ぐだぐだな説明
二人が異世界転移してから三ヶ月が経とうとした頃、ようやくジョージがヒジリの話にきちんと向き合うようになった。
とは言え、今までのヒジリの話をちゃんと覚えていたわけではなく、体調の回復に伴い説明を受け入れるだけの精神状態になったというだけの話だ。
「さて、これで次の段階に説明が移るわけですが、ヒジリちゃんとしては苦労が実って嬉しい限りです。どんな質問にも張り切って答えちゃいますよ。さあ、何が聞きたい?」
にっこりと笑うヒジリに少々ジョージは面食らいながらも、考えをまとめようとした。
ジョージには、目の前の存在が、自己申告したような存在だとは正直信じられないが、窓から見える景色が自分の常識ではありえないものである以上受け止めるしかなかった。逃げていられないと感じた。
「ここが異世界だとして……」
それでも認めたくない心情が、ジョージの口を重くする。
「異世界だとして?」
一方、ヒジリは笑みを崩さなかった。
今日はまだ日も高く、面会可能時間は十分残されており、焦る必要がないと思ったからだ。
「俺が元の世界に戻ることは可能なのか?」
長い寝たきり生活で伸びた髪が、ジョージの動きに合わせて揺れる。それは彼の内心を表すかのようで痛ましく映った。
だから、からかうこともせず、ヒジリは背筋を伸ばし、真面目に答えることにした。
「条件付で可能。その条件も時間は少々かかるけど、そう難しいことじゃないよ」
「条件?それって、何?」
不安なのだろう。ジョージの視線は右へ左へと揺れて落ち着かない。
それでも口からこぼれる言葉は明瞭で、聞き取りやすかった。
「一つ目は、帰還者である君が転移前までか、それ以上に健康であること。これは送還にかかる負荷に耐えるために最低限必要なの。死体が辿り着いてもしかたないでしょ」
世界を超えるのは容易ではない。もちろんただの人が超えようとなればその身にかかる負荷も相当のものになる。死んでいないのが奇跡なのだ。
ヒジリにとっては耐えられようと、ジョージが耐えられないようでは意味が無かった。
故に、ヒジリは二つ目の条件を口にする。
「二つ目は世界の境界が薄い場所に行くこと。これは回廊内、それも深部ほど条件に当て嵌まる、と思う。まるでそれが目的のような場所だったし。だけど、あいにく魔物がいるので、君には最低限回廊について学んで欲しい。戦えと言う訳じゃなくて、君自身の自衛の為。無知のまま足をひっぱって欲しくないの。何も知らないで行くには、君には危険な場所だから」
「他には?」
真剣な表情だ。話を聞きながら、自分で出来ることを必死に考えているのだろう。
「以上、二点よ。私が知る送還の方法で君に関係あることは、だけど。私より有能な人ならもっと簡単に君を返すこともできるんだろうけどね。私では君に負担が掛かる方法しか思いつけないよ。ごめんね、頼りなくて」
わざとおどけて情けない顔をして見せれば、首を振られる。
ジョージにしてみれば、帰れるなら方法はそれほど気にはしないから構わないということなのか。それとも、情けない顔のヒジリの頼りない発言への慰めか。
ヒジリにはよく分からなかった。わざわざ思考を読む必要も感じなかった。
「さて、次の質問は何かな?」
足を組みなおし、真剣な表情のジョージに軽く笑って見せる。
しばしの間。
一息吐いた後、ジョージは再び口を開く。
「さっき、回廊って言っていたけど、何ですか、それ?」
「それはまた難しい質問だね。……君はゲームってよくやる?」
いい答えが見つからず、ガシガシと頭を掻きながら尋ねてみれば、ジョージは軽くうなづいて見せた。
「まあ、簡単に言うとすると、RPGなんかでよく出てくるダンジョンのようなもので、この世界での一般的な呼称かな?」
そこで一度切り、こめかみ付近を数度掻いた後、言葉を続ける。
「この世界の人にとっては神話に登場するような、遥かなる過去の遺物であり、数多の魔物の巣窟で、人々の生活の基盤となる様々な物資の採取場所でもある。建てられた目的も内部の構造も未だ不明確で不確実。戦後、国という枠組みを超えて、この内部に挑む人々を探索者と呼び、支援する探索者ギルドという広規模な組織も設立されている。この街は、そんな回廊を中心として発展してきている」
懐からギルド証を取り出し、手渡して見せる。
「それが探索者ギルドの発行している証明書。これがないと回廊と都市の境界にある門を通れないことになっている。君が帰還する上で獲得しなければいけないものだ。まあ、取得するだけなら、お金の問題だから今すぐでも大丈夫だけど」
「自動車免許証みたいですね、これ」
