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あなたが「君を愛することはない」と言ったおかげで溺愛結婚生活が訪れそうです

作者: 大鷹 奈琴
掲載日:2026/07/08

顔を合わせたのは結婚式が初めて、相手の情報は釣書に書かれた浅いもののみ、家同士が共同で行う事業を行うことに基づいた完全な政略結婚。

それが私の結婚だ。

今日、私たちは、二人ともに貴族らしい作り笑いでもって結婚式から披露宴までを終えた。


そして迎えた初夜。

慣れない夫婦の寝室で私は彼を待っていた。

薄手の夜着は少しばかり扇情的で、若い夫婦の初夜にはぴったりなのだろう。

もっとも、私の気持ちは浮かれてはいない。

それもそうだろう、夫となる相手をきちんと認識したのは今日が初めてなのだ。

さすがに結婚式ともなれば朝から晩まで慌ただしく、式場で顔合わせとなった彼と個人的な会話はほとんどない。

記憶に残るのは作り笑いでの横顔のみ、彼と目を合わせることさえほとんどなかった。

部屋に備えられたソファに腰かけて改めて部屋を見渡す。

初めて足を踏み入れたこの館と同じく、実家とは違う様式で整えられている。

例えばキャビネット。実家の私室では木目の鮮やかなものを使い込んで、少しずつ飴色になるように育てていた。

この部屋の装飾の多いキャビネットは真っ白で、金の猫足が映えてはいるものの全く見慣れないものだった。

ベッドの装飾から絨毯の模様まで、見慣れぬ様子に馴染めず心が落ち着かない。

備え付けの本棚に収められた小説も壁に飾られている森林の絵も、私の心に入り込む隙間なくて緊張を解いてはくれなかった。

逸る心を抑えるように息を吐く。

と、そのときドアをノックする音が部屋に響いた。


「はい」


答えを聞いて少し間があいて、夫が姿を見せる。

私は立ち上がると、一応の歓迎の姿勢を表した。


「待たせたかな」

「いいえ、そんなことはありませんわ」

「それならよかった」


私の見え透いた嘘を彼は疑うことなく、今日だけで幾度も見た作り笑いを浮かべた。

私も同じように笑みを浮かべて彼へと視線を向ける。

金の髪は薄暗い寝室でも柔らかく光を反射し、タレ目がちな翠の瞳は穏やかに笑みの形を作っている。

釣書に付属していた肖像画は存外正直に描かれていたらしい、ほとんどそのままの姿の人物が目の前に立っていた。


「その……まずは、少し話をしようか。そこに座って」

「はい」


促されるままに先ほどのソファに逆戻りする。

彼は向かいのソファへ腰を下ろすと、小さく息を吐いた。

私と同じく緊張しているらしい。

少しの沈黙のあと、彼は意を決したように一言告げた。


「君を愛するつもりはない」


今日初めて彼と視線があった。

真剣な眼差しからは大きな覚悟が読み取れる。

一方の私は、突然向けられた刃の大きさにすぐには返事ができなかった。

私と彼とは政略結婚だ。

顔合わせが式当日ということからわかるように、話が上がって今日まで期間も短かった。

彼には心を交わす相手がいたのだろう。

十分に別れる時間がとれなかったのか、もしかしたらまだ続いているのかもしれない。

真に愛する相手の横で、お飾りの妻として冷たく扱われる未来が頭をよぎる。

知らず知らずのうちに握りしめていた手が視界に入って、俯いていたことに気づく。

意を決して返事をするために改めて顔をあげて、彼の表情を見て……思わず目を瞬いてしまった。

いつの間にやら彼は、頬を真っ赤に染めて、何かを請うようにこちらを見つめていたからだ。


「ということなんだが、どうだろうか」

「……え?」

「その、突拍子もない話だが、本気なんだ。どうか頷いてほしい」


どうやら俯いていた間も彼は話を続けていたらしい。

想像と違う展開に慌てて口を開く。


「その、申し訳ございません。呆然としてしまって、話を把握しきれておりませんでした。もう一度ご説明いただいてもよろしいでしょうか」

「もちろんだ。君に納得してもらえるなら何度でも説明しよう」

「では最初からお願いします」

「うん」


彼は切羽詰まった表情や真っ赤な頬はそのままに、大きく深呼吸をした。

そして再び視線を合わせて、まっすぐに口を開いた。


「君を愛するつもりはない」

「はい」


先ほどと同じ言葉の刃、しかし切っ先は私に向けられたものではなかったらしい。

私は視線を合わせたまま、言葉の続きを待った。


「この言葉から始まる夫婦は、冷え込んで離婚に至るか、その、甘やかな溺愛に至ると相場が決まっているらしい」

「……はい?」


甘やかな、溺愛。

予想もしなかった言葉に、返す言葉は疑問符を伴うものになってしまった。

しかし彼はどのことに気づいていないのか、説明を続けるつもりらしい。


「縁談の話が上がってから今に至るまで、一般的な期間に比べれば非常に短い時間しか我々には与えられなかった。政略結婚だから仕方がないと言われてしまえばそうなのだが、私は君と政略だけの関係でいたくはないんだ」

「はい……」

「可能であれば、溺愛させて、いただきたい。なので、『君を愛するつもりはない』と言わせてもらってもいいだろうか?」

「……えぇと」

「もちろん可能な限り君の要望も叶えるつもりでいるし、何か懸念点があれば言ってほしい。私と君は既に夫婦、対等な関係でい続けたいんだ」


なに?

