ぐだぐだと暴露
赤い、赤い夢を見る。
ゆらりと揺れる水面のような視界は、赤に染まる。
具体的な中身などない抽象的な夢は、いつか見た過去か。それとも、未来か。
時折、思い出したかのように見る夢は、酷くヒジリを傷つける。
ぱかりと、勢いよく開いた瞼。同時に意識も覚醒する。
詰めていた息をゆっくりと吐き出す。そして、己が手を眼前に持ち上げ、確かめるように見つめる。
その手は一瞬だけ、血に塗れて見えた。
「おい、大丈夫か」
ヒジリがぼんやりとした頭で、声のする方に向き直る。
やや眉間に皺をよせたヴィルが、ヒジリの様子を心配げに見ていた。
「水、飲みますか?」
ヴィルの後ろから顔を覗かせるライが、手のグラスを揺らしながら聞く。
「んー、いや、いらない」
なぜ、彼がここに居るのだろうか。
一瞬疑問に思うも、居間の現状が視界に入れば、直ぐに理由に思い至った。
今日、新年会と称して開いた宴会に、ヒジリ自身が招待していたのだった。
酔いでぼんやりする頭を振って、ヒジリは周囲を改めて見る。
居間には二人以外には、ジエンしかいない。
空になった皿はテーブルの上で積み重なり、それらを食べていた筈の子供たちの姿が無い。
「あー、他の皆は?」
不自然な体勢で寝ていた為、こった首を凝りほぐしながらヒジリは尋ねる。
「二階に寝かせてきた。アリアも一緒に寝るってぐずったから、すまないけどベッドを借りたよ」
ライが笑いながら、テーブルにグラスを戻す。
「ジョージたちは、あの先生たちに余興として散々遊ばれたからな。隙見て、部屋に逃げたぞ」
呆けていた顔をしていたのだろう。
ライの言葉に付け足しながら、ヴィルがヒジリの頭を叩く。
「へー」
「で、その先生たちも明日仕事だから、と帰っていったんだが。どうする、お開きにするか?」
酔いつぶれて寝ていたことで、気を使ったのだろう。
ヴィルがヒジリの頭の手をそのままに、提案する。
その手を振り落とすかのように、勢いよく頭を左右に振る。
今日の宴会には、一つの目的があった。
「言いたいことがある。多分、そこのあんたが一番聞きたいことだと思う」
少しだけ。ほんの少しだけ、自分のことを話す。
もう既に一端はばれてしまっているのだから、もう少しだけばらしても問題ない。
やりたくないが、いざとなれば全力を出せばいい。
最後の戸惑いを振り切る為に、ヒジリは軽く目を閉じた。そして、ゆっくりと瞼を押し上げた後、杯を傾けるジエンを指差し、口を開いた。
その言葉に、ヴィルは肩を竦め、ヒジリの隣に腰を下ろした。
「ほう。なら、教えてもらおうか。……稀人だというのは、真実に相違ないか」
酒を飲んだというのに、少しも乱れたところの無い男が、杯からヒジリへと視線を移す。
「ああ。異世界から来た」
異世界。
どんな世界だと、問うことはしなかった。
ジエンとライにとって、今聞きたいのは別のことだった。
「誰に召喚された?」
ジエンの視線が、鋭くヒジリに刺さる。
答え次第では、それは直ぐにでも殺気へと転じるだろう。
「誰にも。こちらに来たのは、あくまで事故だから。時が来れば帰る。だから、出来れば、その時まで放っておいてほしいのが本音」
視線を遮るように、軽く手を横に振りながら、笑ってみせる。
事故なのだ。
あの時、世界に歪みが生まれた理由が、誰かのせいであったとしても、呼ばれたのは自分たちではない。
そう、ヒジリは過去の経験から確信していた。
「そうか。確かに秘する方が望ましいな」
呟き、ジエンは軽く目を伏せる。
何を考えているのだろうか。ヒジリには読み取れない。読み取らない。
「それにしても、お前が稀人って、何か残念な気がするな」
深刻な彼らを茶化すように、ヴィルがヒジリを小突く。
「残念ですみませんね」
口を尖らせて、膨れてみせる。
「まあ、これは興味本位なんだけど。稀人ってさ、実際、どう影響あるのさ」
「そうだな。色々とあるが、お前に直接関係することだけを言う。お前が何者で、どのような力を持つかはこの際関係ない。この国の権力者だけでなく、帝国も稀人というだけで、お前を得ようと画策するだろう。それはきっと周囲を巻き込む」
周囲。
それは、確実に、今部屋で安らかに眠る子供たちを指す。
それ以外で、ヒジリの周囲といえば今この場にいる者と探索者の知人、それと孤児院の人々だ。
圧倒的に子供など、社会的弱者ばかりだ。
権力者の手に掛かれば、容易く、その運命は悪いものへと変えられてしまうだろう。
「手段は選ばないって奴?……胸糞悪い」
口をへの字にまげて、不快感を露わにする。
