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3.螢泉郷へ




 次の日は珍しく快晴だった。

 蒼玄を先頭にして、私が真ん中に、後ろから岳が歩いている。私は前を歩く蒼玄の背中を見つめた。昨日まで背中に広がっていた翼は跡形もなかった。傍目から見ればただの人間にしか見えないだろう。彼曰く「晴れた日は目立つからしまっている」らしい。

 私は蒼玄から借りた菅笠を深く被り直した。


 歩いて半刻ほど経った頃、岳は後ろから声をかけた。



「蒼玄、昨日の話だが」

「ん? あぁ、そうだった。俺が湯守り人になった理由だったな」



 首だけで後ろを振り向きながら、蒼玄は笑う。「どこから話すかなぁ……」と遠くに連なる山々を眺め、彼は語り出した。



「三十年ほど前のことだ。放浪の旅の途中、古い温泉地の廃れた旅館に立ち寄ると源泉が湧いていた。その源泉に近づいたときに現れたのが、老湯守のジジイだった」

「老湯守?」

「あぁ、瑞穂国の端にある温泉の湯守り人で、国中の源泉や素材を探し回っては、より良い温泉をつくろうと旅していた。頑固で口うるさいジジイだった」

「それから一緒に旅を?」 

「暇だったしな。難儀なジジイだったが、他の人間と違って俺を差別することもなかった。口争いは何度もしたけどな」



 重い沈黙が一瞬だけ包んだ。あやかしに対する偏見や差別は、根強いものになっている。

 蒼玄は空気を変えるかのように、おどけた口調で言葉を続ける。



「口を開けばまず温泉。次に先立たれた婆さんの惚気話。散々聞かされたなァ。

 死ぬ間際まで強情で、俺への感謝なんか全く語らず、『温泉を守ってくれ』なんて言い出すんだ。困ったもんさ」



「最後にとんでもない置き土産をしたよ、あのクソジジイは」と肩をすくめて言うが、口調には老湯守に対する愛情が滲んでいた。岳は尋ねる。



「お前が求めている『極上の温泉』とは、どんなものなんだ?」

「知らん」

「へ」

「ジジイ曰く『触れれば分かる』らしい。その温泉はどんな病も怪我も治してしまうとは聞いているが、それ以上の情報はない」

「酔っ払いの戯れ言にしか聞こえんな……」



 岳は呆れかえったように言う。

 そして諦めたように一度ため息をつき、岳はさらに疑問を口にした。



「もしその、『極上の温泉』とやらが出来たら、お前はどうするんだ?」



 その質問に、蒼玄は立ち止まり振り向いた。

 彼の目が、少しだけ細められる。その表情を見て、背中に震えが走った。まるで能面のような笑みの奥底には、決して踏み込ませない孤独を宿していたからだ。



「さぁ、どうしようかねぇ」



 それ以上私たちは聞くことができず、押し黙った。蒼玄は再び歩き出す。


 私たちは無言で次の目的地まで歩き続けた。空は限りなく青く、どこまでも広がっている。わずかに浮かぶ白い雲は穏やかに流れていった。足下にはみずみずしい緑の草が広がり、朝露が光を受けて輝いていた。


 食事を満足にとれていなかった私は体力も筋力もなく、すぐに息があがった。岳は水筒を差し出したり、足場が悪いところでは手を差し伸べたりと、細かな気遣いを見せてくれた。こまめな休憩で体力を回復させながら、なんとか一歩ずつ目的地へと足を運んでいく。


 昼過ぎに到着する予定だったが、目的地に着く頃には既に日が傾こうとしていた。



「見えたぞ」



 夕暮れ時、丘の上から見下ろすと、そこには別世界が広がっているようだった。谷間に佇む小さな町は、薄い霧に包まれ、幻想的な雰囲気を醸し出している。家々の屋根は青みがかった瓦で覆われ、夕日に照らされてほのかに輝いていた。



