久々に会った親友の様子がどこかおかしい
「驚いたなあ、いきなり会おうだなんて」
鳥のキャラが看板に描かれている、大手チェーンのファミレス。その窓から最も離れたボックス席で、若い男性二人が向かい合って座っている。一人はラフな茶色のカーディガンを羽織った眼鏡をかけている男で、もう一人は少し大きめの灰色のスウェットを着た髪の長い男だ。
「ごめんようちゃん。なんか、いきなり顔見たくなって」
「んだよ、お前そういう奴だったか?」
そう言いながらも嬉しそうににやにやと笑う眼鏡の男が「ようちゃん」こと片桐洋介。今は大学3年生の経済学部で、実家を離れて通学している。
「でも、俺も正樹と会えてちょっと嬉しいわ。大学に上がってからずっと顔見てなかったし」
洋介から目を逸らして笑うのが林田正樹。背が高く、顔も整っていて、一目で「こいつは女子にモテるだろうな」と分かるような外見をしている。座高だけは洋介と一緒なところが、少しだけ洋介のコンプレックスを刺激した。
「会ったのいつぶり? 高校卒業して、それから川越行った時くらい?」
「そうかも。三年くらい空いてたのか」
「てか、お前が連絡よこさないからだろ! 俺、何回か正樹に生存確認の電話かけたよな?」
ごめん、と正樹は顔を下げた。妙に長い前髪が壁になって表情がわからなくなる。
「あ、そういやイメチェンしたの? 正樹、前はマッシュにしてたじゃん」
「まあちょっと、髪のセットできてなくて」
洋介は髪を切ったばかりのうなじを撫でた。高校時代、正樹はモデルかとツッコミを入れたくなるほど髪の手入れを欠かしていなかった。何も意識していなかった洋介にとってそれは鬱陶しいくらいで、正樹をからかう時はよく彼の髪をわしゃわしゃと崩してやったくらいだった。
洋介は流行りに疎くSNSもろくにやっていないので、そのスタイルが今のできる男なのだろうか、と彼の顔を覗き込んだ。
「いや、てかなんで連絡くれなかったんだよ。マジで死んだのかと思ってヒヤヒヤしたじゃん」
「それは、えっと、ケータイだよケータイ。新しいのにして連絡先全部飛んじゃったの」
「はあ!? なら俺ん家来て言えよ。冗談抜きで心配してたんだけど」
二人は小学校からの付き合いだ。互いの家なんてもちろん知っているし、実家の本棚に並んでいる漫画の種類と場所だって覚えている。趣味が合ったから友達になった、というよりも、友達になって趣味が似てきたと言った方が正しい。大学に入って一年目の頃は正樹と顔を合わせないことに謎の違和感を感じていたくらい、彼は身近な存在だった。
だからこそ、大学生になってから連絡が途絶えた時にはなにかがあったのかと思って、今までのトーク履歴が見えなくなるほど「不在着信」の文字が並ぶことになった。
「で、どうして今になって?」
「あー、ふとようちゃんの電話番号思い出して。それで、うろ覚えだったけど、かけてみた」
「思い出してくれてよかったわ。じゃなきゃ一生会えないとこだっただろ」
正樹は透明なグラスに入った水を一口飲む。彼のグラスは半分ほど水で満たされているが、洋介の方は一度も手につけていない。正樹は手のひらで親指を握ったり、開いたりを繰り返していて、久々だから緊張しているのかな、と洋介は彼を鼻で笑った。
「三年ぶりで、何話せばいいかわかんなくなってんの?」
「いや、まあ、そうかも。でもそっちもそうだろ? 大学の友達と俺じゃ話す内容違うだろ」
「いや、俺はなんにも緊張してないよ。てか、三年も経ったのにこっちは大学のやつらと全然馴染めなくてさあ! 上部だけの付き合いっていうか。やっぱお前なんだよな」
洋介は正樹の髪をぐしゃぐしゃに撫で回す。ボサボサになった髪に正樹が怒るのを期待したが、いじくり回す前と後で変化はさほど無かった。
「そっちはどうなの? 大学。お前いいとこ行ったよなあ。やっぱキラキラしてる感じ?」
「キラキラって何だよ。三回生のくせに解像度低いな」
正樹は口を腕で押さえて笑う。三年前と変わらない笑い方に洋介は少し安心した。見た目が少し変わっても中身はそのままだと確信して、その瞬間洋介の中に正樹と話したい話題が山ほど生産された。
「ようちゃん、大学に入っても何も変わってねえじゃ——」
