結果は散々?
出没するという噂の場所を中心に捜索を開始して早々、スノータイガーの一群を発見した。
こんなにも早く遭遇するとは。
まだ、向こうに気づかれていない程、距離が開いている。順調すぎるこれまでに、皆が多かれ少なかれ驚いていた。
特に長期戦を覚悟していたヨーンとヴィルは、運が良すぎることに座りの悪いものを感じた。
だが、遭遇してしまっている今、そんな内心など関係ない。獲物は狩るだけだ。そのためにここまで来ているのだから。
ここに来るまでの道程でおおよそ考えた作戦を決行するべく、ヨーンはザヴィエにサインを送る。
「《開封》」
ぽつりと、手元のカードの束に囁く。
すると、ザヴィエの魔力を取り込みカードの束が淡く光を纏い始める。使い捨ての魔道具で、使用者の魔力を使用するが、書かれている文字さえ読めれば発動が可能であり、戦闘を期待されていない今のザヴィエにはちょうど良い道具である。というより、ザヴィエがこの魔道具を使用するための魔力電池代わりである。
「《不可視の鎖》」
鎖の絵が描かれていたカードを五枚、束から抜き出すと一群へと向けて放る。カードは端から淡い光と化し、一群を包み込むかのように連なっていく。そこから先は肉眼ではうまく見えないが、魔力で生み出された鎖の網が、周囲を檻のように包んでいることだろう。
「よし」
ヨーンが軽くザヴィエの頭を叩いて、ねぎらう。
魔法の完成に、不穏なものを感じたのか、スノータイガーたちの様子が変わる。
落ち着かないのか、鼻先で周囲に探っていたかと思えば、ぐるると低くうなり始めた。
先手必勝。
リカルダが放つ魔法の火球が、スノータイガーたちの不意を撃つ。
弱点とも言える火に浮き足立った隙を逃さず、ヒジリたちは一気に距離を縮める。
ヴィルの力強い一振り。
ジエンたちの素早い一撃。
ヒジリの力任せの拳。
それぞれがその強さを見せ付けながら、スノータイガーを囲んでいたシャドーファングの命を狩っていく。
「おや、その腰のものは飾りかい?」
腰に佩いた刀を抜かず、その拳でシャドーファングを相手取るヒジリにジエンが声を掛ける。
「うるさいな」
その問いに答える義理はないとばかりに、自分へ飛び掛ってきたシャドーファングをジエンへと殴り飛ばす。
「は!素手で十分ということか」
飛んできたものを難なく切り落として、ジエンは笑う。
それに眉を顰めてみせながら、ヒジリは自分を襲う新たな獲物へと拳を握りなおした。
ヒジリが腰の刀を抜かないのは、そんな大層な理由ではない。
力の加減が出来ない。それだけだ。
ヒジリとてすぐに風呂に入れない状況下で、こんな格闘などしたくはない。が、仲間を巻き込めない以上は仕方のないことだ。それを目の前の男に伝える気持ちは欠片もなかったが。
「《炎の加護布》」
「《火属付与》。二人とも、おしゃべりは後!後にして!」
手元の魔道具を読み上げるザヴィエと、銀の短剣を持つリカルダから補助の呪文が放たれる。
少々生真面目な気質なリカルダは、ふざけているようにも取れるジエンとヒジリのやり取りを叱咤する。
叱咤された二人とも、別段動きが止まっているわけではないのだが。確かに自分たちよりも数で勝る集団を相手に軽口を叩く余裕など、一歩間違えば致命的な隙でしかない。
素直に口をつぐんだ二人は、輪の中心、スノータイガーへと仕掛けるヴィルとシュヨンへと近寄っていった。
ヨーンはそのやりとりに肩を竦めると、リカルダたちの前に出た。
