意気込み空回り
回廊内。アーチが繋ぐ宮は、多種多様な特徴を持ち、それを端的に表した呼称がつけられている。
ヒジリがデモビアを倒した白蛇宮なども、そういった呼称の一つだ。
年が開け、二月半ば。
斡旋所に、一つの情報が入った。
龍籠宮。
探索者にとって、難解な宮の一つに繋がるアーチが、とうとう発見されたのだ。
定期的にアーチは繋がる先を変える。
昨年の藍華祭の季節。二つの月が同時に新月となった日。嵐は起こり、回廊内の変動が起こった。
それまでの宮のつながりを示す地図は、価値を無くし、誰もが一からの探索を余儀なくされた。
以来、探索者たちは新たな繋がりを調査し、危険とされる宮や未探索な宮の情報を求めていた。一つの宮にこだわる探索者は、情報を元に都市を移動までしている。
そして、ある目的を持つ者以外、多くの者が避ける宮の一つが龍籠宮と呼称される場所だった。
龍の文字が示すように、この宮にはドラゴンが出現する。それも様々な種が、意図的に集められたかのように狭い範囲に存在するという。
ドラゴンは、種によって差はあれど、大いなる魔力を内に秘めた強大な存在である。その身は、爪の一欠けらでさえも魔力を帯びており、高値で取引されるほど希少な素材でもある。
少なくない探索者たちは、危険を顧みず、ドラゴンを狩ることを生業としている。小型のドラゴンでも狩ることができれば、その体の倍以上の金貨を得ることが出来るのだから。
そして、その宮の存在が見つかるのを心待ちにしていた男が一人、この都市にはいた。
ライムント・ドレーゼ。
ジークリンデの命を受けた騎士である。
そんな彼が、ヒジリの家を訪れたのは、宮の存在が見つかってから十日もすぎていた。
都市には、上等な揃いの服をきた子供が増え、斡旋所では碌な依頼がない。
特に生活に困っていないヒジリはわざわざ出かけることもなく、新しく増えた家族に構うことを好んだ。
だが、荒事を好む本質をも持ち合わせている為、ライの訪問をヒジリは心より喜んだ。
「一介の探索者としてなら」
そう言質を取られた事もあって、ヒジリはライの頼みを断らない。
と、言うより断るどころか斜め上な発言をして、ライを心底困らせた。
「そこなら行ったことあるよ?」
お茶をだしながら答えれば、ライが目を丸くしてヒジリを凝視した。
「まさか!?あそこは浅いとはいえ、到底日帰りで、いや数日で帰れる程の距離ではない!君が探索者となってから、あそこにたどり着けるような行動は取っていないはずだ!?」
「まあ、裏技使わなきゃそうだけどさ」
驚愕のまま、自身の言葉を否定するライに、ヒジリは頭を掻く。
うすうす分かっていたことではあるが、自分の行動を調べられていたと、こうもあっさりと明かされてしまうと突っ込みがしづらい。
ヒジリからすると、このライという男は少々どころか大いに苦手な部類に入る男だった。
顔も体格も人並み以上に恵まれている男とは、多かれ少なかれ縁がある。しかし、こうも外見から受ける印象と行動がズレる相手は、短絡的な面を自覚しているヒジリにとって言動を読みにくく、収まりの悪さを感じさせた。
黙って真面目な顔をしていれば、優しげながらも冷静な面を残す仕事の出来る大人の男といった感じなのに。
ちょっと私的な話題になれば嫁バカで親バカ全開になり、さっきの言動のように本来話すべきでないことも口にする。そして、まずいことを話した自覚がない。
根が善良であるのだろうか。それとも精神が幼いというべきか。
これはあれか?世に言う残念なイケメンと言うやつか。
内心、愚痴をこぼしながらも邪険に出来ないのは、苦手ではあっても嫌いではないからだ。
もっとも、これぐらいの相手を嫌っていては、元の世界の強烈な面々とはやっていけない。いや、そんな面々と付き合っているから、逆にこんなギャップに親しみを感じやすい相手が苦手になったのだろうか。
驚愕の表情から、なぜかうなだれはじめたライをそのままにするわけにもいかず、ヒジリは内心の愚痴を切り上げた。
「どんな用がそこにあるかは知らないけど、もう一回そこに行けって言うなら付き合うさ」
「了承の言葉は嬉しいのですが……」
「何をそんなに暗い顔しているんだか」
「いえ、ここしばらくの自分の行動の無意味さを考えさせられまして……」
観賞用としては十分すぎる面が、床へと向けられる。
