涼しい顔をして、ふんふん鼻歌をうたい、上機嫌だった。
「おい。ミライ……。1つぐらい持ってくれよ」
「ダメ。タダメシ食らいが文句をいわないの!」
大家の孫ミライはぴしゃりと言い放つ。
手には食べ終わったアイスの棒を持っていた。
おれはげんなりしながら、肩を落とす。。
タダメシを食わせてやる代わりに、スーパーの特売に付き合えという条件を易々と飲んでしまった己を呪った。
「うわぁ……。ねぇ! カルマは今日も魔法陣が綺麗だよ」
空を指さす。
おれは顔を上げた。
夏の青空に、丸や三角、あるい四角。様々な図形と、魔術文字が刻まれた魔法陣が、東から西へと流れていく。
魔法陣の名前は【実在証明の蔵】と呼ぶ。
このファンタジーのような光景は、魔術師にしか見えない。
そして、いまだにその全容がなんであるかはわかっていない。
1つわかっていることは、あれが巨大な魔術のデータベースだということ。
魔術回路を介し、術星式というプログラムを書くことによって、魔術師は魔術を発現させている。
「私ね。魔術師になって、一番感動したのは、あの【実在証明の蔵】を初めて見た時なんだ」
小さな手を大きく伸ばして、ミライは言った。
同じ思いがおれにもある。
大空に引かれた青白い図形と文字のコラボレーションは、おそらく世界の何ものよりも美しく見えるからだ。
空を眺めつつ、おれたちはようやくメゾン・ド・セレマに辿り着く。
「あ! エメスちゃんだ!」
指さす先には、白いエプロンドレスを着た少女が立っていた。
竹箒を持ち、アパートの前を掃き掃除している。
背丈はミライよりも少し大きい程度だろうか。やや光沢感のあるピンクの髪をお下げにし、その頭にはフリルがついたカチューシャが乗っている。エプロンの下は黒のワンピース。純白のニーソと革靴という出で立ちだった。
ミライの元気な声に反応したエメスは、こちらを向く。
半目に開いた瞼から、紫色の瞳がのぞいていた。
「コンニチハ。ミライさま」
「こんにちは。エメスちゃん。お掃除いつもありがとう」
「イエ。わたし ハ エメス。メゾン・ド・セレマ ノ メイド デスカラ」
「うんうん。仕事熱心なのはいいことだ。どっかの誰かさんとは大違いだね」
くるりとおれの方を向く。
うるせぇ!
悪かったな。甲斐性がなくて。
「よう。エメス。調子はどうだ?」
「コンニチハ。カオスさま」
「おれの名前はカルマだ! 『カ』しかあってないぞ! どこぞの大魔王か! おれは!!」
エメスは半目をおれに向ける。
モーターみたいな耳障りな音を立てた後。
「ハイ。とうろくシマシタ。カオス、さま」
いやカルマだって!
とまあ、エメスはちょっと変わったヤツだ。
何を隠そう……。
エメスは【自動人形】もしくは【ゴーレム】といわれる――いわば、魔術で出来たロボットなのだ。
【ノア】の土木作業の現場で、ゴーレムの活躍を見ることはできるが、あれは単純な命令しか聞くことが出来ない。
しかし、エメスはかなり複雑なタスクも容易にこなしてしまうほど、高性能なゴーレムだった。
どうしてそんなゴーレムが、なんの変哲もないアパートにいるかというと、粗大ゴミとして捨てられていたのを、ミライが引き取ったらしい。
捨て猫じゃあるまいし……。
一体全体、どうしてエメスみたいなゴーレムが、ゴミとして捨てられていたのかはいまだに謎だ。
「トコロデ、オ2人トモ。オデカケデスカー、レレレのレー」
箒をさっさと掃きながら、小首を傾げる。
ぷっとミライが吹きだした。
「あははは……。エメス、面白い! なにそれ」
「ネットじょうほうデス」
ちなみに趣味はネットサーフィンらしい。
「今、帰ってきたとこだよ」
「ソウデスカ。デハ、オカエリナサイマセ、ご……シュ…………じ……ん、さ」
突然、エメスは倒れてしまった。
「ちょ、ちょ、ちょっとどうしよう! カルマ!」
「落ち着け。ミライ」
とりあえずおれは、エメスを自分の部屋に運んだ。
といっても、何かするわけでもない。
「もしかして、電池とか切れたのかな」
「だから、落ち着けって。エメスはゴーレムだぞ」
「じゃあ、お腹を空いたのかな。……ゴーレムって何食べるの? かすみ?」
仙人か!