もちろん、ヒジリだけでなく、男たちも、その表情は苦いものがあった。
「オウカの人間が言うことではない。が、今、この国は厄介な事態を抱えている」
そう前置いて、ジエンは口を開く。
「今は小康状態だが、この大陸は帝国とオウカの二つの勢力に分かれて争っていた。数年前に帝国の凶王が倒れるまで、頻繁に戦闘が行われていた」
一度、杯で口を湿らす。
説明は続いた。
ペルセディアは位置的な問題も有ってか、先々代からオウカに友好的な政策を取っていた。幾度の戦争もオウカ側に組していた。
だが、それを由と思わぬ者もいた。
原人信仰者とも言われる差別主義者たちだ。彼らは自分たちが亜人とみなすビスターやエルフなどを嫌悪し、彼らが多く住むオウカを嫌悪している。帝国はそんな原人信仰者が王たる国だ。
神たる原初の人を生み出すために、非道な研究を行っていた時代もある。マジクリングは、その研究の被験者の子孫とも言われている。事実、マジクリングの出生率は、帝国側のほうが多い。
そんな彼らが、稀人を必要とするのは、その力ももちろんだが、神への信仰ゆえであった。
経典によるが、稀人が住む世界を神々が住む天上と位置づけることが多い。
故に、稀人は神と同等の存在であるという考えが彼らにはある。
彼らほどではないが、大陸に住む多くの者は、稀人を特別視していた。各地に残る伝説が、その思いを失わせはしなかった。
「あー、俺は、帝国じゃ繁栄をもたらす存在だって言われていた、と聞いたが?」
ジエンの説明に、ヴィルが口を挟む。
「ああ、確かにその理由の方が有名だろう。神と同等の存在が、帝国を加護するのだから間違いでもない。帝国の原人信仰者は多いが、かの国は幾度の戦争で、周辺諸国を吸収しているからな。国民と言っても、文化は様々だ。表立っては、その主義をだすことは少ない」
「そんなもんか」
がしがしと、頭を掻くヴィル。
ヒジリには、どこに頷ける要素があったのかさっぱり分からない。
「で、帝国が稀人大好きって事はわかったけど、それが、どうこの国につながるのさ」
皿に残る饅頭に手を伸ばしながら、尋ねる。
なぜそこまで他国のことに詳しいのか訝しげに思いながら。
「この国において、その主義者の代表的な存在が、王の第二子クリストフの母方の伯父で、後見人でもあったゲラルトだった。彼はクリストフ誕生後、自分に同調するものを集めた。オウカ寄りの勢力を後見にもつ正妃が、子を成す前に事を起こそうとしたのだ。その後、表向きは病の為、実際は国家転覆を図った罪で領地の『ウケイ』にて幽閉。数年前、遠縁の養子に家督を譲らされた後、憤死している」
必死に理解しようとするヒジリ。
ヴィルも内心まずいことに首を突っ込んでいることを自覚し、今更ながら自身の運の無さを悔やんだ。だが、知らないままという選択はできなかった。
一介の探索者では到底知りえない事実は、これより先もヒジリと友である以上必要な知識だった。何も知らないまま喪失と無力に嘆かぬためにも。
そんな二人の様子を見、ジエンは再び口を開く。
「ゲラルトが幽閉された後、クリストフは継承権を格下げされた。彼自身は、ゲラルトに旗印にされただけだ。まだ何も分からぬ幼子だったが、先天的な病が見つかった事で表向きの理由も整っていた。しばらくして正妃が身ごもり、正式に継承権は剥奪された」
クリストフ本人には、到底納得の出来ぬ決定だったのだろう。
一時的に預けられた神殿にて、いくつかの騒ぎを起こしている。
最終的に預けられた『ガンビ』にて、騒ぎを起こした時は、ライ自身がその騒ぎを解決する羽目にもなった。
ライにとっては、忌々しいながらも人生の転機となった事件だ。
顔を伏せ、誰にも見せぬよう複雑な思いを浮かべた。
「俗世と切り離し、神官にする話も出たのだが、王の寵愛厚い側妃の嘆願もあり『ウケイ』の屋敷にて監視つきで暮らすことになっていた。ゲラルト派の残党への配慮だったのかも知れん」
逆に言えば、配慮が必要なほどゲラルトの考えに同調する者が多かったのだろう。
言葉を切り、空になった杯に酒を注ぐ。
途切れたジエンの言葉を継ぐように、今度はライが口を開く・
「今、王都には、異世界から来たという黒髪の少女が居る。もし、少女が君のような力を持っているなら最悪、国は二つに割れる」
「どうしてさ?」
異世界から来た少女。
もしかしたら同郷かもしれない。
もしそうなら、一度彼女に会わなくてはいけない。
そう思いながら、ヒジリはそのことには触れず、話の続きを促した。
「彼女を召喚したのが、クリストフ王子その人だから」