ライがこの街に戻ってきたのが、ドラゴンのいる宮の存在に関してだというのなら、確かに無力感を感じてもしょうがないだろう。
ライのあからさまな態度から、ヒジリは言わなかった。ヒジリがその籠龍宮に辿り着いたのが、探索を初めてまだ間もない時であったことを。
その宮の存在を報告しなかったのは、単純に信じてはもらえないからだ。
ライがヒジリの言葉を鵜呑みにしたのは、ヒジリが稀人という異端者であることを知っているからだ。
だから、今まで公のもとに存在が周知されなかったのは致し方ないこと。一応は、平穏に過ごしたかったヒジリのせいではない。
ないのだが、ライにこうも目の前で落ち込まれていては、ヒジリとしても無録にも出来ない。
「戦利品の中に目的の品があるなら譲るしさ。そんな顔するなよ。子供たちに見られたら、私が悪者になる」
「はあ……申し出は大変嬉しいのですが、さすがにお持ちではない、かと……」
語尾が尻すぼみに消えていく。
自分自身で獲るためには、かなりの危険か、高額の金銭を覚悟しなければいけない品。
その目的が月日は消費したが、こうも容易く手に入るものなのだろうか?
否、きっと何か気づかない落とし穴があるに違いない。
と、そんなことを考えてそうな、視線定まらぬ表情のライ。
こういった交渉ごとが得意そうな顔を持っているくせに、こうまで顔にでるとは。
ヒジリは、本当にこの人は残念な人なんだと、認識を新たにしながら冷めてしまったお茶を飲む。
仲がよろしそうなジエンが逆に石膏で出来ているかのように、表情に変化が無いのを比べれば、足して二で割るとちょうどいいのにと益体もないことまで思いつく。
カップが空になったのを機に、再び口を開く。
「まあ、とりあえず見てみるだけ見て。なかったら取りに行くだけでしょ?急ぎならさぁ、今から取って来たっていいし」
「いや、そんな簡単に取ってくるなんて……」
「まずは手元にある戦利品だけど」
及び腰なライの意見をあえて無視して、ヒジリは足元の影へと意識を向ける。
意識を向ければ、影は光源を無視し、床から卓上へと動く。卓上の半分が影に覆われると、水が湧き出るかのように様々な物体が現れ出る。
卓上の余白を埋め尽くすように物が乗ると、影は再びヒジリの足元に収まる。
瞬く間の出来ことだ。
ライの知る限り、ここまで多くの物を瞬時に移動させる術などありはしない。
あったとしても、息をするのと同じようにたやすく行えるほど簡単なものではないだろう。転移系統の術は総じて難易度が高いのだから。
「……君は、すっかり隠す気がないみたいだな」
涼しい顔でやってのけたヒジリの様子から、これも力の一端でしか無いのだろう。
しかし、ライにとっては驚愕するしか無い力を見せつけられ、改めて稀人というものの存在が特殊であることを強く認識させられた。
「今更でしょ?大丈夫、他の人の前ではちゃんと隠してますって」
そんなライの心情など気にもとめずにヒジリはヘラヘラと笑う。
呆れながらも、卓上の物品をライは凝視せざるをえなかった。
どれもが市場に出回れば、高値で取引されるであろう品だったからだ。
その多くは、採取してそのままの状態ではある。が、未加工だからこそ、この持ち主である竜種が並の存在ではないことが判じやすい。
瞳が結晶化したものなのだろう。視神経までも結晶化したそれはライの両の拳をあわせたよりも大きい。
楕円形の不思議な光沢をもつ金属片の山は、竜種の鱗だ。これも一つが手のひらを覆うほどの大きさだ。中には欠けたものもあるが、それでも同じ重さの核水晶よりも価値は高い。
ガラスの瓶に詰められた赤黒い液体は、竜種の血液か。時間が経とうとも、凝固していないのは何か魔導的な処理を施されて居るのだろうが、それでもこれだけの量があればどれだけの秘薬が生み出せることか。
畑違いのライでさえ、ざっと見ただけでも分かる魔力を湛えた竜種の遺物。
そして、その中のどれよりも強い魔力を秘めたものがあった。龍珠だ。
それも今まで見てきたどれよりも大きく、鮮やかな赤をまとう龍珠だった。
ライは息を呑んだ。
こうして今ライの目の前に晒されているということは、ヒジリにはこれを譲る意思があるということだ。
市場に出したところで、値がつけられないほど希少なそれを含めて、目の前の品々を先ほどヒジリは軽く譲ると言った。
本当に?
