弱みを見せてはならない殿下の弱点が、私だった件。
「……いい? ブランシュ」
我がファリエール侯爵邸の広大な庭で、母は優しい声で幼い私を諭した。
その後ろではわんわんと泣く情けない声が聞こえていた。
あれは私の兄である。先程喧嘩になって私がボコボコにした。
「強いという事はとっても素敵な事よ。自分の身を守る術を持っているという事だから。……けれどね」
母の声はとても柔らかい。
しかし、その顔は完全に困り果てている。
「……女の子は、か弱いふりをしている方が可愛がってもらえるものなのよ。その強さは……必要な時まで隠し持っておきなさい」
私は母が大好きだった。
それ故に、この時の言葉を聞いた私は、「か弱いフリをしていればもっとお母様に可愛がってもらえるかもしれない」と考えた。
そしてそれからというもの……私は母の言う通り、淑女らしい振る舞いと教育を手に入れ、お淑やかな侯爵令嬢となった。
尚、兄シャルルは成長してシスコンになったので、ハグを求めて来る度に投げ飛ばした。
我がファリエール侯爵家は古代に存在したある部族の血を引いた稀少な体質を持っている。
本来魔法を扱う為のエネルギーとなる魔力を使い、身体能力を大幅に向上することが出来るのだ。
私は家族の中でもより、その力が強かった。
しかし、見た目の割に温厚と評される魔物ゴリーラのようだった幼子はもういない。
成長した今の私は淑女。
その力は親バカの父とシスコンの兄を投げ飛ばす時以外には使わない事にしていた。
幸い、私は自分の容姿が整っている方であることを自覚している。
加えて必要最低限の言葉以外を慎み、優しい微笑を顔に貼り付けておけば――あっという間に完璧な淑女の皮の出来上がりである。
そしてこの淑女の皮、性別問わず同年代の方々からの評価が高い。
(……だと、言うのに)
私はティーカップに静々と口を付けながら、正面に座る青年へ向ける。
髪と同じ銀色の長い睫毛を伏せる、麗しい殿方。
彼は私と同じ様な笑顔を貼り付けたままこちらを見ていた。
「今日のお茶はどうかな。東の小国から仕入れた稀少な茶葉なのだけれど」
「ええ。深みがあって、大変美味しいですわ」
イヴォン・エドゥアール・アルディクス様。
我が国の王太子であり――私の婚約者だ。
私達の婚約はもうかれこれ十年ほど続いている。
私が淑女教育に意欲的に取り組むようになった時期からだ。
良く晴れた空の下、王宮の庭園で私達はお茶を飲む。
互いに微笑みながら談笑する私達。
傍から見れば円満な婚約関係を築く男女が、何気ない時間を過ごしているようにしか見えないだろう。
けれど、淑女の皮を被っている私は知っている。
この十年間、彼が顔に貼り付ける笑顔が全く同じものである事を。
そしてそれが――作り笑いであるという事を。
(こんなに完璧な淑女なのに、イヴォン様は全く心を開かない。……きっと私の事が嫌いなのね)
イヴォン様はとても聡明なお方だ。
もしかしたら私の本質を見抜き、辟易しているのかもしれない。
けれどそう思ったところで、私は既に私が出来る最善を尽くしているし、これ以上淑女らしくしろと言われても不可能だ。
ならばせめて、この婚約が帳消しにならないよう、彼の怒りを買わないように心掛けよう。そう思っていた。
幸いにもイヴォン様は、私に冷たく当たったりはしない。
たとえ外面だけだとしても婚約者として接してくれている。
ならば彼にも婚約を続ける意思が少なからずあるという事。
それで充分だ。
「最近はお忙しそうですね」
「ああ。少しずつ公務を増やしているからね」
「お疲れではありませんか?」
「そんな事はないよ。国の為に出来る事が増えるのは、喜ばしい事だからね」
模範解答。
相変わらずその言葉の裏は読めない。
「何か、お力になれるような事はありませんか? 私とて将来はイヴォン様と同じく国を背負う身。何かお力になれる事があるのならば仰ってください」
「ありがとう。けれど大丈夫かな。別に困ってはいないから」
気遣うように声を掛けようとも、彼はそれを突っぱねる。
これ以上距離を詰めようとすれば、警戒心の高い彼は詰めようとした何倍も離れていきかねない。
「そうですか」
私は大人しく引き下がった。
そして、そこそこの時間を庭園で過ごした後。
イヴォン様は席を立ち、私に手を差し伸べた。
「少し歩こうか。稀少な種の薔薇が庭園に入ったらしくてね。貴女は薔薇が好きだろう?」
「そうなのですね。是非」
私は彼の手を取り、共に歩き出す。
途中、冷たい風に吹かれて乱れた私の髪を、彼は丁寧に直してくれた。
自分の心は開こうとしない癖、当たり前のようにエスコートし、甘やかしてくる。
それが彼にとっての義務なのだとしても、私は嬉しかった。
自分が出来るか出来ないかに限らず、世話を焼かれるというのは悪い気がしない。
その事に気が尽き始めたのは、イヴォン様と婚約を交わしてからだった。
だから私は彼の義務感を利用して、無垢でいたいけな淑女を演じる。
彼が私を気に掛けてくれるように。
「時に貴女は」
私の手を引いて庭園を巡りながらイヴォン様が言う。
