女の子
地上から一気にビルの屋上へと浮上するような感覚。胸が圧迫されるような不快感と共に意識が戻る。
人の気配。周囲には何人かわからないけれども、結構大勢の人がいるみたいだ。ガシャ、ガシャ、という金属がこすれたりぶつかったりする音。全身の感覚を確認してみる。腕、脚、腰、首。うん、どうやら動くみたい。続いて、ゆっくりと目をあけてみる。
薄暗くひんやりした空気が漂う空間だ。淀んだ、埃っぽい臭い。やけに派手な鎧を着こんだ人たちがボクを見下ろしていた。それから石造りの天井……ボクはどうやら仰向けに寝かされているみたいだ。鎧!? どこなのここ? 首を動かして周りを見渡すと、やけに露出が多いお姉さんたちと、いかにも「魔法使いです」といった雰囲気のお爺さん達が目に入る。反対側に首を向けると、よろいを着込んだ人たちが……大きい。そして、そんな人たちが腰に下げている剣が怖い。刃物は台所の包丁や、社会人になってから使ってる3枚刃の剃刀くらいしか使った事ないし。
その鎧の人たちを内心あわあわしながら眺めていると、背後からおじいさんの声が。
「*+$%&-;;!」
……何を言ってるかまるで分らない。少なくとも英語ではないみたい。なんか興奮してるみたい。血圧とかだいじょうぶかなぁ。
(おお、儀式が成功したぞ! ……だな)
「ほぁっ!?」
耳元で聞こえた声にぎょっとする。この声……あの神様!? というか、ボクの声高くない?
(そうだな……私は君の鼓膜に直接働きかけている。とりたてて慌てる必要もない様子だが)
あ、そうなんだ。ところでボクの声は……カラオケでキーを下げなくても余裕で歌えそうだ。
「><?%&体を¥^」
ん? なんか単語はわかるような。んん?
(よーく聞くんだ。君はもうその言葉を理解できる知識は持っているのだから。ただ、そこにある知識は引き出さないとうまく使えない。睡眠学習のようなものだ)
……そうだっけ? あ、女の人が近づいてくる。艶やかな褐色の肌が艶めかしい。おへそが出てるし、ちょっとそれ以上近づいて来たらボクの「オトコノコの部分」が張り切っちゃうんだけど! ……あれ? なんか反応する気配がない。あれ? いまやお姉さんが耳元で囁いているというのに。
「さあ、お体をお拭きしましょうね。女の子はきれいにしないと」
あ、聞きとれる。うん、リスニングはOKだ!
……ん?
んん!?
お、女の子!? 誰が?
(君が、かな?)
えっ!!
慌てて胸をぺたぺたする。なんか柔らかい……っていうか痛い。そして、頂点の例のブツが女の子の胸であることを主張している。ということは……
ああっ! シュッっとしてる! 無い! 修学旅行で微妙なるコンプレックスを植え付け、それでも寂しい夜も大学時代に緊張のあまり彼女に慰められた失敗も、共に歩んできたボクの相棒が! コンプレックスなんて思ってしまってごめんなさい! 帰ってきていただけませんか!
「ひゃっ」
暖かい布で全身を拭かれる。ていうか、全裸じゃん!
「うひゃっ! うひゃひゃっ」
くすぐったい! すごくくすぐったいよ! もう口からは変な音しか出ない。
「はあっはぁっ……」
息も絶え絶えってまさにこのことだね。
「ではそろそろ首輪を付けてしまうか。言葉も判らぬであろう今のうちに、な」
しわがれた声が聞こえる。あのおじいさんの声かな。ん? 首輪……首輪?
「よろしいのですか? まだ幼い子供ですが……いささか不憫では」
反対側から男の声が聞こえる。鎧の人の声だ。多分。
「よいよい。見た目が大人だろうが子供だろうが、まして女だろうが……逆らえばいささか厄介なことになるのだ。我々はそれを覚悟のうえでこれを召喚したのだ。これを人間だとは思うな。これは……ただの武器なのだ」
(チッ)
体が強張っていく。そうか、この人たちはボクを人とは見ていないのか。頭の中でこの人たちがボクをどう見ているのか、どう使うのか……そんな思いがグルグル回る。服を着せられていると気が付いたのは、神様の呼ぶ声が苛立ちを帯びてきたときだった。
(気をしっかり持て! ほんとに道具にされるぞ!)
