ある日の惨事
その日、街はちょっとした騒ぎになった。
居住区の一角。探索者たちの為の貸家が並ぶ場所で、一つの事件が起きた。
切欠は、探索者同士の些細ないさかいだった。ただ、その探索者たちがそれなりの実力を伴うマジックユーザーだったのが、事件を大きくした。
両者が狭い路地で、行った魔法を交えた喧嘩は、一軒の古びた貸家に飛び火し、火事になった。
幸い、近くに居た者の手によって消火及び救助活動が行われ、火災の規模の割りに被害が少なくすんだと、当初は思われていた。
だが、鎮火間近に貸家から飛び出てきた存在たちが、更に事を大事にさせた。
華炎蝶。
回廊内に巣食う魔物の一種で、火属性の魔法生命体である。休眠状態はルビーに良く似た玉石で、一定以上の魔素や火を吸収すると活動を再開する。
青から赤へと揺らめく炎の羽を持つ大変美しい蝶の姿だが、一個体が子供と同じ位の大きさがあり、周囲に毒のガスを撒き散らす厄介な存在だ。また、水属性を除く攻撃が聞きにくいのも厄介さを増す要因である。
本来は、回廊外への持ち出し禁止品の一つなのだが、貸家の住人は宝石とでも間違えていたのか。
ひらひらと、周囲を飛び回る華炎蝶の炎の燐粉が、周囲の家々に飛び散り、火種となる。
このままでは、この辺り一体が火の海になるのは確実といえた。
些細なことから始まった騒ぎは、拡大していくばかり。
そして、そんな騒ぎの真っ只中。
運が悪いことに、ヴィルとサヴィエが、慌てふためき右往左往する人々の中に居た。
先日の宴会で落とし忘れていったものを届けられて、礼代わりの昼食に出向いた。その道すがら、人が多い場所に出た所で、騒ぎに遭遇してしまった。
最初に魔物に気づいた誰かの悲鳴が、通りに響いてからわずかの間に、周囲はあっという間に混乱していた。
無理もない。
住民に探索者が多い一角といっても、全体から見れば、そうでない人間のほうが多いのだ。
甲高い悲鳴に、怒鳴り声。
周囲の喧騒の中、少しでも開けた場所へと移動しようと、二人は流れに逆らわず、動いた。
それでも、混乱の中、流れに逆らうものも多い。
ヴィルよりも大きな体躯の男が、獲物を手に騒動の中心へと向かおうと、通りを掻き分けていた。
無理やりなそれに、押された人の波が二人の下にも来る。
「っ、大丈夫か?」
押され、転びそうになるザヴィエをヴィルが胸で受け止める。
まだ幼さが残る体は、勢いがあってもそれほどの衝撃はもたらさなかった。
「は、はい」
縋り、体勢を立て直しながら、応える。
その間も何度か押され、ぶつかられる。
「っう!」
足首に痛みが走る。
ザヴィエが思わず眉間に皺を寄せると、それに気づいたヴィルは片手で体を支えた。
「しかたねぇ。ちょっと、これ持ってろ」
ヴィルから鞄を押し付けられ、思わず受け取る。
いきなりのことに、首をかしげるザヴィエだったが、ヴィルの次の行動に小さな悲鳴を上げた。
「大人しくしてろよ」
「え?うぁ」
一声断りを入れると、ヴィルはザヴィエの体を抱え上げる。
俗に言うお姫様抱っこという形だ。
本当は背負うことが出来たらよかったのだろうが、人が密集していて、体を入れ替えるような余裕がなかった。
「しっかり、掴まっていろよ」
「え?あ、うわ!?」
揺れる体に、ザヴィエは思わずヴィルの服を掴む。
大きな音が、騒ぎの中心から響いてくる。
肩越しに見えるのは、空を舞う魔物とそれを打ち落とそうと飛ばされる魔法の矢弾だった。
黒い煙がもうもうと、空を覆わんばかりに広がっている。
赤と黒と焦げた匂いの恐怖が、そこにあった。
「ヴィルさん、あれ!」
魔物が一体、魔法の衝撃で、二人のいる方へと吹き飛ばされてくる。
周囲の悲鳴が、大きくなる。
ぐいっと、ザヴィエに回された腕の力が強くなる。
その強さに、ザヴィエは思わず目を閉じる。
「くそ!」
炎の羽が人々の頭上を掠めていく。
庇うように抱えられたザヴィエは、熱風をかすかに感じた。
閉じた瞼を開けば、ヴィルの髪がこげているのが見えた。
うっすらと、煙が出ている。もしかしたら燃えているのかもしれない。
慌てて、ザヴィエが片手で焦げた部分を払うように叩く。
「わりぃな」
ザヴィエを抱えなおしたヴィルが、周囲を見回す。
近くを舞う魔物に人々は慌てふためき、周囲を塞がれ、行くも退くもできなかった。
どうしようもない。
ただ、訪れる転機を待つしかなかった。
そして、その機会は思ったよりも早くこの場に訪れた。