「ザヴィエ。もう一度包囲網を強化したら、手持ちを半分、回復系に切り替えておけ」
「はい」
ヨーンは自身に火属性の補助が掛かっているのを確認すると、ザヴィエに指示をだす。
指示通り、ザヴィエが手元のカードの束から鎖のイラストのカードを抜くと、腰のホルダーから新たな束と交換する。
ヨーンはそれを横目に、今日の為にと用意した術の媒介を懐にしまうと、武器に手を掛ける。
「リーダー。今日は俺が仕切りだが、訳有りだ。前に出るから、後の補助よろしく」
「分かってる。頑張って」
ひげを揺らし、リカルダは請け負う。
「《不可視の鎖》」
魔力を手元のカードに込め、放つザヴィエの声を背に、ヨーンは群れを狩る仲間に加わる。
一人、戦闘に加わったことで群れを駆る勢いは早まり、周囲には血臭が漂う。
だが、一流と名の知れているヴィルを初めとした彼らとて、多勢を相手に無傷とはいかない。この幾割りかには彼らのものも混ざっていよう。
だが、この匂いに釣られ他の魔物が表れることは、最初に敷いた魔法の檻が崩れぬ限りないだろう。その点は安心してヴィルたちも目の前の敵に専念することが出来ていた。
「ザヴィエ、最初のやつの効果がそろそろ切れるわ。……シュヨン、ヴィルの順で」
「加護ですか?付与ですか?」
「加護よ」
初めてとも言える実戦の空気に、慣れぬザヴィエの表情は優れない。
だが、探索者を夢見るものとして、目を背けることなく、割り振られた己の役割を必死にこなそうとしていた。
火の精霊を召還したリカルダと共に、ザヴィエは戦いの中心から離れたところでサポートに専念している。
だが、専念しすぎた。
意識が前方に集中して、周囲への警戒が疎かになっていた。
不意に血臭に混じる嫌な気配に、リカルダの毛が逆立つ。
「!!逃げて、ザヴィエ!」
リカルダが振り向き、叫ぶ声に、ザヴィエが視線を横に向ける。
黒い影。
死んでいたと思っていたシャドーファングが一体、血を流しながら飛び掛る。
「っ!!」
声にならない叫び。
訓練を受けたはずなのに、自分へと向かう殺気にザヴィエの体は強張り、動くことが出来なかった。
「バカ!」
長いようで短い瞬間。
痛いほどの力で肩を掴まれ、その勢いのまま後ろへと引っ張られる。突然のことに、ザヴィエはバランスを崩し、尻餅をついた。
一体、どのようにして駆けつけられたのか。肩を掴んだのはヒジリであった。
ザヴィエとシャドーファングの間に、無理やりヒジリが立ちはだかる。
ザヴィエを背に庇うヒジリは、襲い掛かるシャドーファングの前足を避けようにも、不自然な体勢から体を後方へ逸らすことしか出来なかった。
避けきれず掠った爪が、ヒジリの頭部を覆う装備を剥ぐ。
露になった顔に、朱線が斜めに走る。
「ヒジリ!」
血に濡れた爪が、再びヒジリへと襲う。
だが、それは掴まれ、動きを止められる。
不自然な姿勢で止められたシャドーファングが、咆哮する。が、次の瞬間、それは哀れな悲鳴へと変わった。
前足がつかんだ手の中でひしゃげ、折られていた。
「あ、あぁ」
ヒジリの背に庇われたザヴィエは、それをこの場にいる誰よりも間近で見ることになった。
襲われ、間近に感じた死の恐怖は今、違う感情に染め替えられていた。
周囲も皆、異様な様子に動きを止め、伺うように息を潜める。
「……しくったなぁ、ほんと」
シャドーファングを制止させる手とは逆の手で、血濡れた己が顔を撫でるヒジリ。その口元は自嘲なのか、弓なりに歪んでいた。
ザヴィエは視界に映るヒジリから、目が逸らせなかった。
