第2話 綾篠ミライは頑張った。
第2話です。
ミライのお話になります。
よろしくお願いします。
扇風機がほしい……。
クーラーがほしい。
出来れば、キンキンに冷えたかき氷を食いながら、プールとか入りたい。
もうイヤだ。夏はイヤ……。
暑い……。暑すぎる。
今日の【ノア】の気温は31度。
初夏にしては暑い方だろう。
え? テレビも携帯も、ラジオも持っていないおれが、どうやって気温を知ったかって?
そりゃあ、おれの体内温度計が言っている。
間違いない!
ちなみに【ノア】ってのは、正式名称【魔術境界圏】といって、世界で初めて魔術師が自治権を持った自治区のことを指す。
場所は旧関東圏。
なんでおれたち魔術師がそんなところに居座っているかというと、セストって化け物がいきなりうじゃうじゃと日本の首都のど真ん中に現れた。
通常兵器はまるで役に立たないセストに唯一ダメージを与えられたのが――。
【|非科学技術《Non-Science Skill》】
つまりは魔術だったってわけ……。
それが今から50年前の話だ。
わかったか? 少女よ。
「いや、別に【ノア】の歴史を知りたいんじゃなくて……。カルマのお仕事とか聞きたいんだってば」
ノートとシャーペンを片手に、メゾン・ド・セレマの大家ことミライは、眉間に皺を寄せた。
少女のステータスには、【暑さ】という耐性がついているらしい。
扇風機もクーラーもない我が部屋で、先ほどからお勉強のお話をなさっている。
ちなみにおれはグロッキー……。
ミライから奪った下敷きをペコペコ鳴らしながら、あおいでいる。
「お前も知ってるだろ? おれは絶賛休業中だ」
「ニートでしょ。カルマは――」
「お前なあ。……だったら、なんでおれに聞くんだ、よっ!」
「あいた!」
ミライのおでこをピンと跳ねる。
むすー、とミライは口を尖らせた。
「だって……。宿題で、【ノア】で働く人の話を聞いてくるようにって言われたんだもん」
「だったら、他の部屋のヤツに聞けよ。夜狼さんとか、セツナ先生とか」
「夜狼さんはいつ帰ってくるかわからないし、セツナ先生は部屋のどこにいるかわからないし」
「ろくなヤツがいねぇなあ、このアパート」
「それって自分も含めてだよね、カルマ」
ジト目で睨む。
こほん、とおれは咳払いした。
「そもそもこんな宿題……親にするもんだろ?」
「おばあちゃんはああだし。パパとママは――」
あ――。
まずいことを言ってしまった。
ミライは小学2年生の時に、両親を亡くしているのだ。
みるみる顔が下を向く。
今にも泣き出しそうだ。
おれは息を吐いた。
「わかった。話してやるよ」
「ホント?」
「その代わり。おれじゃなくて、別のヤツの話な」
「ええー!?」
「仕方ねぇだろ。おれは絶賛有給を消化中だし」
「ニートでしょ。――ってさっきと言ってること違う」
「そうか?」
ミライはケラケラと笑った。
良かった。笑ってくれた。
おれはちょっとホッとする。
「仕方ない。我慢する」
「有り難き幸せ」
というわけで、おれはおれが最もよく知る“そいつ”の話を始めた。
“そいつ”は持たざるものだった。
才能もなければ、特別身体能力が高いわけでもない。
それでも身の程を弁えなかった“そいつ”は、【ノア】で一番の魔術師になりたいと願った。
“そいつ”はあらゆる努力を惜しまなかった。
結果、“そいつ”はとうとう実力を認められ、セストを倒すためのエリート部隊に配属される。
そこで“そいつ”は決意した。
魔術師が50年かけて倒せなかったセストを駆逐してやると――。
“そいつ”は遮二無二に戦った。
戦って……。
戦って……。
戦い抜いて……。
あと1歩というところまでセストを追いつめた。
けれど、“そいつ”は決定的なミスを犯した。
そして“そいつ”はセストを倒さず、仲間を殺してしまった。
こんな話――13歳の少女に出来るはずがない。
だから、おれがミライに話したのは別のヤツの話……。
宿題を終えると、ミライは帰っていった。
その顔は満面の笑みだった。
枕がほしい……。
布団がほしい……。
もう寝袋生活はイヤだ。
綿がぺちゃんこになって、畳に寝そべっているのと変わらない。
そもそもお金がないのが悪いのだが、断じて働きたくないでござる。
労働意欲など“ゼロ”!