突如正樹の声が上擦って、しゃっくりでもしたのかと洋介は特に気に留めず話を続けようとした。しかし、そのすぐ後に机の上に水滴がぽたりと落ちてきて、まさか、と洋介はぎょっとした。
「え、おまっ、泣いてんの!? おい、大丈夫か?」
「いや、いや、なんも大丈夫だって」
正樹は袖で目を擦る。前髪が腕に乗っかって出鱈目な形になり、彼の顔が完全に見えなくなった。
「なんか、疲れちゃってただけだから。色々あってさ」
「お前でも大変な思いするもんなんだな……」
正樹は小学生から気のいい人間で、喧嘩の仲裁から小さな気遣いまでなんでもできる男だった。当然クラスの中心的人物になるし、当然モテる。洋介も彼の性格に甘えている部分もあった。
彼が弱さを見せる時なんてほとんどない。むしろ、弱った人間に寄り添う方だ。彼が泣いているところを見たのは共に犬が主人公の映画を見た時くらいである。だからこそ、洋介は彼が少しでも弱った姿を見せてくれたことに多少の喜びを感じていた。
「あーほら、今日は俺が奢るから。つってもファミレスだけど。何食いたい?」
「いや、来ておいてアレだけど、あんまり腹減ってないっていうか。ごめんな」
「いやいや! 誘ったの俺だし! お前、そういうところで謝るなよな」
洋介は何か、使命のようなものを感じていた。彼が大学で辛い思いをしているなら、それを少しでも和らげるのが長年の親友の役目だろうと。この再会は洋介にとって大きな意味を持つようになっていた。
「正樹、嫌なら話さなくていいけどさ、大学で何かあった? こっちもいるんだよな、気分が悪くなる奴」
「大学……大学か」
壁側の席に座る正樹は洋介の背後を一瞥し、長い髪を耳にかけた。
「いや、まあ、やれてる、と思う」
「じゃあバイトか? 最悪な先輩とかいる? なら俺が一言ビシッと言ってやるよ」
「バイト、はしてないな」
彼の悩みの原因が見えてこなくて、洋介は腕を組む。もしかしたら話したくないようなことなのかもしれない。詮索は良くないが、それでも自分になら話してほしいと思っていた。——その思いには、ある明確な理由がある。
「そういえば、お前の彼女最近どうなの?」
正樹は水を飲む手を止める。
林田正樹の彼女。彼が高校二年生の時からいる存在だ。
「瑞稀ちゃんだよな? 今も付き合ってんの?」
「あ、あ、うん、付き合ってる」
「なーんだ、まだ別れてなかったのか。いいよなー! あんなよくしてくれる彼女がいて!」
口ではそう言っているが、洋介は彼女に少し複雑な思いを抱いていた。
早坂瑞稀。才色兼備な髪の長い美少女で、アイドルだと言われても納得するくらいのプロポーションの持ち主だ。声も透き通っていて、彼女の笑顔は花の香りがすると錯覚したこともあった。よくクラスで正樹とお似合いだと持て囃されていたことを、洋介ははっきりと覚えている。
「バレンタインにお前用に作ってくれたクッキーあったじゃん。あれ、めっちゃ美味しかったし……」
洋介は若干嫉妬していた。正樹ではなく、早坂瑞稀に。もちろん、彼女のことは好ましく思っているし、正樹と付き合っていない頃、ひっそりと彼女を狙っていた時期もあった。それでも、ほぼ毎日一緒に歩いていた通学路を一人で歩くようになった原因は彼女だし、放課後に正樹の家で漫画をだらだら読めなくなった原因も彼女だ。
正樹と言えば洋介、だったのが早坂瑞稀に置き換わって、なんだか退屈だと正樹に強く当たったこともある。包み隠さず言うなら、早く別れてほしかった。
「ほん、本当に瑞稀は可愛いんだよ。俺のために尽くしてくれるし、なんでも気遣ってくれるし変化にもすぐ気づいてくれて、まさに誰もが望む彼女っていうか理想的な人で大袈裟だけど女神みたいな人っていうか」
「え、おい、急にどうしたんだよ」
ただ彼女の話題を出しただけなのに、正樹は早口で早坂瑞稀の魅力を語った。中身があるようでない褒め言葉は、まるで何かに言わされているようでなんだか気味が悪かった。それに、早坂瑞稀を褒める正樹は、やっぱり面白くない。
「瑞稀には俺がいればよくて、俺は瑞稀がいればいいんだ。そう決まってるんだ。だってこれは運命だから、運命だから、運命だから、そう決まってるから……」
「正樹、一回止まれ、落ち着けって。おい、正樹!」
はっと正樹は顔を上げる。それからファミレスの中をきょろきょろと見渡して、それから水を一気に口に含んだ。
