第10章:守り鈴の夜
寒さが日に日に骨に染みるようになってきた。井戸に手を伸ばすたび、指先が凍え、畑の土は朝ごとに霜に閉ざされていた。冬が、もうすぐそこまで来ていた。
それでも、囲炉裏の火は頼もしく、私は毎晩、薪を足す彼の背中を見つめながら、静かに安堵していた。けんちん汁を煮込み、湯気の向こうで笑う子どもたちを見ていると、ああ、こんな夜がずっと続いてくれたら──と、願わずにいられなかった。
その夜も、家族で食卓を囲んだ。子どもたちは頬を真っ赤にして、はしゃぎながら箸を進め、私は母から教わった味をよそいながら、彼の顔をそっと覗いた。
けれど、そのときの彼は、いつもより少しだけ、黙っていた。薪をくべる手が止まり、顔を上げた彼の視線が、何かを探すように宙をさまよっていた。
──カラン……カラン……。
微かな音が聞こえた。最初は台所の器が鳴ったのかと思った。でも違う。あれは……そう、“守り鈴”の音だ。風では決して鳴らないはずの鈴が──鳴っている。
彼と目が合った。言葉はいらなかった。ただその目が、すべてを語っていた。
「子どもたちを起こせ。すぐに出かける支度してくれ」
私は、黙って頷いた。寝入っていた二人を揺り起こし、毛布ごと抱き上げて厚手の羽織を着せる。息をのむ間もなく、外の空がどこか赤く染まり始めていた。山の方から──炎の光が、こちらへ向かっている。
私たちは急いで家を出た。彼が祠の裏の抜け道を指差す。まだ夢の中にいるような子どもたちの手を取り、私はただ無我夢中で駆け出した。山道は狭く、枯葉が足元でざわつき、木々が風に震えていた。
──そのときだった。
「いたぞ! 一人も逃すな!」
怒号が背後から響いた。松明の光が揺れていた。馬の蹄が地を叩き、確かに私たちを追ってきていた。
彼が足を止め、私に振り向いた。
「……お前たちは先に行け」
私は、何かを言いかけた。でも、言葉を発する前に彼の手が私の唇をそっと塞いだ。
「頼む。あの祠の先に入れば、もうわからなくなる。あいつらの足じゃ追えない。……だから、行け」
私は、唇を噛んだ。怖かった。けれど、彼の目が、何より強く、何より優しかった。
「絶対に来て……」
それだけを残して、私は子どもたちの手を強く握り、山の奥へと駆けた。涙が溢れそうになるのを、何度も、何度も飲み込んだ。振り返れば、崩れてしまう気がして──私は一度も後ろを見なかった。
木々の間を抜け、祠の裏の抜け道へたどり着いたとき、私はようやく足を止めた。子どもたちは震えながら私にしがみついていた。
息を殺し、耳を澄ます。……彼の足音は、もう聞こえなかった。
ただ、風が枝を揺らす音と、遠くでわずかに響いた蹄の音が、夜の闇に沈んでいった。