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20.あやかしと人が住む里



 からんころん、石畳を踏む下駄の音が響く。



「随分と発展しましたね」



 温泉街の様子を見ながら岳は言った。同意するように頷く。


「春風の里」を復興しようと決意し、十年以上の月日が経った。

 はじめは「あやかしとの共存」に対し、難色を示した住民もいた。しかし生まれ育った里が消えゆく未来は避けたいと考えたのだろう。私たちの説得もあり、最後には住民たちも受け入れ、復興に尽力してくれた。


 数十人しか住んでいなかった寂れた里が、今では年に千人以上も訪れる観光地になっている。


 見所はもちろん、温泉だ。


 蒼玄は今までの知識や技術を使って、温泉の質を高めるために様々な素材を調合した。


 だが存在を知ってもらわなければ、里に訪れる人は増えない。そこで烏助を使ってレオと連絡をとり、春風の里に招待した。「これは絶対に流行りますよ」と温泉からあがったあと、レオは興奮したように言った。

 彼は旅商人として培った人脈を駆使して「どんな病も怪我も治る温泉がある」と噂を広めてくれた。


 噂は各国に広まり、今では別国の長が湯治のためにやってくることもあるほどだ。


 そして里にとって本当の転機となったのは、あやかしが現れたときだろう。


 月明かりの眩しい夜のことだった。私が外の様子を見回っていると、木々の間から一匹の猫が現れた。しかしよく見ると、尾が二つに分かれ、瞳には人間のような知性が宿っている。


 猫は私をじっと見つめ、そして人間の姿に変化した。幼子になった猫は、おずおずと尋ねてくる。



「もくもくしたやつ、入りたいの」



 舌っ足らずな口調に、私は微笑んで頷いた。

 幼子に擬態し隠れて暮らしてきた猫又の「小鈴」は、温泉をいたく気に入り、春風の里に住むようになった。彼女はとても気まぐれで、ふらりといなくなっては、隠れて暮らすあやかしを連れて帰ってきた。彼らは皆、温泉に浸かり心身を癒し、中には定住する者もいた。


 小鈴のおかげで、人間の客とあやかしたちが出会うことも多くなった。最初は互いに警戒し合っていたが、温泉に浸かるうちに、その壁は徐々に崩れていった。やがて、人間とあやかしが湯船で語り合う光景が当たり前になっていった。


 今や人とあやかしが共生する、平和な場所となっている。


 目の前に広がる温泉街には、まだ明かりが灯っている。

 人間とあやかしが一緒になって温泉に浸かり、里の名物である「春風まんじゅう」を頬張りながら通りを歩いている。

 遠くの方を見れば「常冬の温泉」に列ができていた。あの温泉では、冬でなくても雪を見ながら入浴を楽しむことができる。「春蕾の力をそんな風に使うなんて……」とレオは若干呆れたように言ったあと、声をあげて笑った。


 みな笑い、思い思いに語り合っている。

 その光景を見ていると、私の胸に温かいものが広がった。


 瑞穂国を出てから、歩んできた道のりは決して平坦ではなかった。でも、今こうして平和な日々を過ごせているのは、あの苦難の旅があったからこそだと思う。


 私は隣を歩く岳に問う。



「梓さんは大丈夫?」

「えぇ、『里の温泉に入ると悪阻が治まるからすごいわぁ!』と一日三回くらい入ってますよ」



 温泉にのんびり入る姿が容易に想像できて、私はくすりと笑った。岳の肩に止まる烏助も「カァ!」と楽しそうに鳴く。

「梓さん」とは岳の奥さんの名前だった。

 数年前、一人の行商人が温泉を気に入り、春風の里に定住した。彼は人脈や商品の知識を生かして、里の発展に大きく貢献してくれた。その行商人の娘である梓さんも知識が豊富な人で、里が大きくなる過程で岳と親密になり、そして結ばれた。数年前に子どもが一人生まれ、今は二人目を妊娠している。



「氷織様」

「ん?」

「ありがとうございます」

「ど、どうしたの、急に」



 突然の礼に慌てれば、彼は胸に手を置き、私を見おろしながら柔らかく微笑んでいた。



「あのとき、私に償いの機会を与えてくれて」



 目を見開く。脳裏に浮かんだのは、雪原で岳と対峙したときのことだった。


「貴方を許すわ」と私が伝えたあと、彼は今まで以上に尽力してくれた。昔と変わらず護衛をし、烏助を使って様々な情報を仕入れ、「春風の里」の力仕事も率先して担ってくれていた。彼の力がなければ、この里はここまで大きくならなかっただろう。