「……ごめん」
「何だよ、そんなに彼女がいいのかよ」
「いや、そうだけど、そうじゃなくて、ごめん」
正樹は再び俯いてしまう。彼を元気づけないと、と思っていたが、それでも正樹に早坂瑞稀の名前を出してほしくなくて、洋介は眉間に力を入れた。
「俺には分かんないけどな。そこまで彼女に肩入れする理由が」
「ようちゃん、違くて、いや、そうだけど、いや、あれ……」
「……あ、いや、ごめん。こんな言い方ないよな」
洋介は焦って自分の発言を撤回する。久しぶりに会ったというのに、彼と険悪な雰囲気になりたくなかった。あからさまに態度に出すのはよそう、そう今更ながら思い直す。
「い、いや、いい人だよ。瑞稀ちゃんは。お前が羨ましいっていうか」
「……よ、よう、ちゃん」
正樹は唾を飲み、前髪を分けて陽介と目を合わせる。それになんだかどきりとして、洋介は姿勢を正した。
「……俺の、妹の話なんだけどさ」
「え、妹の? 真美ちゃんのこと?」
正樹は頷いた。思っていた話と違って、洋介は肩の力を抜く。
「ま、真美には、彼氏がいるんだ」
「おお。まあ真美ちゃん可愛いからな」
「それで、その彼氏はすごくいい人で、頭も良くて、運動もできて、非の打ち所がないほどすごい人間なんだよ」
「ふーん、お前みたいだな」
洋介は初めてグラスに口をつけた。正樹は一度小さな深呼吸をして、また話を続ける。
「……で、でも、周りにそう見せてるだけで、本当は違うんだ」
「どういうこと?」
「本当は、すごくそ、そくば、束縛癖があって、妹が他人と話すことが許せないんだよ」
正樹は声を潜めて話す。なるほど、と洋介は正樹の悩みについて予想した。正樹の妹は酷い束縛癖がある彼氏に悩まされていて、それを正樹に相談したのだろう。彼は家族思いな人間でもあるからそれを許すことができず、結果こうして疲弊してしまっているのだ、と洋介は考えた。
「それに、すごく妹の人生に干渉しようとするんだ。次はこうして、その次はこうして……って。い、今、妹が自分で決められてることは、ほとんどないんだ」
「そりゃ酷い話だな。最低な彼氏だ」
「あ、えっと、最低かは分かんないけど、まあ、あまり良くないだろ」
なぜか正樹はその妹の彼氏を庇護するような言葉をかける。その意味が洋介にはよくわからなかったが、彼の悩みに感情移入した。そして、その問題を解決できれば正樹の心労を減らせるだろうと前のめりになって話を聞いた。
「なら、俺が言ってやろうか」
「え、真美の彼氏に?」
「うん。こちとら元ラグビー部だぞ。揉み合いになったとしても押さえつけられる自信がある」
そのような人間と話し合いをしようとしてもまともに取り合ってくれるわけがない。ならば少し強引な手段でも、どうにかして正樹の妹の彼氏とやらを黙らせないといけないと思った。
正樹は少し考え込み、それから頭を振るった。
「いや、駄目だよ。危険すぎる。刺されたらどうするのさ」
「刺される? そしたらこっちの勝ちだろ。即逮捕できるじゃねえか」
「でも、瑞稀はそんなに甘くないんだよ!」
洋介は首を傾げた。妹の彼氏の話なのに、正樹は「瑞稀」と言った。その意味が、洋介にはわからない。
「瑞稀? 瑞稀ちゃんが関係あった?」
「……あっ! いや! 瑞稀は関係ない! 瑞稀はいい子で、素晴らしい女の子だから。言い間違えだよ、言い間違え」
「そうかよ」
正樹が瑞稀を褒め出すと、洋介の心に不満が溜まって早く話を切り上げたくなってしまう。正樹が髪を伸ばしたのも彼女の影響だったら嫌だな、と洋介はファミレスの天井を見上げながら考えた。
「とりあえず、お前ん家が今どこか知りたいわ。一人暮らししてんだろ? ここでだらだら話すのもいいけど、何も頼まずにいるのもまずいし」
「え、俺の家?」
「何だよ、瑞稀ちゃんは良くて俺は駄目なの?」
そんなことない、と正樹は首を振る。洋介は彼の悩みを解決するのも大切だが、それより、小学生の時のようにベッドに寄りかかりながら正樹と漫画を読みたかった。
「……え、っと。もし、よければなんだけど、俺はようちゃんの家に行きたいな」
「え?」
「なんか、どんなとこに住んでんのか見てみたくて」
正樹が自分の家に興味を持ったことに、洋介は再び小さな喜びを感じていた。ゴミも散乱していて綺麗とは言えない部屋だが、それでも正樹なら笑って許してくれるはずである。