王の血を引く権利を奪われた者。それがどうして、信仰を集めるものを身元に呼び寄せたのか。
本意は分からない。
が、それは嫌な憶測を呼ぶのに十分。ゲラルト派の残党の動きを促すことは、簡単に予測しえた。
一気に、杯を干したジエンが口を開く。
「もう一度言う。お前が稀人であると知れたら、彼らはお前を取り込もうとする。いや、帝国も動くだろう。お前は、確実に特異なる力を持っているのだから」
回廊で見た光景。
一瞬にして、数多の敵を殺す姿。
どのような術を用いても、容易くあの光景を再現することは出来まい。
だが、目の前のヒジリはそれを容易くやり遂げた。
そして、ジエンの目には、それ以上の余力を隠しているように見えた。
恐ろしいことに、多分、それは事実だろう。
もし帝国が彼女を手に入れれば、崇拝する対象の持つ力に酔い、再び大陸を二つに分かつ戦端は開かれる。その時、オウカは勝てるのか。
たった一人に、適わない。そんな物語のような光景が、簡単に想像できてしまう。
酒に酔い、抜けた顔を晒している男のような女。
伝説の神聖さのかけらも無い。
こんなどこにでもいるような容姿の者に、畏怖を覚えるなど、自分が惨めに思える。
ヒジリが知れば、むくれそうなことを考えながらも、ジエンは言葉を続ける。
「お前は、同量の金より価値有る存在だ」
「あんたは、いらないの?」
どこか突き放したように語るジエンに、からかうように尋ねた。
それに応えるように、ジエンは口の端だけを歪め笑う。
「欲しいと言えば、従うか」
「お断りします」
即答。
もっとも、ジエンとて、答えが端から分かっていて聞いたのだ。
口元の笑みが、一層はっきりしたものになる。
だが、次の瞬間。
重い話を緩めたやり取りは、ライが口を開いたことで無駄となる。
「……一度で良い」
ゆっくりと紡がれる言葉。
しばし伏せていた顔を上げ、ライはヒジリへと近づく。
「一度で良いから、出来れば、どうか我が主に力を貸してくれないか?」
「あんたの主って」
そう言えばこの人、どこぞに使えている騎士だった。
受け取った手紙を思い出し、名前が出てこず首をひねる。
そんなヒジリの様子に、ライも言葉が足りなかったことに気づいた。
「主の名は、ジークリンデ。クリストフ王子の姉に当たる方だ。今年、オウカとの同盟強化の為、王家に嫁ぐことになっている」
同盟の為。政略結婚なのだろう。
自由恋愛が当たり前な世界から来たヒジリには、古臭く同情してしまいそうな単語だ。
だが、それを口にするライはどこか喜ばしいものを告げるようだったので、本人にとってそれほど悪いものでもないのだろう。
真剣に考えたくなくて、つい、ヒジリの思考は逸れる。
「後ろ盾も無く、外に嫁ぐ方だ。何かをなさろうにも頼れるものが少ない。だから」
「それって、私が力貸したらさ、下手すると国を二つに分けるんじゃない?」
王の子供が二人、互いに稀人の加護を得ていると思われたら。
下手な考えを胸に抱く輩がでてもおかしくは無い。
そう、この国の過去の伝説が、その考えを可能なものとして芽吹かせるだろう。
幾らヒジリがこの国に疎くても、物語には良くあるお家騒動物のお約束だ。容易に想像は付く。
「そうかも知れない」
肯定されて、溜息がでる。
だが、真剣なライの表情に、ヒジリは思考する。
顔も知らない相手だ。何の義理も無い。
それに、彼は何に力を貸せと、具体的に言わない。彼の言い分が真実か、確かめられない。
だが、聞いたらもう引き返せない気もする。
まあ、全てを正直に明かしていないのはヒジリも同じなので、人のことは言えないのだが。
「あー、うまく言えないんだけど。私、一応、元の世界に使える主っていうの?そういう人いるんだよね」
ライは、悩むヒジリから視線を逸らさず、ただ答えを待っていた。
真摯な瞳。
そんな眼差しに、流されてしまいそうになる。
何だかんだ考えたところで、短い付き合いだが、ヒジリは自分の周囲の人々を気に入っていた。
嫌われたくは無かった。
ライに何かあったら、きっと宿の主人とアリアは悲しむだろう。そんな顔を見る未来は、嫌だった。
「……だから、稀人じゃない唯の一探索者としてなら、報酬次第で助力するよ」
根負けしたように、両手を挙げ、それだけを口にする。
相手が美形なのが悪い。
内心、上司に言い訳しながら。
「……今はその言葉だけで十分、か」
溜息混じりに吐き出された言葉。
それは、この会話を切り上げる言葉になった。
ただ後は、静かに残る酒を飲み続ける。
苦い思いが残る、宴の幕引きだった。