「お前はちょっと静かにしろ!」
思わず怒鳴ってしまった。
ミライはシュンとなって、その場に正座する。
少し可哀想だが、今はこの方がいい。
ともかくおれは、エメスの前髪を掻き上げた。
魔術象形がぼんやりと光っている。
ヘブライ読みで「エメス」。エメスの名前の元となった文字だ。
「魔術象形に問題はない」
ゴーレムはこの文字が消えると機能停止する。
しかし、特段異常は見当たらない。
となると……。問題は中身だ。
カルマはエメスの頭に手を置いた。
あの時、ミライに『火行』の魔術を教えたように……。
「何をするの、カルマ?」
「ちょっと黙っててくれ」
「むむぅ」
少女は頬を膨らませるが、無視だ。
そのまま作業を続ける。
おれは覗く。
エメスの思考の黒板を……。
ゴーレムとはいえ、エメスにも魔術回路というものが存在する。
それなら、おれの魔術でこちらから操作することが出来る。
――はずだった。
突然、おれの手が弾かれる。
青白い帯電が光った。
幸い少し手が痺れた程度で済んだが、操作を中断することになってしまった。
「なるほどな」
「ど、どういうことなの? カルマ!」
「呪創だ」
「じゅそう……?」
「呪いだよ。……まあ、わかりやすく現代風にいうと、コンピューターウィルスみたいなもんだな」
「ウィルス? 病気になったってこと?」
「そんなところだ?」
「治るの?」
「ちょっと難しい……」
「じゃあ、お医者さんに連れて行こう」
「ゴーレム専門の医者なんて知ってるのか?」
「タウンページで探せばあるはず」
「おいおい」
だが、都合良くそんな医者が見つかったところで、エメスを直すのは至難の業だろう。
それに――。
はっきり言って、ヤバい……。
エメスの高スペックぶりは前から気になってはいたが、これほどヤバい代物だとは思わなかった。
――ったく。こんなヤバい物を捨てて、素人に拾わせるとは。
彼女の管理者に、罵倒の1つや2つ言いたくなる。
「ねぇねぇ! じゃあ、エメスはもう一生元に戻らないの?」
ミライはおれの黒コートを掴む。
顔を上げると、鼻水を垂らしながら泣いていた。
おれは「はあ」と息を吐く。
ポンと赤毛の頭に手を置いた。なでなでしてやる。
「心配するな。言ったろ。ちょっと難しいって。誰も助けられないとはいってない」
「じゃあ、大丈夫なんだ」
「おれの力があればな」
「やったー!」
ミライは飛び上がって喜んだ。
ようはその呪創を除去すればいいんだが、これが難しい。
おれの力を使って、呪創を焼くことは出来るのだが、ちょっと本気を出してしまうと、エメスの魔術回路ごと消滅しかねない。
回路ともっと高度に結びつくことが出来ればいいのだが……。
「そのためには、強い性感接触が必要だな」
「頭を撫でるだけじゃ。ダメってこと?」
「まあ、そういうことだ」
「ど、どれぐらい?」
「そうだな。キスぐらい?」
キュー、と音を立て、ミライは顔を真っ赤にした。
そしてカルマから守るように倒れたエメスを抱きかかえる。
「だ、ダメだよ! エメスはこれでも女の子なんだよ」
正確にはゴーレムだがな……。
キッと睨み付けるミライを見ながら、おれは眼鏡を上げた。
「じゃあ、ミライがキスをするか?」
「ほえ?」
つまり、ミライの魔術回路を通して、おれがエメスの中にある呪創を取り除くというものだ。
「そ、それは――」
「女の子同士なんだから、別に気にすることじゃないだろ」
「た、たとえ女の子同士でも、キスするんだよ」
「じゃあ、エメスは直せないぜ」
「う――」
ミライはエメスを見つめる。
紫色の瞳は、瞼によって固く閉ざされていた。
そして少女は観念する。
「わかった」
というわけで、ミライがエメスにキスすることにした。
おれはいつものようにミライの頭に手を置く。
「おーい。どうした?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。心の準備が――」
スーハースーハーと深呼吸を繰り返す。
手に息を吹きかけ、口臭がないか確かめた。
なんかキス童貞みたいだ……。
「じゃあ、行くよ」
ゆっくりとエメスに顔を近づけた。
少女の唇がわずかに震えている。
あと数センチの距離というところで、ミライは瞼を閉じた。
おれはごくりと喉を鳴らす。
女同士とはいえ、目の前で人がキスするのを見るのは、猛烈に恥ずかしい。
そして小さな唇同士が重なった。
「そのままだぞ! ミライ!!」
ミライを介して、エメスの魔術回路に侵入する。
おれの得意技は、術星式を足したり引いたりすることだけじゃない。
他人の魔術回路に侵入して、操作することも出来るのだ。
どっちかといえば、こちらが本当の使い方といえる。
見えた!
呪創がみえる。
アレ?
おれは一瞬首を傾げる。
だが、意を決した。
魔力を上げて、呪創を弾き飛ばした。
「よし! もういいぞ」
頭から手を離すと、ミライも「ぷわっ!」と、声と頭を上げた。
「よくやったな。ミライ」
頭ではなく、小さな背中をパンと叩く。
ミライは少しボーとしていた。
余韻が残る唇に手を当てる。
すると、突然あのモーター音のようなノイズが聞こえてくる。
「エメス、きどうシマス」
おもむろに瞼が持ち上がり、紫色の瞳が輝いた。
「よかった。エメスちゃん、元に戻ったんだね」
「ドウヤラごめいわくヲ、オカケシタ ヨウデスネ」
「覚えてるの?」
「ハ、い。ワタシ ハ トマッテイマシタ ガ、5かんノえいぞうハ、メモリー ニ ノコッテイマス」
「もしかして、私とキスしたのも」
「ハイ」
「うひぃいい! 恥ずかしいよう……」
ミライは顔を手で覆った。
「ミライ……」
「な、なに?」
「キ、ス、シマショウ」
「「へ?」」
「スゴク……。シビレマシタ。キモチいい」
「いやいや。ちょっと! エメスちゃん! 私たち女の子同士だよ」
「ダイジョウ、ぶ。エメス ハ ゴーレム デス」
エメスはミライに迫る。
「え、えええええ!」
「マッテ! ミラ イ!」
ミライは逃げ出した。部屋の外へと出ていく。
それをエメスが追いかける。
おれは苦笑を浮かべ、2人を見送った。
しかし――。
あの呪創はどっから……。
窓の外を見る。
いつの間にか赤くなった空に、【実在証明の蔵】は変わらぬ美しさで、東から西へと流れていた。
本日はこの1本だけになります。
明日の6話は前後編になります。
引き続きエメスのお話です。よろしくお願いします。
明日は12時と21時に投稿予定です。