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19.春風の里



「ここが『春風の里』か」



 桜雲の郷を出発して数月後、私たちは春風の里に到着した。

 ここを目的地にした理由は、「ここから南の方向に、良い温泉街がある」と千鶴さんから聞いていたためだった。



「『春風の里』という温泉街で、老湯守様も絶賛していたとか」

「ジジイが? 聞いたことがない名前だ」



 蒼玄は腕を組みながら首をひねる。

「とりあえず行ってみるか」という彼の提案に、私たちは頷き、向かっていたのだった。


 里は想像よりも閑散としていた。

 霧に包まれた山々の間に、ひっそりと佇んでいる。かつての賑わいは影を潜め、静寂が支配する町並みが広がっていた。


 石畳の通りには雑草が生い茂り、足を踏み入れるたびにかさかさと乾いた音が響く。両側に並ぶ旅館や商店の多くは閉じられ、開いている店も「営業中」という看板が寂しげに揺れているだけだ。軒先の提灯は破れ、いくつかは破れたまま放置されている。



「場所も場所だしなァ。担い手もいなかったのだろう」



 蒼玄は寂しげに町並みを眺めた。

 人影はまばらで、若者はほとんどいなかった。腰が曲がった老人たちが、億劫そうに歩いているだけだ。

 すると一人の老人が私たちに気づき、近づいてきた。蒼玄の背中から生えた翼を凝視しており、私たちの間に緊張が走る。


 桜雲の郷で私と蒼玄が二人きりで話し合った日から、蒼玄は人里でも翼を隠すことをしなくなった。



「自分は今まで、天狗の血が混じっていることを隠して生きてきた。人のように生きた方が楽だったからな。でも……」



 蒼玄は言葉を切って、私の目を見つめた。朱色の瞳の中には一点の曇りもなかった。



「もう、半天狗であることを隠したくないんだ」



 そう語った彼に、私と岳は同意するように頷いた。

 しかし現実は甘くなかった。立ち寄った人里で、あやかしの偏見と差別はまだ根強いのだと私たちは痛感することになる。物珍しく遠目から眺めるだけならまだいい。中には「郷から出ていけ」と叫ばれることもあった。


 あやかしと人間の対立について馴染みのない子どもが多い町ならまだしも、この里に住むほとんどは老人だ。もしかすると蒼玄に心無い言葉を浴びせてくるかもしれない。

 彼を守ろうと、一歩前に出ようとしたときだった。



「もしかして、蒼玄か?」

「……! あ、あぁ」

「こりゃ驚いた! 貞治の弟子か!」



 老人の顔が明るくなる。「貞治?」と不思議そうに名を繰り返す岳に、蒼玄は震える声で言った。



「ジジイの名前だ」



 その後、里唯一の共同浴場へと案内された。古びた建物の前で待っていると、里に住む人々がどんどんと集まってくる。終いには二十人ほどの住民に囲まれていた。彼らは口々に老湯守との思い出を語っていく。



「貞治はな、ここの温泉をいたく気に入ってくれててなぁ!」

「お前のこともよく語ってたよ!」

「耳にたこができるってくらい話してた」



 彼らはわいわいと盛り上がっている。蒼玄は初めて聞いた話にまばたきを繰り返し、唖然とした顔を浮かべていた。私は蒼玄を見上げながら言う。



「老湯守様はここの温泉へよく来ていたんですね」

「そういえばこの辺りを通ったとき、『お前はあっちの里へ行け』と別行動したときがあった。何故だろうとは思っていたが……」

「そりゃあ当たり前だろう」



 一人の老婆が笑いながら言う。



「思う存分、アンタのことを自慢したかったのさ」



「貞治さん、素直じゃないからなぁ」「本人に聞かれるのは嫌だったんだろう」と彼らは楽しそうに語っていく。蒼玄は目を見開き、しばらく固まっていたが、ふと肩の力を抜いて笑い出した。