「もち。汚ねえけどいいよな」
「うん。あ、あと」
「あと?」
「……と、泊まっても、いいかな」
とまる、止まる、停まる、泊まる。
頭の中で文字が変換されて、洋介は思わず立ち上がった。
「泊まり!? え、何で!?」
「いや、えっと、ちょっと休みたくて……?」
洋介は口を押さえ、ゆっくりと座り直した。正樹と泊まったことがあるのは小学校低学年の時と、中学校の修学旅行と、高校の修学旅行である。大学生になって「家に泊めてくれ」なんて言われることを想定したことはない。思いがけない提案に、洋介は遠足の前日のような気分になった。
「いいよいいよ、ウェルカムウェルカム! あ、なら掃除手伝ってくんね? 二人寝れるスペースないかもだから」
「はは、宿泊料ってことね」
「そういうこと! 家事してくれたら延長料無料!」
正樹は口を大きく開けて笑う。つられて洋介も笑った。まだ彼の悩みを解決する素晴らしい案は思いついていないが、適当に話して、適当に遊べばなんとなくそれらしいものが浮かんでくると確信していた。
「な、正樹、早く新しい連絡先教えろよ。でないとお前の実家にイタ電するからな」
「最悪すぎだろ」
「てか今! 今携帯出せって」
そう言うと、正樹は気まずそうに目を逸らした。
「……いや、今、携帯無くて」
「は? じゃあどうやって俺に電話したんだよ」
「公衆電話使って、電話した」
洋介は疑問に思う。今時、公衆電話を使うシチュエーションなんて限られている。スマホを肌身離さず持ち歩く大学生なんてもってのほかだ。
そして、改めて正樹の格好を見る。彼はいつも洋介と会う時はそこまで身だしなみに気を使う方ではないのだが、今日の服装は何だかおかしい。全身灰色のスウェットなんて正樹が選択しそうな服ではない。まるで、パジャマのまま外にでできたようだった。
「……待て。正樹、今日来る前何してた?」
「えっ、と、何もしてない。家にいた」
「なら、どうしてわざわざ外の公衆電話から電話した? 家から普通に電話すればよかったのに」
正樹の喉から空気を吸い込む音が鳴った。そうだ、冷静に考えれば、今日の正樹にはおかしな点が多い。なにか、別のものが彼に干渉しているような気がした。
「正樹、なあ。何か隠してないか?」
「……ああ、もう、駄目だ」
正樹は顔を両手で押さえる。肩は震え、長い髪がゆらゆらと宙に浮いた。
「……正樹?」
「もう、ごめん。無理だ、無理だよ、俺」
正樹の目には、涙が滲んでいた。
「ようちゃん、たすけ——」
「まーくん」
りん、と鈴が鳴ったのかと洋介は錯覚した。綺麗で、耳馴染みの良い、高い声。
洋介は椅子を引き、振り返る。そこにいたのは、黒く長い髪を靡かせ、大きな目で正樹を見つめる美しい女性だった。
「…………み、瑞稀」
正樹は動きを止めて、顔をこわばらせた。しかし、洋介は目の前の人物に気を取られて、そのことに気づくことができなかった。
「私、びっくりしちゃった。お家の鍵開いてるんだもん」
「……瑞稀ちゃん?」
「……それに、なんか人と話してるし」
瑞稀は洋介をちらりと見て、それから流れるように正樹の隣に座った。眉を下げ、恋人を見る愛しい目をしている。
「まーくん、私だよ」
「ご、ごめん、ごめん、なさい」
ぼそぼそと呟く声は洋介には聞こえない。瑞稀はにっこりと笑って、正樹の腕に細い指をかけ、小さな顔を正樹の肩に乗せた。
「帰ろっか」
「は、はい、ごめんなさい」
洋介が状況を把握する前に瑞稀は正樹を立たせ、腕を組んで席から離れようとした。姿を消そうとする親友に、急いで洋介は立ち上がり、彼の方を掴んだ。
「おい、どこ行くんだよ!」
「……ようちゃん」
前髪で隠れて、正樹の顔は良く見えない。ただ、口元が笑っていることだけを把握できた。
「……またね」
瑞稀は洋介に身向きもせず、そのままファミレスを去っていく。何も頼まず、泊まりの約束も有耶無耶になり、連絡先の交換も無しに正樹は彼女と仲良く行ってしまった。
一人残された洋介はどかっと先に座り直し、大きなため息をついた。
「絶対、俺の方が正樹のこと分かってるのに……」
親友より彼女を優先した彼の姿を思い出しながら、洋介は喉を鳴らして水を一気に飲み込んだ。




