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鱗とリストバンド

作者: 富士見 春彦

はじめまして、富士見春彦といいます。

今まで読む方専門だったのですが、今回小説を書かせて頂きました。

とはいっても短編ですが。

とにかく、最後まで楽しんでいただけると幸いです

クラス会の手紙が届いた。

差出人は昔懐かしい高校のクラスメイトだった人物だ。

そういえば卒業式の時、泣き笑いで「俺が皆を呼ぶから、10年後にクラス会とかやろうぜ!!」と言っていたのを思い出した。

とは言え卒業してから今年で14年になっている辺り、遅刻の常習犯だった彼らしい。

ふと思い出に浸りたくなり、卒業アルバムを押し入れの奥から引っ張り出してきた。

結婚して実家を離れるときに何となく持ち出していてよかった、と今になって初めて思った。三年間埃を被らせて忘れていたのに、だ。

ページをめくりスナップ写真に目を通していくと、ある写真が目に入った。

写真の中では、若かりし頃の僕と当時の親友が肩を組んでいた。

その写真を見ていると、彼との思い出が僕の海馬に流れ込んできた。

彼のことを初めは理解出来ず、突き放してしまった僕と、右手に鱗を持っていた彼の思い出が……。





彼のことを呼ぶにあたって、仮にOとしたいと思う。

彼とは高校に入った時に知り合い、その後三年間同じクラスになったのでかなり親しくなった。

Oはすらりと痩せていて背が高く、整った顔立ちをしていた。

また彼は頭がよく、定期考査の点を見せあっては落胆したものだ。

しかしOはそれを鼻にかけない謙虚さすら身につけていた。

クラスを引っ張るタイプではなかったものの、彼の周りにはいつも誰かがいた。僕もその一人だった。

彼は優しい笑顔を浮かべ、いつも幸せそうだった。そう思っていた。

あるとき、僕はOの右手にそれ程小さくないタコを見つけた。それは右手人差し指の付け根に、鱗の様にくっついていた。

「これ何だ?」

僕が何気なく聞くと、彼は少し困ったように笑って言った。

「……あ、あぁ、これか? 生れつきなんだよ。気にしないでくれ」

その態度には何かひっかかるものがあったが、すぐにどこかへと飛んでいった。

そして「それ」の正体は、数ヶ月後、完全に記憶から「それ」が消えていた頃に発覚した。




その日は夏休みを利用して、友人数名と共にOの家に泊まりに来ていた。最初は全員が夜通し起きていようとしていたが、一人眠り一人倒れ、やがて僕も眠りに着いた。



そして、僕は奇妙な音に目を覚ました。表現はしにくいが、まるで溺れている人間が必死に呼吸をしようとして水を吸い込み、吐き出してしまうような、そんな音が僕の鼓膜を微かに揺らした。その音は小さかったが、確かに僕を覚醒へと導いた。