螢泉郷(ほうせんきょう)だ」

「町へ行くのか?」



 岳は私の姿をちらりと見ながら、不安げに呟く。

 蒼玄は「当然だろう?」と笑みを浮かべながら答えた。



「人を隠すなら人の中さ」



 丘を下り、町へ辿り着く頃には、あたりはすっかり暗くなってしまった。

 蒼玄曰く、このあたりでは有名な温泉街らしい。旅館や家屋が立ち並び、軒先に吊された提灯が温かな光を放っている。

 最も目を引くのは、町のあちこちから立ち上る湯気だった。白い蒸気の柱が空へと昇り、淡い靄のように町全体を包み込んでいる。


 夜だと言うのに町の中は明るく、そして賑やかだ。通り過ぎる人々もどこか浮き足立っているように見える。



「祭りがあるんだ」

「祭り?」

「あぁ、この町の近くには特殊な蛍が二種類いてな。それぞれ異なる周期で羽化するんだ。そして今週末、その蛍の周期が重なり合う」

「祭りを開くほど珍しいことなのか?」

「確か二百年ぶりだと聞いたな」

「二百年……」



 私が呟けば、蒼玄は頷く。



「そして周期が重なった時にしか咲かない花『蛍火の花』。それが目的の素材だ」



 そう説明し、蒼玄は町の奥を指さした。

 示した先には周りの建物よりも一際大きく、威厳ある建物があった。深緑の瓦屋根は月光を浴びてほのかに輝いている。薄い霧がかっている中で佇み、幻想的な雰囲気が包んでいた。



「とりあえず長に挨拶へ行こう」



 半天狗の蒼玄、訳ありそうな私と岳。行っても怪しまれるだけではないかと思ったが、予想を裏切られた。螢泉郷の長は蒼玄の顔を見た瞬間、顔をほころばせた。「よく来てくれた!」と豪快に膝を叩く。



「祭りを見に来たのか?」

「それもあるのですが、『蛍火の花』を少しいただきたく参りました」

「あぁもちろんだ! 泉への許可も出しておく」

「ありがとうございます」



 蒼玄はにっこりと微笑んだ。

 長は泉の許可証だけではなく、宿まで手配してくれた。至れり尽くせりだ。

 用意してもらった宿の部屋の中で、岳はおそるおそる尋ねる。



「長は何であんなに友好的なんだ?」

「あぁ。彼は長年、腰痛に苦しんでいたんだが、俺の温泉で治してやったんだ」



 納得したように岳は頷く。「『体が羽のようじゃー!』と飛び跳ねてまた腰を痛めたけどな」と蒼玄が付け加え、部屋をぐるりと見渡した。



「祭りの時期だし、野宿を覚悟していたんだが、宿に泊まれてよかった」



 蒼玄は布団の上でごろんと転がる。そして頬杖をつきながら、私に提案した。



「せっかくの祭りだ。見てみるかい?」

「ひめ……氷織様が見つかる可能性がある」



 岳は咳払いをし、名前を言い直した。この町へ入る直前、「姫様」と呼ばないようお願いをしていたのだ。「お名前を呼ぶなんて……!」と最初は頭を抱えていたものの、身分を知られると命の危険があると説得すれば、最後には納得してくれた。


 蒼玄はひらひらと手を振る。



「みんな祭りで浮かれているし、民は姫さまの顔など見たことがないのだろう?」

「だが……」

「そんなんじゃ息が詰まってしまうぞ」



 蒼玄は起き上がり、宿に備えられた棚を漁った。そして「あったあった」と取り出したのは、淡い水色の浴衣と紺色の浴衣だった。「ほら、これを着てさ」と目を細める。

 私と岳は見つめ合い、彼は諦めたようにため息をついた。




 *



 からんころん、蒼玄の下駄が石畳を踏み、軽やかに鳴る。

 町には色とりどりの浴衣を着た人たちが歩いており、思い思いに喋っては賑わっていた。道端に立ち並んだ店の外には商品が並んでいる。店主たちが「見ていってよ!」と声を張り上げていた。



「お嬢ちゃん! ここでしか食べれない『蛍まんじゅう』だ! どうだい?」



 人の良さそうな女性の店主に声をかけられ、私は足を止めた。

 彼女がせいろの蓋をあけると、立ち上る湯気とともに、甘い香りが漂う。


 中には、まんじゅうが整然と並んでいた。丸みを帯びた形で、表面は湯気で潤んでいる。薄い緑色をした生地に、小豆が一粒埋め込まれている。どうやら草に留まるホタルを表現しているらしい。