何かの思惑あってのことではないか?
再びの疑心暗鬼と、それでもこの眼の前の龍珠があればという欲求がライを苛む。
「最初の数個は、綺麗だからさぁ、帰る時のお土産にしようと思って取っておいたんだよね。後で、結構珍しいものだって分かってから、売るに売れず。こうして溜まって、ちょっとどうしようかなぁと、思ってたんだよねぇ」
空になったカップに新しい茶を注ぎ、ヒジリは苦笑する。
核水晶でさえ、買取を制限されている状態で、これらを持ち込んでも良いことにはならない。それ位はヒジリにだって分かる。
別に金に困っていない今、そんなリスクを犯す意味も無い。
だけども、ほいっと簡単に譲るのも、この目の前の男にとって悩みの種になるだけだろう。
ならば、相手が納得し負担にならない程度の条件をつければいい。
だが、どのような条件ならば両者とも益になり損にはならないのか?それが、ヒジリにはわからない。
ヒジリとしては、欲しければもう一度暇な時にでも取りに行けばいいだけの、特に執着のない代物なのだから。
「で。どれが欲しいの?」
一番近くにあった品を指で弾いてみせる。
「お代は、……そうだね。いつか、ライのご主人に会わせてよ。手紙も貰ってるし」
なんとなく思いつきを口にのせる。
が、自分の耳に戻ってくる頃には、ヒジリにはその提案は魅力的なものに思えてきた。
このままこの街でのんびりと、ジョージの帰還まで過ごしていくのもいいだろう。幼い兄妹の成長を陰日向と見守るのもいいだろう。
だが、それだけでは物足りないと感じる自分も、またヒジリの中に居た。
ヒジリの中の破壊衝動は、決して無くなることはない。それはすでに呪いではなく、本能となっている悪癖だ。ヒジリ自身の望みとは別に、いつだってそれは意識の片隅にある。
ならば、それを紛らわすだけの新しい刺激を求める必要があった。
ライが一体どのような仕事をしているのかは知らないが、手紙の主が結構な身分であることは間違いない。
そのような人物と知り合いになった場合、ヒジリの過去の経験からどうあっても退屈とは無縁になることだけは間違いはなかった。
それにいつかの酒の席に言っていたではないか。
王都には、異世界から来た黒髪の少女が居ると。
それなら、少女に会うのも自分に与えられた役割ではないか。
ヒジリはそう内心で理由づけた。思いつきに対する後付けだ。
でも、ライはそうは取らなかったらしい。
「あの方に会いたいと?」
「ああ、奥さんとはまた違う形で、想いを注いでいる相手なんでしょ?すこーし、気になった」
親指と人差し指に僅かな隙間を作ってみせた。
色々と世話になっている宿の主人の顔を思い浮かべ、彼の人を語るライの表情と今の表情の違いの理由を少しだけ知りたいと思った。
もしそれが浮気だとかで、彼の人を傷つけるものなら、約束を重視するヒジリとしてはちょっとライに制裁したくなる。
まあ、本当に個人のちょっとした欲求で、深い意味など無い。いくら探られようとも無いものは出てこない。
「興味だけですか?」
「深い意味はないさ。いつまでも家でゴロゴロとしているのも飽きてきただけで」
ただ、あからさまに浮気の可能性を疑っています、とか言うわけもなく。
ヒジリは、思いついた中で一番マシな理由を口にした。
人様のゴシップを楽しもうというのが、マシかは置いておくとして。