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眠る思い、埋まる願い

彼女は守護霊でしょうか。

それとも悪霊でしょうか。

 春のうららかな日差しの中、一人のお婆さんと、その孫と思われる幼い女の子が歩いてきました。

 桜の花びらが雪のように舞う広場には他に誰もおらず、というかもともとこの広場に人が来ることは極端に少ないのです。

 お婆さんは孫娘の目の前でスコップを取り出して、ザクッ、ザクッと木の前の地面を掘り返しました。

 まだ幼い彼女でなくとも、その理由がわかるはずもありません。

 少女はお婆さんに尋ねました。


「ねえ、おばあちゃん。どうしてそんなことをするの?」


 お婆さんはにっこりと微笑んで女の子におとぎ話を聞かせました。


「おまじないみたいなものよ。手紙に夢や願い事を書いてここに埋めるの」

「叶うの?」

「いいえ。叶うかどうかはあなた次第だからね」

「じゃあどうして埋めるの?」

「見た子が応援してくれるからよ」

「ふーん」


 女の子はわからないので、いつかわかるだろうというお婆さんの言葉を信じたようです。

 お婆さんと女の子が去った後、ほんのり色が濃い部分が地面の土に出来上がりました。

 埋めたあとがバレバレです。


「ここからは私の仕事ってね。……いや、これは趣味みたいなもんか。仕事なんてたいそうなもんじゃないや。にひひひっ」


 私は姿を現してその跡に近寄ります。お婆さんの残した夢か願い事の紙を掘り返すために。


「それにしても、あの人、不思議な感じ」


 もともとお婆さんの言ったおまじないというのは、この地域では有名な都市伝説の一つとしてあるのです。


「ま、その正体が私ってわけだけど」


 しかしその都市伝説では、「おまじない」をした人は叶う代わりに不幸になるとか、ただ叶うだとか、もしくは叶わないなどといった、様々な形に尾ひれがついて広まっているのです。

 その中に一つとして、ただ「叶わない」が、「見る人がいる」とまで詳しく説明されたものはないと聞きました。


 誰からって?


 ここに肝試しで来た男の子たちの話を盗み聞きしました。


「どこかで会ったこと、あったかな? ……あ! もしかして」


 私は唯一、五十年ほど前に人と話したことがあるのでした。





 ◇


 あれは私の担当している桜の花どころか、葉でさえも紅く染まるような秋のことでしたか。

 都市伝説のない当時でさえ、この広場は自分で言うのもなんですが、立派な桜と裏腹に不気味なものとして認識されておりました。

 私のせいかもしれませんね。


 だから驚きました。


 周りの山と同じような真っ赤な夕日が沈み、薄暗い広場に一人の女学生がやってきたのです。

 昼でこそ、人が通ることはあれど夜になってここに来る人などこれまで皆無であったのです。都市伝説のおかげで増えたぐらいなのですから。

 だから女学生はもしかして人じゃないのでは……と人ならぬ私が怯えていたのは今思えば実に滑稽な話です。

 彼女は二本の三つ編みを肩まで垂らし、メガネをかけたいかにも真面目そうな子でした。


「はあ……ここなら」


 彼女はあろうことか、私の大事な桜の木に縄をかけたのです。

 そんなことをして今まで無事だったものはおりません。

 それこそ私のせいですが。


「何をする気なんだ!」


 私はとても怒りました。

 大切なものを傷つけられるかもしれないと知って黙ってはいられません。

 場合によっては、五体満足で帰れるとは思わない方がいいですね。


「死ぬつもりなのよ。もうこの世に生きていても仕方がないから。そう……こんな私にもお迎えってくるのね」

「お迎え? なんのこと? 私はその桜の木を守ってる的な何かよ。誰から命令されたかも、どうして守ってるかももう忘れたわ。どうでもいいことだから」

「本当にいたんだ。この桜の木は本当は建物を建てるために切られる予定だったのに、切る時分になって事故が多発したから続行不可能になったと聞いていたから」


 過去のことはどうでもいいのです。

 問題は目の前の彼女が、五体満足どころか命をここで絶とうとしていることです。

 いや、別にこの人がどうなろうとどうでもいいのですが、私はどうにも前からわからないことがあったのでこの際聞きまくってみようと思いました。


「じゃああなたは死にたい? あなたの夢や願いは死ぬこと?」

「え、ええ」

「よくわからないや。私は死ぬ方法がわからないからだけど、普通は自分の存在の維持を望むものじゃないの? ますますわからなくなったわ」


 そう、私がわからないのは人間のことです。

 好きなもの、嫌いなもの、望むこと、拒むもの。何一つとして共通性がなく、人によっても、時間によっても変わります。私の仕事には何ら支障がないのですが、それでもこんな退屈なことをしていると知らないものは気になるのです。


