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二人の弟


 西にロスロリアス。東にリグオウカ。

 二つの大国に挟まれる形で存在する小国群の中で、もっとも古い歴史を持ち、多くの回廊都市を有するペルセディア。

 この国には一つの伝説がある。

 黒髪の乙女。

 そう呼称される三女神が祈りに応え大地に遣わした神子は、黒い髪黒い瞳乳白色の肌で見慣れぬ服を身にまとう。神より授かりし奇跡の力で、苦難にあえぐ祈り子を救ったという。

 乙女の祝福を受けし者は、栄光を手にしたとも言われる。歴史書にはペルセディア滅亡の危機に瀕した時、後世に英雄と語り継がれる者の元に現れ共に戦ったことなどが記されている。

 もっとも、黒髪黒目など東方には多くおり、多種多様な者が集う回廊都市を中心にこの国でもその様な外見の女性は多い。英雄譚に憧れ、自ら髪を染めるものもいる。

 だから、王都、それも城内にその様な容姿の女性が出入りしていても、何も問題はない。はずだった。


 城内の一室。中庭の噴水が見下ろせる位置にあるその部屋は、王の第一子ジークリンデが執務に使用している。

 多くの蔵書が整然と並ぶ本棚に囲まれた大きな執務机には、大量の書類が積まれている。豪奢な椅子に深く腰掛け、目頭を軽く抑えたジークは、深いため息を吐く。

 カーテン越しに柔らかな日差しが入り込んで、室内は明るい。だが、それを浴びるジークの顔には疲労の影がこびりついていた。

 怠惰な王は、今頃愛妾か宴席で仕事を忘れて楽しくやっているのだろう。本来、ジークの権限では処理が出来ない類の書類まで通常業務のものに混じって、机に山を作っている。王からの委任状が裁可印と共に来ている以上、それもジークの仕事となっている。

 昨年、寵愛されていた側妃がなくなってから、王の怠け癖は酷くなる一方だ。正妃が留守にすれば、もう誰も咎め様がなく、女か酒に耽る日々だ。

 お陰で宰相や大臣でもなく、来年にはこの国を出て行くジークにまでこうして仕事が割り振られる。

 それに加えて。


「姉上、ニコラウスです。入室してもよろしいですか?」


 ぼんやりと思考の渦に飲まれていたジークに、扉の外から声が掛かる。

 それに応えれば、華やかな金髪のまだ幼さが残る少年が部屋へと入ってきた。その後を女中がワゴンを持って付いて来る。ワゴンからは良い匂いが漂い、あっという間に室内を満たす。


「ニコラ、それは何かな?」


「忙しいといってすぐに食事を抜く姉上と、一緒に昼食をと思いまして」


 満面の笑みでそう言い切られ、ジークは苦笑した。集中すると食欲が無くなってしまい、つい食事を抜いてしまっていたが、それが弟に気づかれているとは思わなかったのだ。


 ニコラウスは王の第三子で、正妃を母に持つ。正妃譲りの明るい金の髪は、彼の容姿を一層華やかに魅せている。

 彼が生まれたことにより、ジークは王子として生きる必要が無くなった。マジクリングの身はこういう時に便利で、男で定着していた身体を薬によって、継承権の優先順位が低くなる女性へと変質させた。そして、来年ニコラの成人の儀を終えた後、ジークは同盟継続の為、隣国の王家に嫁ぐこととなる。


「分かった。これを仕舞ったら、一緒に食べよう」


 机の上に広がる史料を手にし、ジークが言えばニコラはそれを手伝った。

 先ほどまで無かった食欲だが、一緒に食べる相手がいることで思っていたよりも食は進んだ。用意された料理はどれもジークの好物ばかりで、ニコラの歳に似合わぬ気遣いにジークは思わず笑みを浮かべた。

