利用するもされるも
大通りで、一番大きな宿の一室。
最も日当たりのいい部屋の窓際で、男は見事な細工を施された煙管を手に外を眺めていた。
男の連れは今頃進言どおりに、回廊を探索していることだろう。
経験はなかろうが、彼女の才は誰もが認めるものだ。護衛も付いていることだし、身の危険はないだろう。
ただ男は、自分が彼女の身を案じる権利がないことを知っていた。
哀れな老人たちの手駒である彼女を哀れと思う。が、自分もそんな彼女を利用しようとしている身だ。
彼女のことが嫌いな訳ではないが、それよりも大事な存在がある。その為に彼女を犠牲にしようとするのだから、男は努めて彼女のことを事務的に扱う。
この国ではあまり見かけない衣服に身を包んだ男は、感情を表に出すことなく情報がもたらされるのを待った。
男が待つ情報とは、先日回廊内で出会った一人の探索者のことだった。
喜劇のような成り行きでデモビアを倒して見せたその人物とは、わずかに一言交わしただけの関係。興味はあったが、他国でのこと。その場限りのものになるはずだった。
あれから数日。広まる噂に男は、その人物に改めて興味と利用価値を見た。
デモビアを倒したものは多かれ少なかれ噂になる。多くの財を手に入れるからだ。
まして、この国で黒髪の女性が武勇を示せば、それは伝説に結び付けられやすくなる。
神話を別としても過去に二度、神への祈りから黒髪の乙女が神子として、この地に遣わされ、滅亡の危機にあった国を救っている。幼少から聞かされ続ける英雄譚に、この国の人々は染まっている。
ヒジリという探索者が、もし男の連れのような外観だったら、今ある噂はもっと大きなものになっていただろう。生憎というか、彼女の外観は装備のせいもあるが、男と思われやすい。彼女を直接知らぬ者は、伝説を彼女と結びつけることはない。男とて、この街で雇った者が言うまでは自身の勘違いに気づかなかった。
彼女を女性と知るギルドの方は数年前のような騒ぎを恐れてか、噂を煽る様な者はいなかった。
今のままなら、ヒジリという探索者が有名になる。中には仕官を持ちかける者もいるかも知れないが、それだけで終わる話だ。
もっとも、男にはそれで終わらせるつもりはなかった。
男の連れの少女、シュヨンに剣聖を継がせる。
その目的の為にも、この噂を利用するつもりだった。
噂が広まり、シュヨンを支持するものが増えれば、剣聖の座は彼女のものとなる。そして、老人たちの思惑はつぶれる。
継ぐのに足りないのは、実績だけなのだ。それさえ補えれば、シュヨンが老人たちに駒とされる事もない。男への干渉も減ることだろう。
黒髪の探索者が、『金虎』を追い詰めたデモビアを一人で討ち取った。
噂は概ねそう流れている。中にはヒジリの名前が出ているものはあるが、たいした問題ではない。
あの日、回廊に男とシュヨンがいたことは探索者の多くが目撃している。この国では珍しいオウカ風の装備を身に包んだ二人組みだ。遠くからでも目立つことだろう。
だから、後はヒジリという探索者よりもシュヨンを印象づける。
噂の当事者を摩り替え、生み出すのだ。
黒髪で、探索者の、乙女を。
英雄を。
その為にも、男は待つ。
ヒジリの情報を。
男は口の端を上げ、嗤った。
「探索に行っておいで。良い訓練になろう」
兄と慕うアンジエンに言われて、シュヨンは今日も回廊に向かう。
大叔父様たちに言われて旅に同行したのは良いが、道中はつつがなく進み。アンジエンの身の回りには多くの世話役がおり、何の役にも立てていないと思っていた少女にとって良い気分転換になっていた。
最初の日、初めてだからと一緒に回廊まで付いてきてくれたのは良かった。が、結局デモビアの一件でその日は終わってしまった。珍しく二人きりだったというのに、殺伐としたやり取りだけの会話しかなかった。しかも、一人で倒したという探索者に笑いかけたアンジエンに、ひどく不満を感じた。
シュヨンはアンジエンが感情を表すのをほとんど見たことがない。
祖父に稽古をつけてもらっていた時も男はその表情を崩すことは少なかった。ましてや笑みなど見せはしなかった。
さすがに家族には表情を崩すことはあるのだろうが、少女は見たことはなかった。
なのに、あの人はあの短い間にアンジエンの笑みを引き出した。
何故?何故、私には笑いかけてくれないのだろう。
悩むシュヨンは先のアンジエンの言葉に、答えを得た。
強くないからだ。
あの人は最悪の敵と称されるデモビアを倒した。
強い。
そうアンジエンが認めたから、彼は笑いかけたのだ。
そう考えれば、彼が近くに置く人々も強いといわれる人が多いことにシュヨンは気づいた。
アンジエン様は強い人が好き。
短い時間でそう決め付けたシュヨンは、彼の進めどおり一介の探索者として回廊を進む。
剣聖と呼ばれる祖父の血か。シュヨンの剣の腕は、年齢に見合わぬものだった。
間合いに入ったものは、たった一振りで死ぬ。