「う……あ……」
そうだ! 付けられたらきっと色々終わっちゃう! せっかくの力をアンナコトやコンナコトに使えなくなっちゃう。力? そうだ、力ってどうやって使うの?
そのとき、頭に鋭い痛みが走る。と共に膨大な魔術の知識が流れ込んでくる。いや、もう知っていたんだ。そうか、こうやって知識にアクセスできるんだ。魔力、術式、発動……
「さて、静かにしていてくれよ……」
兜を脱いだそこそこ甘いマスクの男の人がニコニコしながら首輪を持って近づいてくる。ボクは思わず今まで寝ていた石の台から体を起こし、遠ざかろうと反対側へ這う。シングルベッドほどしかない大きさの台だ。すぐに落っこちそうになる。
鎧の人は、さっきまでボクに服を着せていたお姉さんに「ん? 俺、そんな怖そうな顔してるかな?」眉をひそめて聞いた。
「いえ、ヤニ様はいつもどおり、女殺しの笑みですわ」
おんなごろし! イケメンめ! とボクは内心で憤慨する。あれ? 結構ボク余裕ある?
「ふむ……ねえ君」
鎧の人がボクの目の高さに合わせて屈みながら、ひとを安心させるような笑みを浮かべる。……その笑顔にはだまされないぞ。だってボクは元々男なんだから!
「どこかぶつけたのかな? 鼻血が出てるよ」
ん? ぶつけた記憶はないし、興奮……はしたかな。綺麗なお姉さんに色々触られたし。鼻の下に手を伸ばして拭う……あれ? ついてない。
(……馬鹿か)
ボクを見ていた鎧の人……ヤニさんだっけ。ヤニさんから表情が消え、すっと立ち上がる。
「拘束しろ! こいつ、こちらの言葉を理解している!」
……あ。
ヤニさんの後ろにいた鎧の人たちは、あっという間にボクの乗っかっている台を取り囲み、じわじわと方位の輪を狭めてくる。
「……まさか……ありえぬ! 異世界の者が我らの言葉を理解しているなど……」
今や輪の外に追いやられたおじいさんがひどく狼狽してる。ちょっとざまーみろって思う。
「だが恐らく事実だ……首輪が何かも理解しているはず。ここは拘束して付けるしかあるまい」
え? え? いい大人が寄ってたかって? (遺憾ながら)女の子であるボクを?
(警戒されたのだ。既に力を持っているのではないかと。な)
あああ! 持ってるはずがない知識を実際に持ってたら、そりゃ持ってるはずがない力も……ってことかー!
(まずは向かってきた者を怯ませる。術式は……これがいいか)
ふっと、ボクの頭の中に球体の網が浮かぶ。これが魔法陣。これを、魔力で投影させる。こうかな……あれ? こうかな……あ、でたぁ!
ボクの腕を掴もうとする鎧の人が目に入る。その奥にいるヤニさんの目が驚きで見開く。
(いまだ! 発動!)
魔法陣に魔力を流し込む。
「ギャッ! な、なんだ?」
電撃に弾き飛ばされた人たち。よし、今のうちに……
「我らと違う体系の魔術……まさか、東国の魔女の力……?」
(大体当たりだが、聖職者を魔女呼ばわりとはな。ここはやはり大陸中央部か……)
あ、神様じゃないんですね。
(次の術式を準備。これとこれ)
スルーするんだ……と思う間もなく次の術式が流れ込む。2つの球体。長方形の術式。これですね。はいっと。
(あ、目を閉じて!)
ん? 反射的に目を閉じたけど……
バンッ! と大きな音と、目を閉じていても感じる凄まじい光。長方形の術式は、静寂の術式だ。それを自身の周囲に発動させたのだけど、それでこの音……ということは。
周囲には立ってる人はいない。全員が倒れ伏している。お姉さんまで……ごめんなさい。
(呑気なことを思ってるようだけど、このわずかな余裕で君は何をすべきかな?)
え、あ。どうしよう。
「と、とりあえず逃げよう!」