「それ、三つ」



 私が何か言う前に、蒼玄は銅貨を渡して蛍まんじゅうを受け取った。「まいど!」と白い歯をのぞかせて笑った店主が、まんじゅうを手渡してくれる。

 蒸し上がったばかりのまんじゅうは、ふんわりと膨らみ、ほのかに温かい。おずおずと口に運べば、抹茶の風味とあんこの甘みが口いっぱいに広がった。



「うまいか?」

「……はい」

「そりゃよかった」



 蒼玄はにっこりと笑う。

 岳は「俺はいらん」と断ったが、蒼玄に押しつけられ渋々受け取った。そしてまんじゅうを一口含み、「うまいな」とぼそりと呟く。

 三人でまんじゅうを頬張りながら、町を歩いて行く。


 まんじゅうを食べ終えた頃、蒼玄がふと立ち止まった。「糸屋の松」という看板を掲げた小さな店だった。軒先には色とりどりの布が吊るされ、風に揺れている。


 彼が店内に足を踏み入れたので、後ろをついていく。店内に入ると、布の香りと木の温もりが私を包み込んだ。狭い店内には、所狭しと布や古着の着物が並べられている。



「お前さんの持っている着物だと動きづらいだろう」



 螢泉郷へ来るまで着ていた着物の状態を思い出す。


 城の離れで暮らしていた頃は、数着の粗末な着物しか渡されていなかった。繕いながら着用していた着物は、ところどころ擦り切れており、小さな破れが目立ちはじめていた。

 さらに足場が悪かったり、少し高い場所へ移動するときも着物がはだけてしまうため、岳に抱えてもらう必要があった。

 城の離れで仕事をするだけならまだしも、旅をするには実用的ではなかったため、同意するように頷く。



「袴を買うか」

「袴、ですか?」

「あぁ。男が履いている印象が強いだろうが、武道をたしなむ女性も履くこともある。これから行く場所は険しい道も多いし、買い直した方がいい」

「袴を探しているのかい?」



 優しげな声に振り返ると、年配の女性が微笑んでこちらを見ていた。「あぁ」と蒼玄が頷けば、奥から何枚かの袴を持ってきてくれた。



「これらは丈夫で歩きやすいよ。旅には最適さ」



 私は袴に手を伸ばした。触れてみると、想像以上に柔らかく、しっかりとした生地だった。

 その後、店主の勧めにより試着をし、小さな鏡の前に立つ。着慣れないため少し落ち着かないが、動きやすそうである。



「蒼玄、お前金はあるのか?」

「ん? さっきまんじゅうを奢ってやっただろう? 礼を返すときだぞ」

「まんじゅうと袴では釣り合わないだろう!」



 店の入り口あたりで二人が言い争っている声が聞こえてくる。店主は「あははは」と声をあげて笑っている一方で、お金も何も持っていない自分が情けなくて私はうつむくことしかできなかった。

 口論の末、岳が買ってくれることになったらしい。

 店主は袴と着物を風呂敷に丁寧に包んでくれた。私は荷物を抱きしめながら店を出る。



「岳、ごめんなさい。お金……」

「いいんですよ」

「……俺とは大分態度が違うな」



 蒼玄の皮肉めいた口調に、岳はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 店を出ようとしたとき、視界の端にきらりと光るものが見えて立ち止まる。そこには色彩豊かな織物が並んでいた。角度を変えると、布が光っているように見える。



「螢泉郷の伝統工芸である蛍織さ」



 私の視線に気づいた店主が説明してくれる。



「淡い光沢を持つ特殊な糸で織るんだ。蛍みたいだろう?」

「えぇ」



 私が答えれば、彼女は顔をほころばせた。

 祭りの様子を一通り見て回り、私たちは宿に向かって歩いて行く。蒼玄に「どうだった?」と問われ、少しだけ思い悩む。



「この郷の人たちは、蛍をとても愛しているのですね」

「そりゃそうさ、彼らの暮らしと蛍は密接に結びついている」



 蒼玄はそう言って町並みを眺めた。

 甚平を着た子どもたちが追いかけっこをし、老夫婦が話しながら蛍まんじゅうを頬張っている。祭りの熱はまだまだ冷めなさそうだ。

 彼らの様子を満足そうに眺めたあと、私を見おろし言った。



「宿に帰るか」

「はい」



 宿の温泉に入り、旅の疲れもあって、その日はすぐに眠ってしまった。


 次の日の夜、「長の使い」を名乗る人の良さそうな青年が宿へやってきた。「蛍火の花」が咲く泉まで案内してくれるらしい。



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