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この作品の本編は、訳あって凍結中です。
本編のキャラクターの一人の、日常を描いた「番外編」扱いですが、稀に本編に絡んで、「残酷な描写」が出てくる可能性があります。
苦手な方は、避けて頂けますよう、お願い申し上げます。
将貴さんは、偉大な研究者であった「豊吉」さんのことを、心から尊敬していたようだ。だから、彼が亡くなった後、その研究を全て一人で引き継いだ。
初めの頃の苦労話は、時々、面白おかしく語られることがあるけれど、将貴さんの目は、決して笑ってはいなかった。
わたしはそこに、勝手に共感していた。
「あの、お話中すみません、先生」
落ちていた沈黙に、水を差したのは、将貴さんの貴重な実験台……基、若いアシスタントの一人だった。わたしの能力のことも知っている、貴重なアシスタントだったはず。名前は、紀藤さんと言ったはずだ。
……はず、と言うのは、わたしは人の名前を覚えるのが、苦手だから。顔はすぐ覚えるのに、名前はいつまで経っても覚えられないので、将貴さんが気を利かせてくれて、アシスタントや研究所にいる、数少ない貴重な研究者たちに、名札を付けさせてくれた。
それくらい、顔と名前が一致しないのに、仲間のことは一発で覚えられたのは、将貴さんもびっくりしていた。
「おはようございます、陽香さん。紀藤です」
「お、おはようございます、紀藤さん。寒いですね」
「寒いですね」
紀藤さんは、若いアシスタントなので、ちょっとだけ苦手だ。というか、仲間以外の同年代が苦手、というか……。
「こらこら。紀藤君は、ひろちゃんに挨拶をする為に来たのかい?」
「いえ、すみませんでした。でも、今日一番にお会いしたので、挨拶はしないと」
「それは社会人として、素晴らしいことだね」
「ありがとうございます。それで先生、この資料の、ここなんですけど……」
将貴さんと紀藤さんは、「豊吉」さんの貴重な研究資料を、ごちゃごちゃした机の上を片付けもしないで、そのまま置こうとした。
「きゃー! 机! 机の上を見て下さい!」
さっき将貴さんが置いた湯呑みが、まさに資料の下敷きになろうとしていたので、わたしは慌てて二人を止めた。
「え? あっ……。すみません……」
紀藤さんが、反射的に資料を持ち上げてくれたので、間一髪、湯呑みを引っ張り出すことが出来た。
いつものことなのだけれど、将貴さんを始めとする、この研究所にいる人たちは、何かに夢中になると、他が見えなくなるようだ。一つの場所で何かしていて、新しいことを始める時に別の場所に行くと、さっき何かしていた場所のことを、忘れてしまいがちな気がする。
集中力を要する仕事だから、仕方ないのかも知れないけれど、いいことなのか、悪いことなのか、判断に苦しむ。
わたしは、湯呑みの置いてあった机をざっと片付けて、紀藤さんの持っていた、思っていたよりも重たい資料を受け取り、その机の上に広げた。
「ありがとう、ひろちゃん」
将貴さんに、礼を言われて気付く。こうして、いつも手を出してしまうから、この研究員の人たちは「片付ける」と言うことを、覚えないのかも知れない……。