手渡されたヒジリのギルド証を見つめながら、そこに書かれた文字が見知らぬものであることにジョージは少し悲しくなった。
「ああ、確かに似てるかも。こちらでも身分証明書として使える位は認知度が高いから、結構便利だよ」
返されたギルド証をヒジリも見つめ、気づかれないように苦笑した。
あちらほどの精密さはないが個人を識別できるほどの顔写真が表側の右半分に載っている。似ているというジョージの意見には素直にうなずける。だが、帰還するという強い目的意識は大歓迎だが、今ホームシックになられても困る。
話題を変えようと考えるが、特に浮かぶものもないので、そのまま説明を続けることにした。
「ちなみに、それはランクがカッパーの探索者に発行されるやつ。縁取りが銅でしょう。ギルドに入会した時点ではランクはビギナーで縁取りが黒いの。ギルドを介した依頼を一定数こなせば、すぐにカッパーに昇格できる。まあ、その後は指定依頼をこなしていかないと無理だけど、シルバー、ゴールド、アダマンっていうのがあるの。アダマンとかは後世に伝説が残るレベルって話だから、実際に見たわけじゃないけど」
話しながら、別の話のネタはないかとバッグに手を突っ込む。一番上に入れていた皮袋をとりあえず取り出すことにした。
今日の報酬が入った皮袋だった。
ちょうどいいので、それを説明することにした。
「そして、これがこの国の通貨。単位はレリン。金貨、銀貨、銅貨の三種類にそれぞれ角貨、円貨の二種類がある。退院したらいくらか渡すから、実際に使って覚えたらいいよ」
「え、そんな。お金なんて」
困ったように遠慮するジョージに笑いたくなった。
面倒を見るといっているのだから素直に甘えれば良いのに、と思うのだ。
「いいや、遠慮しないで良いよ。最初の自己紹介で述べたように、君の保護は私の仕事の範疇になるんだ。だけど、もし借りを作りたくないというなら、私と契約を結んでくれないか?」
正直、あんなに長々と話された自己紹介をきちんと覚えてはいられないと思うのだが、はっきりと言い切られるとそういうものかと判断してしまう。まだ、ジョージの熱が下がっていないのも思考力を鈍らせている要因だろう。
返事はあっさりとしたものだった。
「いいですよ」
「おや、あっさりと了承するね。内容とか聞かないでいいの?後で、辞めますって言っても駄目なんだけど」
ヒジリがからかうように言えば、困ったような顔をする。あまり深く考えていなかったのだろう。
そこに付け込んでも良かったのだが、ヒジリとしても後で揉めるのも面倒くさいので説明することにした。
「私がしたい契約って言うのは、まあそんな大層なものじゃないんだ。私の当面の目的としての庇護対象になって欲しいんだ。私の名前を呼んで。私に守られて。私が力を振るう理由の一端になって欲しいの」
漠然として意味がよく分からないと、ジョージは首を傾げる。
ヒジリも、自分の説明がまずいことを自覚しているので笑ってごまかす。
「あー、分かりにくいか。私ってね、庇護対象がいないと力が安定しないみたいなんだよね。この世界で生活していく上では、力は安定して発揮できた方が楽できるでしょ。だから、元の世界に戻るまででいいから、安定剤代わりになってほしいんだ」
「それで、具体的に俺は何をすればいい?俺はただの高校生だ。あんたみたいに特殊な力なんて無い。無いんだよ」
熱が上がってきたのだろう。目に涙が溜まっている。
ヒジリの視線を避けるかのようにジョージが顔を伏せれば、不安に揺れる気持ちを表すかのように下に零れ落ちる。
「具体的、具体的に、ね。とりあえず、君にしてもらいたいのは、帰りたいって気持ちを忘れないでいて帰還に向けて頑張ってほしいのと、私の名前を覚えて欲しいかな。あ、私の方法に文句があるなら、我慢しないでちゃんと言って欲しい。当面、一緒に暮らすことになるだろうから、できれば仲良くはなりたいかな。後で私たちが知人で終わるか、友人になれるかは契約とは別問題だけど、ね」
できるだけ軽い調子を崩さず、ヒジリは言葉をつむいだ。
目の前の少年から、肯定の言葉を引き出すにはどうすれば言いかと、あまり出来の良くない頭で考えながら。
そして、一方的にヒジリが喋るのを遮るように、ジョージは口を開く。
「そんなのでいいのか?」
「そう。大層なものじゃないだろう?」
それはどうだろうか?
引っかかるものを感じながらも、熱で回らない頭でジョージは受け入れることを決めた。
帰還の方法を知る人物が目の前にしかいない以上、それしか選択肢がなかったとも言えた。
現実を受け入れたからか、覚悟を決めたからなのか。
この日より、ジョージの体調は今までが信じられないくらいの勢いで快方に向かっていった。