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序章:焼け落ちた村の果てで

 空は灰色に覆い尽くされていた。


 その朝、私は煙の匂いの中で立ち尽くしていた。

 けれど、すでに何もかもが手遅れだった。


 村が焼けていた。燃えていたのは家ではなく、記憶だった。

 父が毎朝整えていた薪の山も、母が夜ごと煮炊きをしていたかまども、誰かが歌うように語っていた昔話も、すべてが、赤く裂けた空の下で灰になっていた。


 私はただ立ち尽くしていた。目の前で崩れ落ちていく家、叫びながら駆けてくる誰かの姿、軋むような火の音。

 耳の奥で何かが割れる音がして、それから先の記憶が曖昧だ。私は、誰かの名前を呼んだ気がする。けれどその声すら、煙に吸い込まれてしまった。


 気がつけば、村には私しかいなかった。

 泣き叫ぶ者も、助けを求める声も、すべて消え去っていた。

 私は村の中央に立つ井戸の傍で、膝を抱えていた。熱に焦がれた地面の上で、何時間も、もしかしたら何日も、ただぼんやりと空を見上げていた。


 空は、どこまでも灰色だった。

 雲なのか煙なのか、もう判別もつかないほど、空は鈍く濁っていた。太陽の位置さえ分からず、昼なのか夜なのかの判断すらつかない。

 けれど、そんな空を眺めることだけが、私を繋ぎとめていた。

 何かがもう一度降ってくるのではないかと、心のどこかで信じていたのかもしれない。


 数日、何も口にせず過ごした。

 井戸の水だけが、私に命の名残を与えてくれた。

 けれど、いつまでもここにはいられない。そう思ったのは、身体ではなく、心が冷えていくのを感じたからだった。


 村の外れにあった納屋の残骸から、まだ使えそうな布を見つけて肩にかけた。母が仕立ててくれた服は、焼け跡と泥で原型をとどめていなかった。

 私は誰にも見送られることなく、焼け焦げた村を背に歩き出した。


 道などなかった。あるのは、ただ草の生えた地面と、無数の足跡だけだった。

 どこへ向かうのかもわからない。ただ、ここにはもう誰もいない。それだけが、私を前に進ませた。


 日が暮れたのか、まだ昇っていないのか、時間の感覚はとうに失われていた。

 倒れた木を避け、湿った岩の上をよじ登る。乾ききった唇をなめても、何の味もしなかった。


 ──そうして、何度目かの夜を越えたころだった。


 私の前に、ひとつの影が現れた。

 最初は幻だと思った。疲れすぎた目が見せる妄想だと。

 けれどその影は、確かにこちらに歩いてきて、そして立ち止まった。


 それは、旅の一行だった。

 背に大きな荷を担ぎ、無言で歩く男たちと女たち。汚れた服に身を包み、警戒の色を浮かべたまなざしで、私を囲むように止まった。


 私は何も言えなかった。ただ、自分の存在を確かめるように、口を開いた。


「……つれていって……ください」


 声は擦れ、かすれ、風にかき消されそうだった。

 けれどその中のひとりが、無言でうなずいた。

 それだけで、私はその場に膝をついた。


 抱きかかえられるでもなく、手を引かれるでもなく、私は自分の足で、彼らのあとをついていった。

 歩幅を合わせるのに必死だった。生き延びることがどういうことか、まだわかっていなかった。

 けれど、それでも誰かの背中を見ながら歩けることが、これほど心強いのかと、私は初めて知った。


 この先に何があるのか、誰も教えてくれなかった。

 でも、私はあの日の空よりも暗い闇の中で、確かに小さな光を見た気がした。


 ──私は、もう一度、生き直そうとしていた。

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