カッパーへと昇格した途端、依頼も受けずもぐり続ける。実践を積むごとに、少女は強くなった。
でも、まだだ、とシュヨンは考える。この程度ではアンジエンに認められるわけがないと。
認めてもらおうと勝負を挑んでも、自分はアンジエンに負ける。生まれが違えば、剣聖を名乗るのにもっともふさわしい人なのだ。きっとアンジエンに勝てるのは、当代剣聖である祖父か。
その域にはまだ遠い。いや、辿り着くのは無理だろう。
ならばどうすべきか。
あの人のようにデモビアを倒して示せばいい。そうすれば、アンジエンの周りの人々と同程度には見てもらえるのでは。
そう考え、今日もシュヨンは回廊を進む。
その考えを否定するものはいなかった。
リカルダはうなだれる。
正直、この依頼は断るべきだったと。
街に帰ってきてすぐに、ヴィルを始めとしたチームメンバーがデモビアに襲われたことを知った。
留守を任せていた副リーダーのヴィルが一番の重症だったが、命に別状がなかったことに安堵した。
彼には安静を命じ、他の仲間と共に仕事をさがしていた時にチーム名指定で依頼が舞い込んできたのだった。
内容は簡単で、探索者になったばかりの少女を一人護衛することだった。
たった一人にチーム一つ指定するとは、大げさだと思いはしたが、報酬の良さに受けることにした。
ヴィルだったら何がしかの裏を疑うところだが、ギルドの上層部から懇願に近い形で依頼されたら断るわけにはいかなかった。
どんなに名を売ったところで、一介のチームがギルドに喧嘩を売れるわけがない。
それで受けた依頼だったが、正直後悔している。
シュヨンという少女は、オウカ風の装備に身を包み、腰に大層な刀を差して待ち合わせ場所に立っていた。
桜色の頬に大きな黒目。美少女といって過言ではない容姿に小柄ながら女性的な身体。
チームの男性陣は、そわそわとしだし、女性陣に容赦ない突っ込みを入れられている。護衛対象の前ですることではないと、戒める立場だったが、リカルダは尻尾が総毛立つのを隠すのに必死だった。
目が怖かった。
まだ、血を浴びたこともないだろうに、その目は既に血を知っていた。
そう感じた。理屈ではなかった。
そして、その感は嬉しくないことに外れず、回廊内での魔物との遭遇で発露した。
躊躇のない一撃。
抜かれた刀は瞬く間に、目の前の魔物の命の源を絶つ。
その場にいたチームの誰も気づきはしなかった。が、リカルダは気づいた。
魔物が最後の息を吐いた瞬間。
少女が目を細め、嗤った。
それは、すぐに消え、少女を褒めるチームメンバーの言葉に照れた表情になった。
自分だけが少女に恐怖を感じた。
だが、目さえ直視しなければ、それは耐えられるものだった。チームの誰も少女のそれに気づかず、幼いながらの凄腕を褒めていた。
確かに凄い。少女の年齢を考えれば、ここまでの実力は普通身に付かない。
回を重ねるごとに目に見えて上達する腕前に、正直護衛など必要ないんじゃないかと思うくらいだ。
そう思うのはリカルダだけではなく、チームの仲間も酒場などで他の探索者相手に話しては同意を求めている。剣を振るう者として何か思うところがあるのだろう。守秘義務に関しては受領の際記されていなかったので、問題はない。
それになんせ黒髪の美少女だ。この国出身の探索者にとって、興味が沸くのだろう。話題を振られることも多かった。
だがら、滅多にない入院で退屈しているであろうヴィルの下に、リカルダが見舞いに行ったときも自然少女の話題になった。
リカルダが頼りにしている男は、野生的な外見に反して心配性なところがある。そしてその心配は大体が現実となった。
そんな男が話を聞くと、渋面を作って言った。
「やっかいなことに巻き込まれた、と思う」
はっきりしない物言いに、リカルダは不安になった。
ひげを震わせ、尻尾を揺らす。
「いや、別にリーダーが悪いわけじゃない。ただ、噂がな」
『金虎』を助けてもらったお礼に、『白の猛虎』が黒髪の乙女の護衛をしている。
そんな噂が施療院にまで届いたという。会う人間が限られているヴィルにまで届くくらいだ。かなり広範囲に広まっているだろう。
事実は違う。
ヴィルを助けたのはヒジリという探索者だ。その彼女は最近、私事に忙しく回廊に向かうことが減ったという。
だからだろうか。
今まで毎日のように通っていたヒジリが通わず、別の黒髪の女性シュヨンが回廊に日参している。
顔を知らない他の探索者が勘違いした。それが噂を生み出したのだろう。
「なんでそんな噂が。こっちは依頼で……」
推測はできるが、リカルダには何の救いにもならない。
最初からこの依頼が普通ではないことに気づいてはいたのだ。
「さあな。ただ、噂が広まるのが早い気はするな」
ギルドの上層部からの指名。それも懇願という形で。
それにどういう意図が込められていたのか。
それはリカルダには分からない。
だが、言えることは一つ。
この依頼は受けるべきではなかった。