「隠し事が得意だという自負はあるかい?」
質問の意図が分からなかった。
私は小首を傾げてから頷いた。
「そうですね。ポーカーフェイスは得意かと」
「そうかい」
イヴォン様が歩く方角を変える。
丁度彼の顔が見えなくなったところで、僅かに笑うような気配があった。
珍しい事もあるものだ、と私はしみじみとした。
***
「分不相応ですわ」
王立学園にて。
授業の合間の休憩時間に、私はそう言われる。
私の前に現れたのは公爵令嬢ジョゼット・ド・マニュエル様。
彼女はイヴォン様の幼馴染であり……恐らく彼に恋焦がれているお方だ。
ジョゼット様は数名の取り巻きを引き連れて私の前に立っていた。
「イヴォンが可哀想だわ。こんな女と婚約なんて。……一度交わしてしまった手前、簡単に解消も出来ず困っているのでしょう」
イヴォン様を呼び捨てにするのは、「私の方が心の距離が近い」という主張だろう。
「パッとしない侯爵家の娘よりも、彼には相応しい相手がいるとは思わない?」
「そうですね」
ジョゼット様のお言葉には全面的に同意だ。
イヴォン様は品もあり、聡明で、武にも長けている。
そんな、弱点など一つも見当たらないようなお方の隣に並ぶのが穏やかさが欠如したゴリーラともなれば、もっと他に相応しい人物がいるのでは? と思うのも当然の事。
しかし。
「……けれど、それは少なくとも王族が決めた婚約に異を唱えるような方ではないでしょう」
「な……っ!」
ジョゼット様は、私が誰のことを言っているかを悟ったらしい。
おしろいを乗せた肌が真っ赤に染まっていく。
「国の未来を託されるような、立派なお方の隣に相応しい方がいらっしゃるとすれば、それはきっと聡明且つ、彼の心を溶かす優しさを持つお方でしょう。少なくとも、現時点で未来の王太子妃となる可能性が非常に高い者を相手に罵倒するような、後先を考えないお方ではないでしょう」
「な、な……っ、~~ッ、貴女、自分が誰にものを言っているのかわかっているの!?」
「勿論です。ジョゼット・ド・マニュエル公爵令嬢」
私は深くお辞儀をする。
「私はただ、恐れ多くも陛下にイヴォン様のお傍に立つ事を認められたにすぎません。私より相応しいお方もいらっしゃる事でしょう。……けれどそれはジョゼット様ではないと思いますから、この席は勿論譲ったり致しません。それでは」
私はジョゼット様達に踵を返すとその場を足早に離れる。
取り巻き達の暴言が背中に投げ付けられる中で。
「……覚えておきなさい」
そんな低い声が確かに聞こえたのだった。
その数日後の事。
親戚の家を訪問した帰りの馬車の中、私は一人で転寝をする。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
そして、人気のない道を横切っていると――
馬車が突然激しく揺れる。
馬の嘶きがし、乱暴に停まる馬車。
何事かと窓を見やれば、十名ほどのならず者たちが私の馬車を取り囲んでいた。
「降りて来いよ、お嬢様よォ」
そんな声が飛ぶ。
私は僅かに考えた。
周囲に家族はいない。護衛はいるが、あまりに私が守られる側に立てば無傷でやり過ごす事も出来ないだろう。
「仕方がないわ」
家の関係者と赤の他人以外に人の気配はない。
それを確認してから……私は拳を構えるのだった。
乱れる呼吸も放って、イヴォンは馬を走らせる。
離れた場所からは男の叫び声が複数聞こえてきている。
やがてその騒ぎが近づき――
「――ブランシュッ!!」
――失神したならず者たちの山。
飛び込んだ先で見たのはそんな異様な光景だった。
イヴォンは馬の足を止めながらそれを唖然として見る。
「…………い、イヴォン……さ、ま」
ならず者の山の前に立つのは、ドレスの裾を捲し立て、両手の拳を構えながら腰を落とす勇ましい姿の婚約者。
「ぶじ……か…………」
問うまでもない。
彼女は無傷だった。
ブランシュは、ここにイヴォンがやって来る事など想定外だったのだろう。
目を点にしながら放心していた。
二人は互いに間抜けな顔で呆然と見つめ合う。
……そんな沈黙を破ったのは。
「い、イヴォン様ぁ……ッ」
ブランシュだ。
彼女は声を震わせながらイヴォンの胸の中に飛び込む。
咄嗟に受け止めたイヴォンは、彼女の肩が震えている事に気付くが。
「こ、怖かったですぅ……っ!!」
異様な程激しくガクブルと肩を震わせる理由が、ならず者以外の場所にあることはあまりにも明らかだった。
***
「…………ジョゼットが貴女を目の敵にし、あのような賊を雇って襲わせたらしい」
イヴォン様は私を後ろに乗せて馬を走らせる。
「貴女につかせていた護衛が、ジョゼットを不審に思って調査していたんだ」
「そ、そうだった……のですね……」
「彼女は捕らえたし証拠も押さえた。公爵家とはいえ未来の王太子妃を狙った罰は重くなるだろう。もうこの国にはいられないだろうな」
彼の話はあまり頭に入って来なかった。
――女の子は、か弱いふりをしている方が可愛がってもらえるものなのよ。
私は、今度こそイヴォン様に失望されるのでは?
