二話
ノアが出て行った少し後、ノックの音がアルメリアの部屋に響いた。規則正しいそのノック音から、訪ねてきたのは屋敷の昔からの使用人であるルシエンだろうとアルメリアは確信した。元よりこの屋敷に使用人はルシエンを含めて二人しかいないのだが。
入るように行った後「失礼します」の声と共に、黒い髪を短く切りそろえ黒を基調とした燕尾服を身にまとっており、その頭頂部には猫のような耳がついた青年、ルシエンが入ってきた。彼は亜人と呼ばれる種族であり、その耳も背後に見えている尻尾も生まれつき持っている種族なのである。
入室し、ゆっくりと扉を閉めてアルメリアと向き合うと、彼は口を開いた。
「ノア様が慌ただしく向かって行ったのが見えましたけど、何かありましたか?」
「見ていたのなら止めてくれ」
ため息交じりに返事をして、アルメリアは事情を説明する。それを聞いたルシエンもまた、ため息をつく。
「相変わらず肝心なところで抜けている娘ですね」
「そそっかしいんだよ。あのままじゃ、魔導教会に推薦も出来ないままだ」
「アルメリア様、彼女の実力は認めていますもんね」
「認めているわけではない」
ぴしゃりとそう言い放つアルメリアに、ルシエンは声を抑えて笑う。こちらも相変わらず素直じゃない人だと思っていた。だがそれを言ったところで否定されそうだから、言うつもりはないようだが。
「しかし、アルメリア様が魔導教会へ推薦しようとするとは、思ってもみませんでしたね」
「まぁ、しておいた方が彼女のためにはなるだろうからね。それに、他に後ろ盾が出来るのも悪くはないはずだから」
そう肩を竦めどこか困ったような表情でアルメリアは言うと、ルシエンは「あなたがそれでいいのでしたら」と返した。魔導教会は黒い噂も聞くような機関なので、特に考えもなくそう言っているのなら、お節介ながらも多少の反抗はしたのかも知れない。が、自分の主が考えなしに発言する人でない事を、ルシエン長年の付き合いでよくわかっているので、そうしなくても大丈夫だと思ったのだろう。それに、アルメリアがその噂を把握していないわけないとも。
(だけどまさか推薦なさるおつもりとは……少々意外でしたね)
アルメリアは魔導教会の事をよく思っていないため、そうしようとしてることに多少の驚きはあったようだ。だが、個人的な感情で振り回すわけにもいかないだろうと、考えたのかも知れないなと思い至った。
そうして少し話していると、ルシエンはふととある可能性や、懸念のようなものが脳裏をよぎった。
「ところで、話は戻ってしまうのですが……。彼女があなたに惹かれているという事はご存知でしょう? それなのに大丈夫なのですか? 色々と」
「さすがに大丈夫でしょ。理性をなくすような事はないだろうし、それでも万が一があったら破門にするだけだよ」
首を緩く横に振りながら、アルメリアはそう告げた。そして、ひとつ息を吐いて続ける。
「というか、心配するくらいなら、君が手を貸してあげればいいでしょ」
「私は家のことで忙しいので。それに、錬金術関連はなにもわかりませんから」
とルシエンは笑顔で返す。それを聞いたアルメリアは、本日何度目かわからないため息をはいた。目の見えない自分の代わりに、屋敷のことをすべて使用人に任せているため、それを言われるとあまり強くは言い返せないのである。
また食事の時間になれば呼びに来ますね、とだけ言い残してルシエンは部屋から出て行った。
それからアルメリアは座っていた椅子の背もたれに体重を預けて、早めにルシエンと情報共有が出来たのはよかったなと思った。もうひとりの使用人はルシエンから話をするだろう、もしくはもうノアが自分で伝えているかも知れないが。きちんと伝わりさえして、特に困り事がなければアルメリアは干渉しないだけである。貴族と違って、自分たちの身の回りのこと、入浴や着替えなどは自分でするのだから、早々困ることもないだろうと考えたところで、アルメリアははたと気づいた。
(着替えはともかく……風呂とトイレは大丈夫なのか……?)
きっと大丈夫ではないのだろうし、もしかしたらそれらも教えないといけないのかと思うと、頭を抱えてしまう。とりあえず今はその事を考えないようにしようと、緩く頭を振った。
アルメリアは使い魔の頬を緩く撫でると、そのまま軽く魔力を流し込み、緩く息をはいた。これで、使い魔の視界がアルメリアとリンクされ、物を見ることが出来るようになる。そうして、魔導教会を通してきた、王家からの依頼を片付けてしまおうと、文書へと目を通すのだった。