第二話 リングラード家
拝啓、日本にいるお父さん、お母さん。
「やあ! 初めまして、クルド・リングナードだ。お父さん、と呼んでくれ!」
「初めまして、ワタクシはエリナ・リングナードと申します。お母さん、と呼んでくださいね?」
「は、はははは初めまして! エルナ・リングナードです! お、お会いできて嬉しいです……お兄様」
何故か新しい父と母と、一人っ子の筈なのに妹が出来ました。
「今日はいないが、二十歳の娘もいる。確か君は一八歳だったね? 姉と思って仲良くしておくれ」
あと、姉も出来るみたいです。
う~ん、どうしてこうなった……っと、観光するという台詞の後の流れを思い出してみる。
『ふははははははっ! 知己も居ない世界に一人やって来て観光か! 随分と肝が据わっている。気に入ったぞ!』
『はぁ、どうも』
『良し、貴公はリングナード子爵家へ養子に入って貰おう。あそこは跡継ぎの男児も居らぬし、当主は余の古い知己でもある。連絡も取り安かろう』
『へ? 養子? ちょ、何で……!?』
『貴公は身分を証明する物が何もあるまい。ならばリングナード家へ入れば身分証も発行できるし、国からの支援も理由を付けやすい。遺跡を探すとなれば国外へ出る事もあろうし、一市民に国から援助すると何かとおかしな勘繰りをされるかも知れぬ』
『確かに、そう言われればそうかも知れませんけど。他国がどんな所かは知りませんが、間者とか思われたらやり難いですからね』
『そういう事だ。では、明日子爵家まで案内させるとしよう!』
『早い!』
……と、こういった流れだった。
まさしく即断即決、流石は国王と言うかちょっと考えろよオイとか思ったり。
初めての異世界の夜を客室で迎え(部屋の外と窓の下に監視の兵が居たけど)、夜空に浮かぶ突きを眺め(青と赤と黄色の三つがあったけど)、やっぱり地球じゃないよな~っと思いつつ一晩を過ごし。
案内の兵士に連れられてリングナード邸にやって来たのだった。
ちなみに制服のままだが、こちらは晩春のようなので上着は預けワイシャツとズボンだけだ。
グラム王国王都グラリオース。
ヒューム大陸の南方に位置する大国であり、大陸においても古い歴史を持つ国の一つだという。
その王都である此処グラリオースは、俺が飛ばされる原因となった古代の魔法施設である王城を中心に造られている。
どうやら獣避けや魔物避けだかの結界が周囲に有り、土地そのものの利便性もあって数代前に遷都してきたらしい。
王城の窓から見た光景は巨大な城壁に囲まれた西洋風の家屋の数々で、高層建築なんかは無いものの綺麗に区画整理された美しい光景だった。
城壁の外には草原が広がっていて、そのまた向こうには森や山も見ることが出来た。
そんな王都の街中を王城から馬車で揺られる事数十分。
一際綺麗に舗装された道と広い敷地や大きな屋敷が並び立つ、通称貴族区画という場所に連れてこられた一角がこのリングナード子爵邸と言う訳だ。
まず屋敷に入る前に門と門兵、広い庭、そして日本住まいの俺にとってちょっと眩暈がするほどの大きなお屋敷。
これでも屋敷の規模は貴族区画の中では中の下程度らしい。
日本人とはスケールが違う。
……そんな事はともかく、義理で王命とは言えいきなり息子を押し付けられたリングナード子爵家は面白くないだろうな思っていた。
居辛いのはやだな~、四六時中白い目で見られたら嫌だな~……とか思っていたら、まさかの歓待である。
「さあさあ、そんなところに突っ立っておらずに中に入ると良い。何、遠慮する事は無い、今日から君の家なんだからね!」
「昼食まだなのでしょう? 食事をしながらゆっくりとお話を伺いたいわ。ワタクシね、息子と一緒に食卓を囲むのが夢だったのよ」
「あ、あの、お兄様。こちらへどうぞ!」
「……あっれ~?」
人の良そうな笑みを浮かべる淡い金髪のリングナード子爵、穏やかな笑みを浮かべる胡桃色の長い髪を持つ子爵夫人。
それから亜麻色のふわふわした髪を持つ愛らしい子爵令嬢が、緊張を滲ませつつも待ちきれないとばかり俺の手を引いて奥へと誘う。
……この歓待が演技なら、俺は相当な人間不信になる自信がある。
あれよあれよと間に丸いテーブルに座らされる俺。
状況を整理する間もなく、スープやパンといった昼食が運ばれてくる。
「さて……悪いが、席を外してくれ」
「かしこまりました」
食事が揃うとリングナード子爵は後ろに控えていた執事を退出させ、部屋に残るのは食卓に着いた子爵一家と俺だけになった。
子爵夫妻は見たところ、四〇代に届いていないくらいに見える。
一八歳の俺より上の娘が居るにしては、俺から見ればかなり若い方だと思う。
そして子爵令嬢(妹)の方は中学生……いや、ひょっとして小学生かもと思える、一〇代前半のぐらいの年頃だ。
西洋人の歳の判別なんてさっぱりなので、適当だが。
「えっと、加賀達也と言います。急な事で迷惑かも知れませんが、しばらく御厄介になります」
取りあえず、挨拶だ。無難な流れだろう、俺はまだ自己紹介もしていなかったのだから。
そう思ったのだが、何故か子爵と子爵夫人は互いに顔を見合わせた。
「おお、そうだったそうだった! すまないね、国王から既に書簡で聞いていたものだから、てっきり君から聞いた気になってたよ」
「もう、アナタったら。そそっかしいんだから。ふふふふっ」
「あっはっはっはっは!」
何だろう、このアットホームな雰囲気は? 貴族ってなんかこう、こう偉ぶってて下々の者は認めん!