「難儀な奴だなァ」



 その笑みが本当に嬉しそうに見えて、私もつられて微笑む。住民たちと蒼玄の話は盛り上がり、笑い声が里に響いた。


 その後、蒼玄が調合した温泉に入った住民たちから、次々と感嘆の声があがりはじめた。「百歳は若返ったな」と冗談めかして言う民たちに、私たちは顔を見合わせて笑い合った。


「気が済むまでいてくれ」という彼らの言葉に甘え、春風の里には一月ほど滞在した。同じ場所にこれほど留まるのは初めてのことだった。

 貞治のことを知らない一部の住民からは反発の声もあったそうだが、温泉の評判が高まる内にだんだんと声を潜めていった。


 到着したころより活気づいた町並みを眺めながら、私と蒼玄は歩く。すれ違う住民たちに挨拶をしながら、私たちは話していた。



「いい所ですね」

「そうだなぁ」

「こんな場所がなくなってしまうなんて……」



 民たちの話を思い出す。高齢化が進み、終わりを待つだけの里なんだと彼らは語った。働き手の若者は別の町へと出て行ってしまうため、残った民たちは細々と畑を耕し、生きていく術しか残っていない。いずれは温泉もなくなってしまうだろうと寂しげに語っていた。


 ふと蒼玄の背中が目に入った。彼はこの里へ来てから一度も翼をしまっていない。住民たちも「きれいだなぁ」とよく褒めてくれていて、見ているだけで嬉しくなった。

 彼を囲む住民たちの光景を思い出し、私はある未来が浮かんだ。思わず「あ」と声が漏れる。



「どうした?」

「夢物語かもしれませんが、」

「うん」

「ここを私たちで復興するのはどうでしょうか」



 蒼玄の目が大きく見開いた。私は思いつくままに言葉を並べていく。



「岳は力仕事が得意なので、古い旅館を改修するんです。そこで私が仲居をして、蒼玄が調合した温泉がつくれれば、必ず評判になります。あとは烏助を使ってレオと連絡がとれれば……」



 レオの名前を出して浮かんだのは、彼と話した会話だった。


──春蕾の力をどうするか。


 その問いと向き合って一年以上経つというのに、私は未だ答えを見つけられてなかった。


「この力は途絶えるべきだと考えています」


 寂しげだが固い意志を滲ませたレオの言葉が蘇る。彼の答えは理解していたし、それが最善の選択ではないかと思うこともあった。しかし彼のように、これが自分が出した答えだと胸を張って言うことができなかった。


(私は、どうしたい?)


 蒼玄の朱色の瞳を見つめる。するとあれほど考えても出てこなかった答えが、ふわりと浮かび出てきた。


──この力を隠すのではなく、繋いでいきたい。


 老湯守から蒼玄に渡った温泉のように。後世まで守り、繋いでいく。


 露草色の瞳で差別を受けた私やレオ。あやかしだと指さされ迫害された蒼玄。私たちは運良く、この世界に受け入れてもらえた。しかし今この瞬間も、誰かの差別や偏見に苦しんでいる人がいる。そんな人たちと共存できたら、この力を繋いでいくことができるのではないか。



「人間もあやかしも暮らしていけるような、そんな里にするんです」



 私の提案に、蒼玄はくつくつと笑った。やはり突拍子もなかったかしらと顔が熱くなっていく。すると突然彼に抱きしめられた。「あらあら」と通りすがりの住民の声が聞こえて「そ、蒼玄!」と思わず体を離そうとした。しかし力強く抱きしめられて叶わない。



「最高の未来だな」



 彼の言葉が熱となって、私の全身を駆け巡っていった。喜びが弾けていく。

 里の住民たちの声、風の音、木々のざわめき、すべてが祝福の歌のように聞こえた。


 離れで過ごした寒く孤独な日々。あの日々は私の心をひどく傷つけた。昔は「なぜ私がこんな思いを」と窓の外に降り続ける雪を見つめることしかできなかった。

 でも今は、


(あの過去も、私の一部だから)


 私を包む温もりや私を見つめる優しいまなざしを思い出し、微笑む。


──貴方と一緒なら、どんな困難でも乗り越えることができる。


 蒼玄と過ごす未来を想像し、彼の背中を強く抱きしめた。



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