日めくりカレンダー
良く晴れた元日の朝である。ポストの中には年賀状の束。「今年もよろしく」は彼女から、「今年も頼むぞ」は上司から、干支の絵柄が代わっただけで文面は毎年同じだ。さらにポストの奥を覗くと見慣れないA5サイズほどの銀色のケース。ステンレスのような金属に覆われ、表面でむき出しになった白い紙には『2014年 日めくりカレンダー』とある。
部屋に戻ってその表紙をめくる。日の丸の上に①の文字。その下にはなぜか算数の問題があった。問題は『1+1』で右横に解答欄がある。ヒマだった俺は『2』と書いて壁に取りつけた。
次の日起きるとエアコンの風で①の紙がそよいでいた。めくると②の下にも算数の問題。『1-1』に『0』と書く。就寝前に②の紙を剥がそうとしたが糊付けされたみたいに張り付いている。カレンダーは金属の弁当箱に入ったような形になっているから、側面から剥がすこともできず、面倒になって俺はそのまま寝た。
翌日すぐにカレンダーへ目を向けると、②の紙がヒラヒラしていて容易に剥がすことができた。昨夜はあんなに苦労したのに、中はどんな構造になっているのか、腕を組んだがまずは今日の問題だ。『2×2』にバカらしいと思いながらも『4』と書く。
この日以来、起床してカレンダーをめくって問題を解く、というのが俺の日課になった。問題は少しずつ難しくなっていき、⑱の問題は『31×31』で電卓の世話になる。この晩は日付が代わった直後に紙を剥がそうとしたが剥がれなかった。おかしいなとトイレへ行き、明日の買い物について考えながら部屋に戻ると今度は紙がめくれかけている。どうやらカレンダーを意識している間は剥がれない構造になっているようだ。
そんなある日、元旦に日めくりカレンダーが送られてきたかと彼女に訊いてみた。彼女も答えを記入していたが四日目に書き忘れ、翌日は④の紙がどうしても剥がれず、不良品だと思って捨てたという。俺はここで気づく。答えを書かないと翌日に紙は剥がれないんだと。
二月に入ると小数点が加わり、三月では面積の登場である。俺は算数の参考書を買った。たまたま再会した旧友がカレンダーの話題を持ち出してきた。俺と同じ日めくりカレンダーが元旦に送られてきたが、答えを間違えると翌日から剥がれなくなったらしい。不正解でも剥がれないのかと、優越感を少し覚えながら俺はわざと興味なさそうに相槌を打った。
四月になると公倍数、五月は分数、六月は体積である。算数が苦手だった俺はもはや出勤前の解答は難しくなっていた。問題を手帳に記して昼休みに解くという日々になった。無趣味の俺にはうってつけの楽しみとなったが、まだ彼女には黙っていた。子供じみたことに夢中になっているようで、恥ずかしかったからである。
彼女に発覚したのは七月だった。部屋へ遊びに来た彼女がトイレへ行った隙を狙い、方程式に取り組んだ。だが、戻ってきたことに気づかず、計算しているところを見られてしまったのだ。なぜ黙っていたのと怒られたが、バカにされなかったので胸を撫で下ろす。
八月には円の問題が現れ、九月は平方根のお出ましである。緊張感は日増しに高まっていった。昼休みに解けず、帰宅してから再開する日が増えていった。デート中でも問題が頭から離れず、会話も上の空になってしばしば怒られる。
高校数学が登場したのは十月だった。まずは三角比だ。こうなると意地である。夕食が終わっても問題に没頭した。長時間のデートはもはや無理だった。㉖の問題に集中していた時に彼女から電話。別れ話だった。俺は怒鳴った。今忙しいんだと。
こうして俺は彼女にふられてしまったが、かまってくれないとうるさく言われることもなくなり、むしろせいせいした気分だった。
十一月の前半は微分係数、後半は不定積分の出題である。俺は深夜まで問題に取り組んだ。もちろん日付が変わるまでに答えなければならない。解答後も頭が冴えて寝酒の量が増えた。遅刻を繰り返し、仕事での単純ミスも頻発した。上司に何度も怒られたが平気だった。難問に直面した時の奮い立つ気分。その高揚感たるや、まるで戦場に向かう歴戦の勇士の気分である。そして起床直後の、正解かと恐る恐るカレンダーに目をやり、昨日の紙がヒラヒラしているのを見た時の達成感。その喜びに勝るものなどこの世にあるだろうか?
十二月に入った途端、俺は解雇された。職務怠慢が理由である。当然俺は喜んだ。もっと早く辞めるべきだったと後悔したいくらいだ。ともかくこれで一日中問題に取り組める。貯金があるので一ヶ月くらい生活費には困らない。もちろん、今日間違えるかもという大きな不安感に囚われた毎日ではある。だが、それ以上に抑え切れない期待感をも抱いていた。最後まで正解すると、選ばれし者になるのではないか、と。
十二月の①の問題は媒介変数表示、⑩は無限等比級数だった。⑮の確率変数の標準偏差には九時間かかる。㉕の独立反復試行の最大確率には十三時間だ。
そして大晦日。無限を題材とした究極の問題が出た。早朝から考えに考え、昼食抜きで部屋を歩き回った。午後に入ると突破口が見えたが、素数の扱いで行き詰まる。紅白歌合戦が始まって俺は焦った。除夜の鐘が聞こえ出した頃、突然素晴らしい閃きがあり、計算用紙に猛烈な勢いでペンを走らせる。何とか間に合ってくれと、あと三分で新年というとき、俺は答えを㉛に記入した。
感無量だった。俺は倒れ込むようにして座椅子に背もたれ、酒をあおった。今まで取り組んだ問題に想いを馳せようとしたが、疲れ果てていたために俺はすぐに寝入ってしまった。
俺は突然跳ね起きた。虚数の位置が間違っていたのに気づいたのだ。すでに朝日が射し込んでいる。俺は頭を抱えた。激しい虚無感に陥って放心状態となった。
やがて、ゆっくりと、悪魔を見る想いで日めくりカレンダーに目を向けた。
案の定、㉛はべったりとくっついたままだった。彼女も仕事もすべてを犠牲にした結果が、これか。叫び出したくなるような自己嫌悪に陥りながら俺はその場でうずくまった。涙は出なかったが、自殺する人間の気持ちが、痛いほど理解できた。
小一時間は経っただろうか。外の空気を吸いたくなって、俺は力なく立ちあがり、玄関の扉を開けた。
良く晴れた元日の朝である。ポストの中には年賀状の束。「今年もよろしく」は彼女から、「今年も頼むぞ」は上司から。いつもの文面だなと思った時、俺は愕然とした。彼女にはふられたはずじゃないか。会社もクビになったんだろ。ポストの奥には見慣れた銀色のケース。『2014年 日めくりカレンダー』とある。
2014年? 今年は2015年じゃないのか? だが年賀状の干支は去年と同じだ。誰かの悪い冗談かと部屋に戻り、テレビをつけた。どのチャンネルも去年と同じ年や干支を伝えていた。ああ、そうか。最後の問題を間違えたからなと、ようやくここで気づく。
俺は留年したんだ。