寝ている他の友人を起こさないよう慎重に彼らをまたいでいると、Oがいないことに気づいた。

僕達が眠っていた和室を出ると、その音は少し大きくなった。音の出る方へそろそろと足を進めていくと、下から光が漏れている鍵つきのドアの前にたどり着いた。

トイレだった。鍵はしまっていなかった。僕は悩んだが、ノックをしてみると、弱々しくノックが帰ってきた。

Oのご両親は町内会での温泉旅行だかで不在だと聞いたので、ドアの向こうにいるのは兄弟のいないOで間違いないだろうと思った。

僕は意を決して、ドアを開けてみた。

「……何してんだよ、お前……」

そこには、自分の指を喉の奥へと押し込み、胃の中身を便器の中へ絞り出しているOの姿があった。

「……ぇあ、き、君か……」

ゆらりとこちらを振り向いた彼の目は焦点が定まっておらず、それでいて奇妙な多幸感に酔いしれているようだった。彼の右手や顎は吐瀉物で汚れていた。

一瞬Oが酒でも飲んだのかと思ったが、誰もそんなものは持ち込まなかったし、何より真面目な彼が未成年の身で飲酒などするとは到底思えなかった。

とりあえず僕はOに吐くだけ吐かせ、手や顔を洗わせたり、口を濯いだりうがいをさせたりするために洗面所へ連れていった。



「……ごめん。驚かせたみたいだ」

蛇口をひねって水を止め、少し落ち着いたOが呟くように言った。

「……いや、確かに驚いたけど、大丈夫か?」

Oは僕の問いに答えず、少し顔を下に向けた。

「これ、生れつきって言ったろ? あれ、嘘なんだ。吐きダコなんだよ」

彼は少し右手をあげて僕に「それ」を見せた。「それ」は、僕がかつて言及した時より、少し大きくて赤かった。

何度も指を喉の奥に突っ込んでいると、利き手にタコができてしまうという話を思い出して、僕は思わずOの顔を見た。彼は黙って頷いた。

「……僕は、吐瀉依存。いわゆる吐き癖持ちなんだ」

そして、僕は彼の物語を聞くことになった。




その時からおよそ10年ほど前、僕と知り合うよりずっと前の小学生の時、Oは相当内気で少し太り気味な子供だったそうだ。

自分の意見を上手く伝えられず、頑張って喋ろうとするといつもどもってしまった、と彼は語った。

そのように引っ込み思案な性格から、Oはいじめっ子の格好の的となった。

教科書や上履きを隠されたり、机に油性のマジックペンで汚い悪口を書かれたり、酷いときにはどこからか拾ってきた小鳥の死骸を下駄箱に入れられたこともあったそうだ。

そのようなことをされ続けたら、学校に行けなくなるのは想像に難くない。

やはりOはストレスで体調を崩し、長い間学校にいけなくなってしまったそうだ。

そして小学五年生になった頃、胃炎で吐き戻してしまったときに目覚めたらしい。



吐瀉の快感に。



胃の中身と一緒に、嫌なこともすべて体の外に出せるような気がした、とOは言っていた。

吐く瞬間までは苦しくて苦しくて泣きそうになるが、吐いてしまえば楽になって何もかもが許せてしまえたらしい。

クラスメイトに便器を舐めさせられた。吐いた。勇気を振り絞って先生に相談したが、相手にされなかった。吐いた。好きだった女の子に近寄らないでと言われ、唾を吐きかけられた。吐いた。いじめられているなかでも数少ない友達だと思っていたクラスメイトが、自分の体操着入れに泥を入れているのを目撃した。吐いた……。