「好きだった男の人がいたの。思いの丈を伝えたのだけど、彼は遠いところに行ってしまうの。だから断られたのよ」


 よくわからないけど、人には戦争というものがあるそうです。その中でも神風特攻隊というところはまず生きて帰れないというのです。


「私は言ったわ。自分で怪我してでも行かないでって。国より大事なものがあるかと言って聞かなかったの」

「そのお兄さんもわからないね。人って死にたがりなの?」

「いいえ。勝つためには仕方ないの」

「へー。で、お姉さんは失恋したら死ぬの?」


 すっかり縄をかけるのをやめたお姉さんは、ややムッとした顔で言い返しました。


「あなたって本当に人の感情がわからないのね。どう思われるかとか気にしないの?」

「お姉さんはもう死ぬんでしょ? だったらどうでもいいよ。だって死んだ魂は私に干渉できないんだから」


 お姉さんは「はあ……」と溜息をついて縄を見ました。


「お姉さんは私に感情の一部を教えてくれたから、今回だけは特別に死ぬためなら縄をかけてもいいよ?」


 私はお姉さんの願いとやらを叶えるお手伝いとして申し出てあげました。もしかしたら喜んでくれるのでしょうか。だとしても死ぬのなら関係のないことですね。


「なんだかあなたと話していたら死ぬのが馬鹿らしくなってきたわ。生きてみる」

「そう。別にどっちでもいいけど。あっ! どうせ生きるのならまたここに願い事や夢とか教えにきてよ」

「……いいわよ。命の恩人だと勝手に思ってるしね。でもあなたいつもここにいるの?」

「あ、それは面倒くさい。じゃあこうしよう。木箱に書いた手紙を入れてここに埋めておいて。誰も掘り返したりはしないでしょ? 私以外」


 こうして私とお姉さんの文通的な何かは始まったのでした。


 お姉さんはあれから引っ越すまでの数年間、いくつもの「したいこと」、「されてほしいこと」を木箱に入れて埋めました。

 さすがに木箱をいくつも買うわけにもいかないので、埋める箱はいつも同じです。掘り返しては入れていくのです。

 私はそれを取り出しては桜の木のうろからつながる私の家に持って帰りました。持って帰っては読み返し、読み返しては考えました。

 味気ないので、私は新たな木の筒を用意して、その中にお返事を書きました。


『頑張れー』

『きっと叶うよ』

『私も食べてみたいな』

『やっぱりわからない』


 お姉さんは私と真逆でとても律儀でした。

 持って帰ってもよかった木の筒を、取り出しては読むたびに埋め直すのです。


 いつしか時は過ぎ、お姉さんはどこかへ行ってしまったけれど、その様子が誰かから噂になりました。

 あの桜の木の下に願い事を書いて埋めたら何かがあるのかもしれない、と。


 あれからいくつもの願い事が届きました。


 しかしお返事を見る人はいませんでした。誰もがそれを見ると、顔を引きつらせて埋め直します。たまに見ても、やっぱり埋め直すのです。


 私は何もしません。ひたすらに見ては家に持って帰ります。彼らが勝手に置いていって、その結果に納得していくのです。つまりは人の願望なんてそんな程度のものなのでしょう。夢なら自分で叶えるしかないのですから。


 私は次第にお姉さんのことを忘れていきます。物覚えは良かったはずなのですが、まるで覚えておくことを何かが拒否するように。




 ◇


 あれからもう、五十年も経っていたのですか。

 どうりで顔に懐かしさは覚えても、全然見覚えがないはずです。


「何十年ぶりの望みは何かな?」


 手の中でくしゃりと音をたてる手紙を開きました。

 中に書いてあったのは、お婆さんがあの日からどうして過ごしてきたかというものでした。

 朴念仁な私でも、その文面を見るには概ね幸せなようです。


「いひひっ。やっぱり死ぬのなんて馬鹿なんじゃん」


 そして最後の文面はこう締めくくられていました。


『次に願うとすれば、死ぬまでにもう一度あなたに会いたい』


 そこまで言うなら仕方がありません。

 今まで一度の願いも叶えなかった私ですが、別に操をたてていたわけでもないので、何かを曲げるわけではありません。

 あの人の家を見つけたら会いにいってあげましょう。

 どうしてでしょうか。感情なんてまるでわからない私が、何故か彼女と同じことを感じているような気がします。

 本当にこれは人間の「幸せ」なのでしょうか。

 だってどこかが苦しいのです。




 そして今日も私は手紙を家に飾ります。

 家の中にはたくさんの「したいこと」があります。

 そして桜の木の下にはたくさんの応援が眠っているのです。

彼女はお婆さんに会えたのでしょうか。

彼女は感情を理解できたのでしょうか。

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