 食後、引き出しに仕舞っていた薬を飲むのをニコラは顔を顰めて見ていた。


「どうした?ニコラ。そんな顔をして」


「いえ、姉上。何でもないです」


「そうか」


 ジークはそれ以上問わなかった。

 ジークが今の状況を是とするまでに時間が掛かったように、ニコラもまた内に抱えた問題を解決するのは時間が掛かることだろう。何を気にしているのかは凡そ知ってはいたが、彼が助けを求めない限り、それに触れる気はジークには無かった。


「それにしても、いつ来ても姉上の机の上は書類で埋もれていますね。僕も手伝えたら良かったのですが」


 眉間の皺が失せ、いつもの表情に戻ったニコラは執務机の縁に手を置くと、ジークの方をみてすまなさそうに言った。

 きらきらと、カーテンから漏れる日差しがニコラの髪を一層輝かせる。きらめく光の輪がまるで冠のようで、次期王たる彼を天が祝福しているようだとジークは目を細めた。

 ニコラには自分には無い母や後ろ盾がある。彼を支える者は多く、自分がこの国からいなくなっても困ることは無いだろう。


「ニコラ、貴方が気にすることではない。成人の儀を終えれば嫌というほどこなさなければならないのだから、今は私や大臣たちに任せておきなさい」


 だが、それでも弟を案じる気持ちがジークにニコラの頭を撫でさせた。





 ニコラが退席し、執務室にはいつもの静けさが戻った。

 ジークは再び執務に戻ると、そのまま集中し始め、気づけば差し込む日差しは陰り、室内は薄暗くなっていた。

 また、やってしまったと内心苦笑しながら、ジークはペンを置き、明かりをつけようと席を立つ。

 ノックの音。

 一定のリズムを刻むそれは、特定の者だけが使う合図のようなもの。

 名を問いただすことなく、ジークは入室の許可を出す。

 音を立てぬように、ゆっくりと開かれた扉から入ってきたのは、濃紺の騎士服に身を包んだ青年だった。手にしていた厚い封書をジークへと渡す。


「ご苦労、ライムント。少しそこで待っていてくれ」


 明かりをつけてソファを指し、ジークは己の席に戻った。ライムントは指されたソファに腰を掛けると、足を組み、再び声が掛かるのを待った。

 渡された資料を読み進めれば、眉間に皺が出来、読み終わる頃には呆れたような表情に変わった。


「これは、これは……」


 右手で顔を覆う。何と言っていいのか分からなくなった。ジークの予想を超えた馬鹿げた事実がその資料には記されていた。

 そして、口を二三度開いて言葉を探したものの、机に肘を突いて組んだ両手で顔を隠し、うなだれた。

 ジークがライムントに頼んでおいたのは、ごく私的な調査だった。ライムントは騎士だが、特異な仕官事情から、ジークの私兵とも言える立場だ。そんな彼の調書は簡潔にまとめられており、理解しやすいものだ。読み違えなど起こりえない。ゆえに、あまりの内容に絶句する。

 母の喪に服していたはずの弟、クリストフが最近城へと連れてきた少女。この国の者とは違う顔立ちに奔放な振る舞い。おまけに黒髪黒目という目立つ特徴に、ジークは放っておく訳にもいかず、少女について調べてもらっていたのだが、それに単純には終わらない情報が付随してきた。そしてそれはジークの手に負えるようなものではなさそうだった。