 私の心の中に、岳を恨む気持ちは一片もなかった。あるのは深い感謝と尊敬の念だけだ。

 しかし一方で岳は、罪悪感で随分苦しんでいたと、最近になって蒼玄から聞いた。

 私の前では常に笑顔で、暗い顔を見せていなかったので驚く。「もう時効だし、いいだろう」と蒼玄は酒を飲みながら、ぽつりぽつりと語った。



「布団の上でな、ずっと謝罪の言葉を唱え続けているんだ」

「……」

「生真面目な奴だからなァ……氷織が許すと言っても、自身が許していなかったんだろう」

「そうですね……」



 一時期ずいぶんと痩せて、心配の言葉をかけたことがあった。彼は「気のせいですよ」と誤魔化していたが、心労が溜まっていたのだと今なら分かる。

 しかし今、長い時間をかけてようやく向き合えたのかもしれない。切れ長の黒い瞳には一点の曇りもなく晴れやかだった。私は微笑みを返す。



「これからもよろしくね、岳」

「こちらこそ」



 私たちは見合って、笑顔を浮かべた。



 *



 私は縁側に座り、庭に佇む桜を眺めていた。

 その姿はまるで時が止まったかのように静謐で、同時に生命力に満ちている。


──静かな夜だった。


 昼間の喧噪が嘘のように、里全体が深い眠りについたかのようだ。

 夜風が優しく吹き抜け、私の髪を揺らす。その風に乗って、里のどこかで咲いている花の香りが漂ってきた。



「風邪をひく」



 背中に羽織がかけられた。振り返ると、蒼玄が優しく微笑んでいた。



「ありがとうございます」



 私は温かいものが胸の内に広がるのを感じながら、かけられた羽織を上から抑える。蒼玄は私の隣に腰を下ろした。

 一緒に桜の木を眺める。「桜雲の郷」で桜の苗木をもらい、庭に植えたのが昨日のことのようだ。今では私の背を超え、天に向かって伸びやかに成長していた。淡い桃色の花びらが、ひらひらと音もなく舞っている。



「何を考えていたんだ?」

「……城を出てから、過ごした日々を」



 私は桜から視線を移し、遠くに浮かぶ月を眺めた。あの日々を思い出すと、今でも胸が締め付けられるような感覚がする。

 華怜に虐げられ、民たちに石を投げられた。裸足で雪の上を歩かされ、最後には暴言と共に捨てられた。私の人生はここで終わるのだと絶望しながら目を閉じた、あの日。


 真っ白に染まる雪景色の中、寂しげな鈴の音を聞いた。

 あのとき私は ──神様に出会った。


 鳥の子色の髪と朱色の瞳、背中に広がる黒い翼。苦しみのない浄土へ連れて行ってくれるのだと、気づけば「神様」と祈るように口に出していた。


 それからの日々は決して平和ではなかった。

 しかし私の凍った心を溶かし、まばゆい色彩豊かな日々を教えてくれた。


 彼は本当に連れて行ってくれた。幸福が満ちあふれる場所へ。


 私は蒼玄の方を向き、頬に手を添えた。孤独を宿しながらも微笑むことができる、強くてやさしいあなた。肌の温もりが、私の手のひらに伝わってくる。



「あなたに、出会えてよかった」



 私の言葉に、蒼玄の目が優しく細まる。彼もまた、私の頬に手を添えた。

 私たちの顔が、ゆっくりと近づいていく。目を閉じ、唇が触れ合うその瞬間を待った。



「かあさま?」



 突然聞こえた寝ぼけた声に、私たちは思わず顔を離した。


 振り返ると、そこには私たちの子どもである雪華が立っていた。鳥の子色の髪には寝癖ができており、露草色の瞳をこすりながら不思議そうに私たちを見ていた。私と蒼玄は顔を見合わせ、思わず苦笑してしまった。



「眠れないの?」

「うん、そばにいて……」

「ふふ、今行くわ」



 私はそう言いながら立ち上がり、雪華の元へ歩み寄った。彼女を抱き上げると、その小さな体の温もりが私の胸に伝わってきた。


 蒼玄も近づいてきて、雪華の頭を優しく撫でた。

 私は小さな体を抱きしめながら、もう一度月を見上げる。



「行こうか」



 蒼玄の声に、私は頷いた。私たちは三人で、静かに家の中へと入っていく。

 窓の外では、満月が優しく里を照らし続けていた。



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