彼が紡ぎだす昔話は、どれもこれも耳を塞ぎたくなるような辛いものばかりだった。



そうして彼は中学に上がった頃、変化に気づいたそうだ。

吐くことによってストレスを解消したせいか、明るい性格になった。

吐きつづけた結果吸収される栄養が減り、太めだった体が痩せてスリムになった。

そして、いじめっ子達が違う中学に上がったため、自分を傷つけようとする人達がいなくなった。

彼は吐くことに救われたのだ。

そうしてますます嘔吐の虜になっていき、嫌なことがあればすぐに吐き戻してしまう癖がついて今に至る、というわけだ。




話を聞き終えた時、僕は震えていた。

「吐くことは、僕から無駄なものを取っ払って、僕を変えてくれたんだ」

そう話すOの表情は、まるで恋をする少女のようにうっとりとしていた。

けれど、僕の目には、彼は絞首台の上で演説する戦犯のように見えた。

「……お前おかしいよ」

固まったのどから、かすれた声で出た言葉がそれだった。

Oは、少し驚いたように僕を見た。

「君なら理解してくれると思ったのに。だって……」

「僕はお前とは違う!! 吐いたって何も変わらないじゃないか!! お前は現実逃避してるだけだろう!! 僕にはちゃんと現実が見えてるさ!! 僕は……」

一瞬のどが詰まった。Oは、雨の中に捨てられた子犬のような目で僕を見ていた。それでも僕は無理矢理言葉を放った。

「僕はお前みたいな、ゲロを撒き散らして喜んでる異常者とは違うんだ!!」

言ってしまった。言葉が暴発してしまった。そんなことをいうつもりじゃなかったのに。何か言いたかった。でも、何も言えなかった。

「……なんだお前ら、朝っぱらから喧嘩か?」

そこに、目を覚ました友人の一人が割り込んできた。

気づくと、時計は短い腕を必死に七の方向へ伸ばしていた。窓からは夏の暑苦しい日光が流れ込んできていた。

「……なんでもないっ」

何となく強い口調になって、洗面所を出た。そしてその日の夕方、僕達は解散した。



新学期になっても、僕とOは何となく互いに近寄らなかった。友人達は泊まった時に何かがあったと察したが、そっとしておいてくれた。



そして、残暑バテと親友と話さなくなったストレスで体が弱っていたのか、僕は体調不良で学校を休んでしまった。

頭痛と吐き気にさいなまれ、とうとう吐いてしまった。



その時、僕も、わずかにだが快感を感じてしまった。



吐いてしまえば楽になって何もかもが許せてしまえたという、Oの言葉が頭をよぎった。吐瀉物の浮かぶ便器の水面に写っている顔が、Oの物に見えた。

僕は何度も便器の水を流し、何度も口をゆすぎ、顔を洗った。

僕はOとは違う。そう、重ね重ね自分に言い聞かせた。



程なくして体調は回復し、僕は学校に戻った。

しかし、Oとの仲は気まずいままで、何となく僕とOとの間にある空間に、ぎくしゃくとしっくりこないずれがあるように思えた。



そして、僕が学校に戻ってしばらくしたあと、Oが呼吸困難になって病院に搬送され、入院することになった。



それを聞いて僕はパニックになり、その出来事が自分のせいであるかのように思えた。自分が無遠慮にOを傷つけたせいだと、そう感じた。

周りの友人達は必死に僕をなだめ、皆でOの見舞いに行くことになった。



病院のOは思ったより元気そうだったが、痩せた白い体に入院患者用の服という格好は、何か不吉なものを感じさせた。

少しして、Oと仲直りがしたいので二人にしてほしいと説明し、他の友人達には先に帰って貰った。

病室の周りには誰もいないと確信してから、僕は話を始めた。

「……今回の入院、吐いてる途中にのどに詰まったからだろ」

僕が言うと、一瞬、Oは顔に石を投げつけられたような表情をしたあと、黙って頷いた。頷いた時の顔は、母親に叱られた子供の様だった。

「……実はさ、僕も前に休んだとき吐いちゃってさ。その時にOの気持ちが少しわかったんだ」

Oは弾かれた様に顔を上げた。僕は話を続けた。

「確かに、少し気持ち良かったよ。でもさ」

僕はじっとOの顔を見つめた。Oも真っすぐに僕を見ていた。

「あれは駄目だ。確かに吐いてしまうのは楽で気持ちが良い。でも、だからといって吐き続けたら今回見たいにのどに詰まるか、いつか体の中何もない空っぽの人間になると思うんだ。辛くても、ちゃんと飲み込んで、きちんと吸収すべきだと僕は思う。もちろん食べ物に限らずね」

僕がそう笑いかけると、Oは大粒の涙を流した。

「……うん、うん。僕、やってみるよ。吐かずに、自分のことを自分で受け止めようと思う」

泣きながら笑った彼の目には、今までになかった光があった。不吉に見えた彼の入院着姿は、既にひどく不釣り合いな物に変わっていた。




「……あれから15年近くたってたのか」

僕はそっとアルバムを閉じた。おっと、そろそろ片付けをしないと、妻に叱られてしまう。

それに、クラス会に着ていく服を決めないといけない。

Oは来るのだろうか。久しぶりに、彼に会いたくなった。

Oは、今も元気だろうか。彼の右手の鱗は、小さくなるかもしくは既に剥がれ落ちているのだろうか。





僕の手首が、もうリストバンドを必要としないのと同じように。

明るくないどころか、相当暗くなってしまった気がする。特に中盤。

いかがだったでしょうか、「鱗とリストバンド」

タイトルにあるのにリストバンドが最後にしか出ないっていうね。

感想やアドバイス、お待ちしています!

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