 事実、ライムント一人で調べたにしては、与えた期間に比べて内容が深い。途中から、あの宰相の手を借りたのだろう。

 深いため息。

 肺の中の空気を全て出し切るかのようなそれに、ライムントも気の毒そうな視線を向ける。

 資料を書いたのはライムントであり、それを読んだジークの心情は簡単に察せられた。


「……ライムント、宰相はこの件に何と?」


「はい、ジーク様に一任すると」


 その言葉に、随分と自分を買ってくれているらしい宰相の嫌味な顔が、ジークの脳裏に浮かぶ。

 あの宰相のことだから、きっとジークがどうしようと、最悪の事態だけは回避するよう手を打っていることだろう。そういう人だ。

 ならば、ジークがすることは一つ。愚かな弟クリストフの不始末をニコラウスが負うことにならぬようにするだけだ。


「まずは儀式に使われ失われた龍珠の代わりを入手しないといけない。これがないと来年の式典が行えないからな。ライムント、大変だろうが頼む」


 ドラゴンの核。龍珠。

 最強の呼び名をもつ生物が持つそれは大規模な魔術儀式などに使用される。

 クリストフはよりにもよって来年の式典に使用する為、『ウケイ』の神殿にて聖別し保管されていたものを持ち出し、使った。

 使用したことも問題だが、行った儀式やそれによる結果なども国の災いの種となってしまった。

 謝って済む問題ではないが、彼一人でここまで大それたことが出来るわけがない。背後には誰がしかの協力があったのだろう。それが、神殿関係者か帝国よりの貴族かまでは今のところ調べ切れてはいないようだったが。

 失われたものの代わりを直ぐに手に入れないといけないが、ドラゴンの龍珠は滅多に市場に出回ることが無い。確実に手に入れるなら凄腕の探索者に依頼を出すことだが、依頼相場が最低100万では悪目立ちすぎて要らぬ憶測を呼ぶ。

 今でさえ名ばかりの王子であるクリストフはこの件が表ざたになれば、最悪死刑となりえる。

 さすがにジークは兄弟として、そこまでの罰を与えたくは無かった。

 だが、その為にライムントに死地に向かえという命令を出すのもまた気が引けた。例え彼がどんな凄腕でも安全を確証する者などドラゴン相手には無理なのだ。しかし、彼以上の適任者をジークは知らない。


「『ウケイ』は駄目、だろうな。きっとクリストフの協力者がいる。他の回廊都市に誰か伝手はあるか?」


 顎に拳を当て考えるジークに、ライムントは口の端を上げ、答えた。


「今なら『ガンビ』にジエン様が滞在していらっしゃいます。かの人と昔の仲間の助力を得られれば、春までに間に合うかと」


「『ガンビ』に?本来ならもう少し北の都市にて年を越されるご予定だったのでは?」


 手紙にて伝えられた話と滞在先が違い、ジークは首を傾げる。


「確かに予定ではそうでしたが、こちらでも星見の託宣からは外れない、と言われ、身分を偽り、探索者の真似事をなさっているとか。例の『黒月姫』は同行の者だそうで、オウカでも名家の娘だとかで、腕についてはジエン様のお墨付きです」


 『黒月姫』。

 デモビアを討伐した探索者の噂が王都の貴人たちの下に届いた時、よく上げられた呼称である。ただでさえ目立つオウカの一団に属すなら、噂の広まりも早かっただろう。

 こちらも黒髪黒目の少女で、貴人たちの噂話によく登場した。さすがに他国の名家の娘では、獲得に動く者も少ない。


 もっとも、ジークはデモビアを倒した探索者が違う者だと知っている。

 これまた黒髪黒目で、『白牙鬼』という呼称が定着しそうな人物らしい。鬼が含まれる呼称など、あまり褒められた人物ではないのかも知れない。まだ幼い子供を侍らして悦に入っているなどとも聞く。

 すべては、執務の合間にライムントと交わした他愛も無い噂話による知識だ。しかし、ほぼ事実なのであろう。

 目の前の男が、妻子のいる『ガンビ』で起きた出来事に詳しくないことなどありえないのだから。


「まあ、お前が文句を言わないなら、この件に関しては一任する。他の問題はこちらで何とかするから、専念しろ。必要なものは出来る限り用意する。報告は怠らないように」


 言わなくても分かるだろうことまで口に出すのは、ジークに余裕が無いからか。

 ライムントは短い了承の言葉を述べると、まだ仕事の残るジークの執務室から退室した。


「覚悟を、決めておかなければいけないな」


 背もたれに寄りかかり上を向けば、天井の染みがジークの目に映る。

 仕事をする気が湧かなかった。

 男であることを否定され嫁に行く自分と、王になれないことを決定され飼い殺しにされる弟。

 笑いあえていた過去がある分、これから自分が招き入れる未来に、ジークは暗い気持ちになった。



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