つまり彼は、私を溺愛したいから『君を愛するつもりはない』なんて言った、と?


「どうして……?」


浮かんだ疑問がそのまま言葉として出てしまう。

彼が選んだセリフの意味も分からなければ、なぜ溺愛なんて結論に至ったのかもわからない。

彼が言った通り、私たちはまだ短い時間しか共にしていないのだ。

なにか読み取れないかとじっと彼の眼を見つめる。

すると彼の頬は一層赤くなり、視線はうろうろと彷徨うようになってしまった。

それでもじっと答えを待つと、とうとう観念したように彼は顔をあげた。


「どうして、と言われると、君のことが好きだからだ」

「それこそ、どうして、ですわ。私とあなたが顔を合わせたのは今日が初めてでしょう?」

「そうでもない。これまで夜会や公の場ですれ違うこともあっただろう」

「すれ違うと言っても、本当に場を共にした程度でしょう」

「そうなんだが、その……全部話さないとダメか?」

「そうですね、お願いします」


彼の余裕のなさが逆に私に余裕を与えてくれたらしい。

真剣に見つめ続けると、彼は押し負けたように再び口を開いた。


「……2年前の王立植物園で、君が小さな女の子を助けているのを見たことがあるんだ。ドレスの裾が汚れるのも厭わず、少女に寄り添う君はまるで天使のようだった」

「……え、それだけで?」

「それだけではない! それでその天使は誰なのか興味を持って、次に夜会で声をかけようと思ったのだ。だが君はいつも派閥の方といっしょにいて声をかける勇気がでなくて……いつも見つめるだけになってしまった」


気持ち悪くてすまない、と彼はしょげた顔で続けた。


「周囲にさりげなく気を配っているところや、笑顔が素敵なところなどは見ているだけでもわかった。そうするとより一層気になってしまって……なんとかして君と関係を持ちたくて、君の家に共同事業を持ちかけたんだ。もちろんお互いに利益が出るようにね。それを足掛かりに君と出会って、ゆっくり関係を築いていくつもりだったんだが、なぜか結婚の話がでてしまって、君との結婚を断ることなんてできなくてすぐに頷いてしまったんだ。するとあれよあれよと話が進んで今に至ってしまった」

「まぁ……」

「実際に顔を合わせてみれば声もかわいいし、少ししか話せなかったけどその少しでもっと好きになってしまった。披露宴の間だって君は僕を気遣ってくれただろう? もう止まらなくて、このままではなんの前触れもなく君のことを溺愛し続ける気しかしなかった」


お、重い……気持ちがひたすらに重いです。


「さすが顔を合わせたばかりで愛を告げられても信頼はできないだろう? だったらきっかけがあればいいと思って……そのときに君が恋愛小説が好きだってことを思い出したんだ」

「え? 確かに、恋愛小説は好きですけれども」

「話題の一つになれば、と思って最近流行っているものや名作と言われているものをいくつか読んでみたんだ。するとどれも『君を愛するつもりはない』と初夜に告げているじゃないか。そしてその末路は離婚か溺愛か。ということはあらかじめ『君を愛するつもりはない』と告げておけば溺愛してもおかしくないんじゃないかと。でもいきなり告げて離婚になったら困るだろう? だからあらかじめ許可を取ろうとして、今に至っている」


どうだろうか、と確認するように覗き込まれても……

どうしよう……この人、少しお馬鹿さんなのかもしれない。

私のことが好きで、だから「君を愛するつもりはない」なんて言ったわけで。

いや彼としてはまだ言ったつもりはないのだろう。

確認しているところだという認識らしい。

なんだろう、普通に告白するより恥ずかしいことを言っていることに彼は気が付いているのだろうか。

私も落ち着かなくなってきて、思わず部屋を見渡す。

ふと目に着いたのは本棚に並ぶ背表紙。

改めて確認してみれば有名な恋愛小説が並んでいた。

壁に飾られている森林の絵は私が好きな画家のものだし、猫足の家具は幼い頃欲しくて駄々をこねたものに似ている。

そのエピソードはいまだに親にからかわれるものだ。

きっと彼も私の親から聞いたのだろう。

そう思って改めて部屋を見回してみると、私が好きそうなものがいっぱい集められているようだった。

カーテンのピンクは私が選ばない愛らしいものだけれど、私が落ち着いたピンクが好きなのは本当。

毛並みが長い絨毯にも密かに憧れていたものだ。

この部屋を用意したのはさすがに縁談が決まってからだろうから、この短い期間でここまで集めてくれたのだとわかる。

馴染のない、落ち着かないこの部屋は、私が好きになるように整えられていたのだった。

気付いてしまえば私も頬が熱くなってしまう。

つまりこの部屋は、彼から私への好意そのもので作られているのだった。


「……どうだろう」

「えぇと……まずは、自己紹介から始めるのはどうでしょうか」

「え?」

「私たちはまだ互いに名乗りあったくらいでしょう? 私も釣書以上のことはあなたについて知りませんし……」

「では!」

「『君を愛するつもりはない』なんておっしゃらないで、あなたについてたくさん教えてください。ね?」

「もちろんだ! なんでも聞いてくれ!」


満面の笑みを浮かべる彼を見て、私もついつい笑ってしまった。

作り笑顔より今の表情を見慣れるころには、私たちもいっぱしの夫婦になれているのではないだろうか。

カーテンの愛らしいピンクも少しは私に馴染むようになっているといい。

その頃には彼の好きな物もこの部屋に飾りたいと、そう思った。

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