貴様何処の馬の骨だヒャハーーッ!……的なイメージがあったんだけど。
あれ、なんか違うイメージも混ざってる?
「異世界からやって来たという事だから、知らない事ばかりで大変だろう。遠慮なく私たちを頼って良いからね」
「あ、それもご存知……というか信じるんですか?」
国王が教えたのに不信感が芽生えかけるが、よく考えれば俺は小世界の常識が皆無。
それなりの期間を一緒にいるなら、最初から教えておいた方が互いに心構えも出来て良いだろう。
だからといって、簡単に信じられるような話でもないだろうに。
「おや、タツヤ君は聞いていないのかな? 君が謁見した時に筆頭宮廷魔法師のグラムス殿がいただろう?」
あの黒いローブの男か。
ちなみに魔法師は宮仕えの魔法使いの呼称で、そうでない者は普通に魔法使いと呼ぶらしい。
「彼は希少な虚偽発見の魔法の使い手でね、君が嘘を言っていない事は証明済みという訳さ」
トゥルーチェック、つまり嘘発見器の魔法版と言う訳か……って!
「ど、道理でこちらの言う事を鵜呑みにすると思った……」
「それにあの陛下が是非養子にと推すのだ、それだけで私たちとしては君を信じるのに十分な理由となる」
「……え~と、こう言うと何ですが、随分と国王を信用なさっておいでなのですね?」
「君が戸惑うのは無理もないね。ただ、私と国王は古い友人……いや、悪ガキ仲間だったと言った方が良いかも知れないね」
「悪ガキ仲間、ですか」
「そうなんだよ。幼少の頃屋敷から抜け出して城下町へ繰り出していた頃に、同じく城から抜け出していた陛下と出会ってね。私は次期子爵で陛下は王太子、身分に差こそあったが妙に気が合って遊びまわったものだよ」
「御二人とも随分と仲良しだったのですよ? 婚約者であるワタクシを放って遊んでらしたのですから」
子爵夫人が拗ねた様な声を出すが、目元は優しく微笑んでいる。
国王の言っていた古い知己は子爵だけでなく、子爵夫人も含まれているのか。
「陛下は今でこそ落ち着いているが、私などよりずっとやんちゃでね。身分を隠して市井に紛れていたものだから、危険な事にも良く会っていたものだ。だが不思議と直感が働くようで、私から見たら驚くような選択をしても何故か丸く収まってしまうのだよ」
理屈では無く直感で動くタイプの人間か、国王は。
振り回される周りはたまったものじゃなさそうだけど。
「その国王が言うのだから、俺を、じゃなくて自分を家族に迎えるのに抵抗は無いと?」
「はははっ、言葉遣いは無理やり直さなくても良いよ。陛下は敬愛する主君であり親友だ、繰り返すけど陛下の言だけで十分なんだよ。それにこうして君と会ってみて、私も君の事が好きになれそうだしね」
「ええ、思慮深くてワタクシ達にもキチンと気を遣っている良い子ですわね。それに神秘的な黒い髪と黒い瞳、落ち着きを感じさせるその顔は素敵だと思うわ」
夫人の言葉に苦笑いで返す。
髪と目は知らないが顔は多分地味なだけだろう、物は言いようだな。
それから言葉通りに全て受け止めておくのは止めておこう、王命って俺なんかが思うよりも絶対のものらしいし。
「褒めて頂き恐縮ですが、何処にでもいるような十把一からげな地味な顔で……」
「そんな事ありません!」
俺の言葉を遮り、それまで黙っていた子爵令嬢が急に大きな声を上げた。
俺はビックリしてその可愛らしい顔を見る。
「お、お兄様ははとても暖かくて素敵なご尊顔だと思います! お兄様になるのがお兄様で、わたしはとても嬉し……はぅ」
俺だけじゃなく子爵と子爵夫人にも凝視されてる事に気が付いたのか、顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏してしまった。
「……ふむ、娘も君の事を気に入ったようだな。結構結構、あっはっはっはっは!」
「素敵なお兄様に憧れていたものね、良かったわ~」
子爵夫妻の言葉にますます小さくなる子爵令嬢。
俺、まだ中身のあるような会話一つもしてないような気がするのに、気に入られているみたいなんだけど良いのか?
