目眩
はぁ‥‥。小さくため息をつきつつ、お店を出る。ファーストフードでの作り笑い、どうしてもひきつるの。このバイト向いてないのかな‥‥。夏の蒸し暑い夕暮れ。私は白い半月が浮かぶ、薄暗い空を見上げる。
「‥‥タカナシサツキ」
目の前に私の名を呼ぶ、見覚えのない綺麗な顔の少年。
「俺も斉木が好きなの。半分こしよう」
何が起きたか分からない。あなたは、誰?
私達は近くの公園に移動した。木陰になってるベンチ。でもちっとも涼しくない。風がないせいだね。背中に汗がじっとりと張り付いている。
「‥‥あなた、誰?」
私はずっと思いつめた顔のままの少年に問う。
「はっきり言って気持ち悪いよ。なんで私の名前、知ってるの?」
「斉木の好きな人だから」
少年が答える。さっきも聞いた名前。
「‥‥斉木さんって誰?」
彼の目が大きく見開く。本当に何が何だか分からないから、私は質問する以外、ないでしょう?
「タカナシサツキ、斉木を知らないの?」
彼の語尾は微かに震えている。何故か私の名前、フルネームで呼ぶし。
彼は明らかに動揺している。私は静かに頷いた。
「‥‥そっか。なんだ。そうなんだ」
‥‥‥自己完結ですか。一言呟いた後、彼は放心したかのようにしばらく無言でいた。
「‥‥‥俺、八代潤平って言います。今、中二で斉木とはクラスメートです。‥‥斉木は貴方のことが好きで、毎日貴方のバイト先に通ってるって言ってました。毎日、毎日、貴方の話です。貴方がこうしたとかこう言ったとか、まるでもの凄く親しくなっていっているかのように」
やっと口を開いた彼は、地面の一点を見つめながら、更に続ける。
「そして言ったんです。”告白してみるよ”って。俺、斉木を貴方に取られたくなくて。‥‥斉木のことが好きだから」
彼は真剣な顔で私を見ている。喉が渇いた。
「斉木さんって男の子?」
声が掠れる。
「男の子って言い方、やめてください。子供じゃないです」
「だって私二十二だよ。中学生と付き合えるはずないじゃない。大体、八代君は男の子‥‥じゃなくて男の人が好きなの?」
こういう時にありがちな、好奇心だけの下品でくだらない質問をしてるって分かっている。でも、聞かずにはいられなかった。
「‥‥‥そんなこと分からないよ。男を好きになったのは斉木が初めてだけど」
丁寧語から一気にため口に変わる。彼の幼さが強調されて、決して馬鹿にしているとかではなく、なんだか可愛いと思ってしまう。
「八代君って不思議だね。‥‥びっくりした。どうして半分こなんて言ったの?本当に好きならきっと半分でなんて満足できないよ。そんなのは恋じゃない」
「だって、どうしようもない。‥‥斉木から貴方を好きな気持ちは奪えない。でも俺も斉木をあきらめきれない」
彼は痛そうな顔で目を伏せた。
「斉木は貴方のこと、本当に好きだから」
私は改めてまじまじと彼を見た。やはりよく見れば見るほど整った綺麗な顔をしている。真剣で‥‥不安定。ユラユラと定まらない視線。とても現実とは思えない。彼の不安定さ、幼さ、愛しく思える。こんな情熱、もう私にはない。私は、なくしてしまった。
不意に、熱を直に感じたくなって、彼を抱きしめたくなった。
「‥‥斉木くんを、半分あげる」
私は、きっぱりと言った。彼はものじゃない。良く分かっている。
「代わりにあなたの半分を私に頂戴」
そんなこと、出来ないでしょう?八代君は、一瞬驚いた顔になって、私をじっと見つめた。
「‥‥‥‥いいよ」
視線が合わさる。
ああ、彼は本気だ。背中を汗が流れていく。肯定の返事、最初から分かっていた気がする。分かっていて聞いたのだ。どうしよう。冗談だよって笑い飛ばしてしまおうか。
「喉渇かない?私、何か買って来るね」
真剣な視線に耐えられず、逃げてしまった。心臓が高鳴る。言わなくちゃ。冗談だよって。大人の私が中学生と付き合うなんて非常識だって。いや、そんな道徳的なことではない。気持ちを無視して、人を半分こなんて出来るわけがないって。例え両想いになったとしても、その人は決して自分の所有物ではないのだ。そんなこと、分かりきっているのに。
「高梨五月さん。急に、すみません。僕、斉木章と言います」
振り返ると、少年。
‥‥‥‥白く霞む。
どうしよう。蝉の鳴き声だけが大きく聞こえる。息も絶え絶え。自販機に、寄りかかりながら‥‥‥目眩がする。
お読みいただき、ありがとうございました。
2007年の作品です。
少し改訂しましたが、かえってバランスが悪くなってしまったような気がします。当時とは感覚がずれているのかもしれません。拙いなりのバランスがあったのかもしれないです。難しいですね。
感想などいただけましたら、とっても嬉しいです。