平日の午後4時なのに、躊躇なく部屋で寝そべり、時間を浪費していることからもわかるだろう。
そんな中、外から騒がしい足音が聞こえた。
おれの部屋の前で立ち止まる。
奥義『居留守之構江』を取ったが、訪問者には全く通じなかった。
さも当たり前のように鍵が解錠され、ドアが開け放たれる。
現れたのは、やはりミライだった。
「カルマ! 今日こそ家賃を払ってもらうよ」
「くかー」
秘技『狸寝入里之舞衣』を発動。
「狸寝入りってわかってんだから」
鳩尾を蹴られ、おれは悶絶。
奥義失敗。
ミライは勝ち誇ったようにまだくびれも出ていない腰に手を当てた。
「仕方ないわねぇ」
「何が仕方ないんだよ。いきなり店子を蹴る大家がいるか」
「家賃を払わない契約者など、ゴミ虫にも劣る」
すげー上から目線でいわれた。
今にも、ペッて唾とか飛んできそう。
「一体いつまで待てばいいの?」
「お金が戻ってくるまでだ」
そうだ。
あの居酒屋で仲良くなった投資家が、3000万円を持ってくれば、おれは金持ちになれるのだ。むふふふ……。
「カルマ、騙されたんじゃない?」
「な! 失礼だろ、ミライ。人を疑うなんて」
おれの剣幕に押されて、ミライは引っ込んだ。
「じゃあ、また手伝ってくれる」
「なんだ? また竈に火を入れるのか? それともアパートの草むしり?」
「わたしの勉強を見てほしいの!」
「また宿題かよ」
「違う。……わたし、魔術を使いたいの」
「お前には魔術師の素養がある。慌てなくても」
「今、使わなきゃダメ! だからお願い! またこの前に見たいに、わたしの頭に手を置いて、魔術を教えて!」
いつになくミライは真剣だった。
聞けば、魔術の実践授業が学校で始まったのだが、ミライはどうしても【水行】の初級魔術が使えないらしい。
「みんなは出来てるのに、ミライだけ出来ないんだよ」
急にミライの声のトーンが低くなる。
鼻をすんすんと啜り、涙を流し始める。
「おいおい。さっきまで、おれに家賃の支払いを迫っていた時の迫力はどうしたんだ?」
「わ、わたしだって、泣きたい時はあるよ」
そしてぽつりと言った。
「わたし、才能ないのかな?」
何度も聞いた言葉だ。
そしておれが何度も蹴っ飛ばした言葉でもある。
「凄いな、ミライは……」
「へ――」
「まだ頑張ってもいないのに、才能がないなんてわかるんだ」
「わかるよ。――だって、わたしは日本から【ノア】にやってきた。周りはずっと【ノア】にいて、同級生のお父さんもお母さんも魔術師で――」
ミライは堰を切るように喋り出す。
「【ノア】の適性審査に通った時は嬉しかった。おばあちゃんと同じの魔術師になれる。憧れの魔法少女になれるって……。でも――」
“住む世界が違うんだ、私は……”
ミライは声を絞り出す。
その少女の頭におれは手を置いた。
「才能がないなんて、本当に頑張らないとわからないものだ」
「じゃあ、わたし! どれぐらい頑張ればいいの!? 頑張ってるよ。わたし、頑張ってる! けど――。出来ない、よ……」
また泣き始めた。
おれは人差し指を、ミライの顔の前に立てて見せた。
「1人でいい」
「え?」
「1人でいいから。ミライが頑張ってるって認めさせろ」
「1人?」
「さしずめ目の前のニートで良ければ、付き合うぞ」
「魔術を教えてくれるの?」
「ただし! 火の魔術を覚えたようなやり方はしない」
「ええ!?」
ミライは呻いた。
「アレはズルだ。……だけど、それ以外なら教えてやる」
「ホント?」
「金は払えないが、おれには海よりも深い大らかな心がある」
「なにそれ? 意味不明」
「すまん。おれも言ってみたかっただけだ」
というわけで、おれたちは近くの広場で特訓した。
平日の午後4時。
おれはいつものように寝そべり、体力と空腹の消耗を押さえていると、また部屋の外から騒がしい声が聞こえる。
かちゃりと、鍵を回す音が響く。
しかし――。
「あれ?」
少女の戸惑う声が聞こえる。
ふふふ……。
こんなこともあろうかと、ドアの鍵は開けといたままにしておいたのだ。
秘伝『不用心波用心之術』!
しかし、あっさりとそれも破られた。
大方の予想通り、ミライが入ってくる。
「カルマ、やったよ! 『水行』の初級魔術の実践試験で、満点合格した」
評価シートをおれの顔の前に突き付ける。
確かにすべての評価で最高点。
花丸までつけられている。
おれは起き上がる。
「頑張ったな」
柔らかな赤毛の髪を撫でた。
ミライはおれに認められて嬉しそうだった。
「ところで、カルマ」
「なんだ?」
「家賃、いつ払うの?」
ミライのバックに、炎が燃えさかる。
おれは凄く頑張って謝り、なんとか家賃を待ってもらうように認めてもらった。
次は21時に投稿します。
よろしくお願いします。