そりゃま、女の子に嫌われるよりはマシだけど。
「ああ、君が異世界人だという話は出来るだけ広めないようにね。現状では我々一家に陛下、一部の重鎮しか知らされていない事だからね」
「ええ、余計な面倒事をしょいこむつもりはありませんから」
「うん、話が早くて助かるよ。さて、食事が済んだら屋敷の中と使用人たちを紹介しよう。それから君自身の話も色々聞かせてくれ」
「あらアナタ、この子もワタクシ達に色々聞きたい事があるでしょうから、質問ばかりしていては駄目ですよ?」
「わ、わからない事があったらわたしが教えて差し上げます!」
何と言うべきか。マイペースな子爵一家に流されつつもホッとしたものを覚えた俺は、屋敷に来るまでの緊張が抜けた手でスプーンを操りスープを口に運ぶ。
……うん、美味しい。
□
「ふぅ、疲れた……」
夜、屋敷の二階にある一室を割り当てられた俺は、ふかふかのベッドに身を投げながら思わず呟いた。
昼食後。
俺は子爵一家直々の案内の元、使用人の紹介から屋敷内の説明を受けた。
他にも屋敷周辺の地理や王都グラリオースの事、ヒューム大陸にある他の国の事なども聞く事が出来た。
迷宮国家ラビネス
森の国エルファン
海底王国ファールス
鉄の国ドヴェルグ
等々、他にもこの大陸には小国家群など一度に覚えきれないだけの国がある。
何せ、この大陸は相当な広さがあり、地図(縮尺は大変怪しく不鮮明だったが)が正しければユーラシア大陸並の面積を持っているのだ。
中で気になったり、面白そうだったり、名前に覚えがある国があったりする国が上に挙げた四つなのだが、今日のところは詳しい話を聞く事は叶わなかった。
俺自身も様々な事柄について子爵一家に語ったからだ。
ここに来るまでの経緯、家族構成、日本での生活、日本ではどのような物があるのか、魔法は無くて不便ではないのか、恋人の有無、身長体重、好きな食べ物、好みの女性のタイプetcetc……
……これ、国王に探りを入れているように頼まれているのかも知れないが、後の方は全く関係無いような気が。
そんな互いの興味を満たす話が一日で済む訳もなく、こうして夕飯が終わり解放された訳だ。
「……ん、駄目だ、このままだと寝てしまう」
眠りに落ちそうな頭を振って重たい体をベッドから離し、腰のベルトに引っ掛けていたキーホルダーに手を添える。
キーホルダーは銀色をした小さな立方体で、パッと見は雑貨屋で売ってそうなシンプルなキューブだ。
そのキューブの一面がパカッと外開きに開く。
中身は何故か暗く光を通さないが、構わず手を突っ込む。
突っ込むとは言っても五センチ角ほどしかないキューブ、手など突っ込めるはずないのだが……俺の手は虚空に呑まれ手首から先が消えた。
俺は気にせず探り…………お、あった。
「よしよし、電子機器は全部駄目になったけど、『妖精の小箱』は使えるみたいだな」
引き抜いた手とその手が持っている物、それから閉じたキューブを見て満足げに頷く。
『妖精の小箱』
この小さな小箱を通して保存用に作られた空間と繋がり、そこに入れたままの状態で物を保存できる魔法の品。
魔法の品、である。
筆頭魔法師グラムスのトゥルーチェックでは『俺の世界に魔法は無い』という言葉に嘘を発見できなかった。
嘘じゃない、日本というか地球に魔法と言うものが存在しないのは事実だと俺は思ってる。
だが、地球でも、ここでもない別の世界には……ある。
俺は手に持った金色に輝く一本の鍵――三つ葉と伸びた棒の先に旗状の細工がしてある棒鍵――を、立ち上がって宙に向かって突き出す。
そして捻ると、何もないはずの空間からカチャリと金属音がして、鍵の先から滲みでるようにして一枚の扉が現れた。
黄金に輝く重厚な扉が。
幼い頃に祖父の蔵を漁って見つけた鍵は、『幻獣の庭』と住人達が呼んでいる世界と現在位置を繋ぐ魔法の鍵だった。
幼い故に無知で無謀だった俺は、好奇心に駆られ単身足を踏み入れ様々な住人達と出会う事になる。
『妖精の小箱』もまた、そこで出会って仲良くなった”自称俺の姉”からのプレゼントだった。
……もらった理由は、一度に大量の土産物を良い状態で持って来てもらう為だったが。
「さてと、眠くならないうちに行きますか。あの人なら帰れる方法も知ってるかも知れないからな」
小箱をくれた人物を頭に描きながら、鍵をしまい扉に手を掛けた。