そんな不安が頭を埋め尽くしていた。
そしてそのまま気持ちを切り替えることが出来ず、私の家へ着いてしまう。
イヴォン様は私の手を取り、馬から下ろしてしまった。
「それじゃあ、俺は……」
「……私の事は」
その場を去ろうとするイヴォン様を引き留めようと、咄嗟に口を開く。
振り返った彼を見ながら、引き留めてしまったのだから切り出すほかない、と私は腹を括った。
「私の事は、もっとお嫌いになりましたか」
「え?」
「こんな、暴力的で可愛くない女ですから」
「待ってくれ」
聞き返されたので話を進めようとすれば、今度はそれを遮られる。
イヴォン様は驚いたように目を瞬かせていた。
「……『もっと』」
「え?」
「もっと、というのは? 俺は貴女の事を嫌いなどと言ったつもりは一度たりともないと思うのだけれど」
「それはそうですが……イヴォン様は私の事を警戒し、いつも作り笑いをなさっていますよね。てっきり信用されていないものだと」
「それは…………貴女もだろう?」
私の言葉を聞きながら、イヴォン様は額に手を当てる。
そして長い溜息を吐いてから、繋いでいた手を強く握る。
「俺は、興味のない者の危険に駆け付ける程お人よしではない。自分という……王太子という立場の価値を知っているからだ」
「え?」
「……王族というのは、いつだれが敵に回るかもわからない。他人に弱みなど見せる事は出来ない」
「存じ上げております。ですから私に対しても……」
「ブランシュ」
イヴォン様が私の名前を呼びます。
それから、繋いでいた手を持ち上げ、私の手の甲にそっとキスを落としました。
「俺の弱点は、何だと思う」
顔を上げたイヴォン様と目が合う。
街灯に照らされる彼の顔からはいつもの余裕そうな笑みが消え……頬は、僅かに赤かった。
瞬間、私の脳裏をよぎったのは、ならず者に襲われた私を思って駆け付けたイヴォン様の姿だった。
加えて、先程は聞き逃してしまったけれど、イヴォン様は私に密かに護衛を付けてくださっていたと言った。
そして、今の彼の表情。
残念ながら、私は察しが悪い方ではない。
だからこそ――彼の問いの答えに辿り着いてしまった。
「ま、まさか……」
私が言葉を詰まらせれば、イヴォン様は苦く笑った。
「王族だから……特に王太子だから、弱点を晒せない。加えて……俺の弱点が愛する人だとバレてしまえば、俺の足を引っ張ろうとする者達が、貴女に危害を与えるようになるかもしれない」
「私を、守る為……」
これが、長年彼が隠し続けてきた笑顔の裏側。
とくとくと鼓動が速まるのを感じる。
「因みに、貴女が社交界で囁かれているようなお淑やかな女性でない事は悟っていた。最近は減ったが、出会ったばかりの貴女はポーカーフェイスを気に掛けながらも、喧嘩を吹っ掛けてきた相手を睨みながら両手を握り締めて振り上げんとしていたしね。成長してからだって、自分や俺を敵に回そうとする輩には随分鋭い視線を向けていたから」
イヴォン様が何やら話しているが、そんな言葉は耳には届かなかった。
私の頭にあったのは……
「それでは……イヴォン様は、私を嫌ってはいない、と?」
この事実だけ。
「え? ああ、うん。勿論さ。寧ろ、俺にはバレバレだったのに、偽れていると信じて疑わない姿が可愛らしいなと」
「……でしたら、何の心配もないですね」
「え?」
私はイヴォン様の手を両手で包み込む。
「イヴォン様はご自身の弱みがバレる事を案じていたとのことですが、それが私だというのであれば問題ありません」
「ぶ、ブランシュ……?」
「イヴォン様も、イヴォン様の弱点を狙う輩も、全て私が叩きのめせば解決します」
「ブランシュ?????」
「お任せください。私がイヴォン様をお守りします。……ですから」
珍しく困惑が丸わかりのイヴォン様。
そんな彼の顔を覗き込みながら私は笑みを深めたのだった。
「これからも、可愛がってくださいね。イヴォン様?」
至近距離から見える顔が見る見るうちに赤く染まっていく。
ああ、彼は本当に私を想ってくれているのだとわかって、心が満たされていく。
同時に、普段の大人びた表情とは打って変わった、初心な反応に私の心はあっという間に奪われていく。
ああ多分、私の方がずっとずっと彼を愛しいと思っているのだろう。
彼の体に両腕を回し、顔を寄せながら、私はそう思うのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