なんて酷い笑みだろう。
白牙鬼。
彼女につけられた二つ名が、今の姿には良く似合っていた。
黒から白へと転じた髪。
血の色に染まる瞳。
確かに走った顔の朱線は、今や乱雑に拭われた血潮だけが名残をとどめている。
なんとも普段の彼女とはあまりにも違う、荒んだ空気を醸し出す。
「頑張って、自制してたっていうのにさぁ」
けたけたと、笑い出すヒジリ。その手は、相変わらずシャドーファングを掴み、哀れな悲鳴を上げさせている。
「うるさいよ。うちの子に手ぇ出すからいけないんだ」
手を離す。
地へと崩れ落ちるかと思われたシャドーファングは、次の瞬間、地より生えた黒い何かに刺された。
断末魔の叫びが、皆の背に得も知れぬ寒気を走らせる。
そこには、敵も味方もなかった。
ただ、そこにいる息あるものは、ヒジリへと意識を向けざるをえなかった。
シャドーファングを貫いた何かは、蠢き、ヒジリの足元の影へと同化する。
宮の中。常に一定の方向から照らされる光源が生み出す影が、なぜかそこだけ不安定に揺らぎ蠢いていた。
「ジエン」
笑うのを止めたヒジリは、冷めた目で男へと呼びかける。
「見たかったものはこれだったんだろう、あんた。満足したかい?」
「君は……」
今まで味わったことのない感覚に、詰まる喉を掌で宥める様に押さえる。だが、なんと言えばいいのだろうか。
ジエンは、なぜこの女を利用できると考えていたのか、過去の自分を罵りたくなった。
あれはデモビアよりも性質が悪い。
「あー、なんて言ったけ?ああ、そうそう、稀人ってやつさ。ま、あんたが敵じゃないなら、言い分くらいは聞いてやるよ。だからさ」
赤々とした瞳が、目蓋に閉ざされる。
「邪魔、しないでよ。手加減できないからさ」
再び目蓋が開かれたとき、そこにあったのは何色か。
誰一人、獣一匹動けずに、ヒジリの足元から闇が広がる。
一瞬の間。
絶望の咆哮が耳朶を打つ。
地面より生えた切っ先が、スノータイガーの群れを一匹残らず串刺しにしていた。
命の赤が、伝い、地面を染めていく。
空気が、地面が、視界が赤く染め上げられていく中、ジエンを始めとした一行の顔は言い知れぬ感情に蒼白へと変わっていた。そして、ヒジリの凶行が終わる時まで、彼らはその場を動くことも出来ず、立ちすくむことしか出来なかった。
目当ての物を手に入れた一行は、それ以上の探索を行わず帰還した。
行きとは違い、何度か魔物に襲われたが、そのどれもが彼らの歩みを遮るほどの力を持っていなかった。
行きと違うのは、もう一つあった。
誰も無駄口を叩こうとしないのだ。
その上、視線は時折何か聞きたげにヒジリへと向かう。それも気づいたヒジリが振り返れば、すぐに逸らされてしまうのだが。
ヒジリ自身、彼らが何を問いたいかなんて、分かりきっていた。スノータイガーたちとの一戦だろう。少々やりすぎた自覚だってある。だが、出来ればこのままうやむやにしてしまいたかった。
そんなヒジリの内心は知らないだろうが、ザヴィエとシュヨンを除く一行は皆多少の差はあれ、彼女のことを内に秘めることにした。
黒髪の女。
稀人。
凶悪なまでの力。
ヒジリの持つ要素に、あの赤い光景がどうしても重なる。
黙秘することが、少しでもこの嫌な予感が先伸ばされると信じて、決めた。
不意に浮かんだ赤い想像をこの地にもたらす様なことなど、誰一人できはしなかった。
好奇心猫を殺すといった様子の彼らと、暴れてどこかすっきりとした様子のヒジリ。
大きな齟齬をそのままに、一行は回廊を出た。