舞う火の粉が人々に降り注ぐのを防ぐように、薄い水の幕が大通りから広がる。
「“落ち着け”。“道を空けよ”」
ヴィルたちの前方から静かな声が、喧騒の中響く。
その声が聞こえると同時に、心が穏やかになる。
「……これは」
先ほどまで必死の形相だった人々が、落ち着いた表情で左右に身を寄せ、空間を開ける。
その先に、杖を持った老人を先頭に、武装した集団が立っていた。
白い金属鎧を着た男が、前に出て声を上げる。
ヴィルのところまで、声は明瞭に届きはしなかったが、どうやら避難指示をしているようで、大通りに近い人から整然と動き出している。
上空を飛んでいた魔物は、いつの間にか空中の水の檻に閉じ込められている。
「騎士団の連中か。珍しく迅速なことだ」
ヴィルたちの近くにいた年老いた男が、忌々しげに呟く。
集団の数人が着る白い鎧。
その胸には、確かに王国騎士の証たる紋章が刻まれていた。
騎士を先頭にし、武装した集団が騒ぎの中心へと歩いていく。
急ぎたいであろうが、この混雑だ。落ち着いているとはいえ、また何かあればパニックになりかねない。
刺激せぬよう移動する一団が、横を通り過ぎるのをヴィルは大人しく待った。
「……あ」
腕の中のザヴィエが、声を漏らす。
「どうした?」
「ライさんが、居たような」
ザヴィエの視線の先を追う。
確かにそこには、ライに似た騎士の男がいた。
それも他の騎士とは違う、濃紺の鎧を身に纏っている。
「蒼雷……いや、まさかな」
数年前の騒ぎの中心人物となった男が、後姿に重なる。
神殿を血で染めた男。
到底、騎士にはなれぬ所業をおこなった男と重ねては、あの騎士に悪いだろう。
軽く頭を振って、自身の考えを追い出す。
「ヴ、ヴィルさん!?」
振られた頭の動きにそって、揺れる髪がザヴィエの頬を叩く。
ちくちくとした、些細な痛みにザヴィエが困惑の声を上げる。
「いや、すまん。なんでもねぇ」
遠くの誘導の声に従い、ヴィルはザヴィエを抱えなおし、歩き出した。
「災難だったな」
「まったくだ」
結局、騒ぎは騎士団と協力者の力で、人死にを出さずに終わった。
怪我人はさすがに出たものの、神殿から癒し手が寄越されたこともあって、さほど大事にはならなかったようだった。
それでも、巻き込まれたものにとっては、堪ったものではない。
ヨーンとて、故郷から戻って早々。ヴィルを訪ねてみれば、半壊した建物に驚いた。
「まさか魔物じゃなくて、ネーヤに家壊されるなんて思ってもみなかった」
「力みすぎるなって、あれほど注意してたんだけどねぇ」
がしがしと、頭を掻くヴィルに、ヨーンも苦笑する。
年若い仲間に指導していたのは自分たちなので、成長の無さが残念さを増している。
「荷物なんてほとんどないが。だがなぁ、それなりに愛着はあったからなぁ」
騒ぎで最初、魔物を相手にしていた中にチームメンバーが居たのを、ヴィルは後で知った。
誘導された避難先でザヴィエと二人、近くの屋台で買った串焼きを食べていたら、泣きながら見知った顔がこちらに向かってきた。
チームメンバーのネーヤだった。
地面に額を同化させる勢いで、謝るネーヤに話を聞けば、ヴィルは思わずこめかみを押さえる内容だった。
ネーヤは、迫る魔物に軽いパニックに陥ったらしく、加減なしの魔法をぶっ放した。見当違いの方向に。
そして、運悪く着弾したそこは、ヴィルが部屋を借りている家だった。
「でも、まあ、ヒジリに部屋貸してもらえて、良かったじゃないか。これからの時期は、宿屋も満室ばかりだし」
一緒にネーヤの謝罪を聞いていたザヴィエの口利きで、ヒジリの家に居候することになった。
もちろん、次の貸家が見つかるまでの期限付きだが。
「ああ、確かに来月か。今年はどうすんのかね、うちのチームは」
「出来ればやりたくないけどなぁ。かといって、物入りなのに贅沢も言ってられないし」
去年引き受けた護衛任務の散々さを思い出し、二人はげんなりとする。
プライドと家柄だけは高い子供のわがままを、聞き続けなければいけない仕事など、出来ればやりたくないのが本音だ。
「リーダーもさすがに去年で懲りただろう。それに、あのオウカの旦那のご指名が続いているから、大丈夫じゃねぇか?」
「そっちもなぁ」
何だかどんどんと、厄介なことに足を踏み入れている気がする。
そうは思うが、ヨーンに愚痴ることでもない。
ヴィルは、グラスの中身と共に、言葉を飲み込んだ。
ヒジリは命の恩人だが、もしかしたら疫病神なのかもしれないな。