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氷雪姫は半天狗の愛に溶かされる  作者: 海城あおの


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12/20

12.裏切り



 次の日、渓谷を超えた先には果てしなく広がる雪原が広がっていた。

 ここからは瑞穂国に足を踏み入れることになる。次の目的地へ行くためには致し方ないと分かっていても、城の離れでの暮らしを嫌でも思い出してしまう。張り裂けそうな胸を押さえた。


 遠くには白銀の山々がそびえ立ち、頂は灰色の空と溶け合っている。静寂を破るのは時折吹き抜ける冷たい風だけだ。

 周囲には木々もなく、ただ銀世界が広がっている。雪の反射する光が眩しく、私は顔を隠すように菅笠を深くかぶりなおした。


 そのとき、蒼玄の足がぴたりと止まった。どうしたのだろうと見上げると風で雪が舞い上がった。冷たい雪の粒が顔にあたり思わず目を細める。そして雪の幕が薄れ、現れた人の影を捉えた瞬間、顔から血の気がひいていくのが分かった。



「華怜……」



 一町ほど先の場所に、紅色の着物の上に白い毛皮を羽織った華怜が立っていた。美しい顔に冷酷な微笑みを浮かべ、瞳が氷のように冷たく光っている。

 彼女の後ろには、黒装束の刺客たちが無言で並んでいた。二十人はいるだろう。全員が顔を黒い布で覆い、手には鋭い刀を握っている。



「お久しぶりですわ、お姉さま」

「な、なぜここが……」



 やっとの思いで絞り出した言葉に、華怜は小さく笑った。



「そんなの簡単よ。あなたの忠実な従者が教えてくれたのよ」



 華怜は微笑むと、烏助が彼女の肩に止まった。全身の血の気がひいていく。振り向いたが、今まで後ろからついてきた岳の姿はなかった。再度前方を見れば、彼女に跪いている岳の姿があった。そこで全てを理解してしまい、足下が崩れていくような感覚が襲ってくる。



「岳……!」



 裏切られた痛みが胸の内を切り裂いていく。脳裏に浮かんでいたのは、昨晩、悲しそうに微笑む岳の横顔だった。

 私の呼びかけにも岳は顔を上げず、ただ地面を見つめたままだった。華怜は楽しそうに手を伸ばしてくる。



「さあ、お姉さま。おとなしく死んでくれるかしら?」



 その言葉を皮切りに、岳はばっと顔をあげた。そして鞘から刀を素早く抜き、華怜に斬りかかる。

 しかし彼女は、岳の攻撃を予測していたように軽々とかわした。体勢を崩した岳はそのまま刺客に押さえつけられる。



「アンタは絶対に裏切ると思ったわ」

「……くっ」



 顔を歪ませる岳と、高笑いと共に言い放つ華怜。

 背中に腕を回され、刺客の一人に縄で拘束されてしまう。華怜は靴で岳の頭を踏み、ぐりぐりと雪の中へ押し込んだ。



「大切な姫様が殺されるところを見てればいいわ」



 彼女の歪んだ笑みに、私は思わず後ずさりする。その瞬間、刺客たちが扇状に広がりはじめた。彼らの発する殺気が遠くにいても伝わってくる。群れをなす狼のように淡々と効率的にこちらを向かってきた。



「はあっ!」



 蒼玄の羽団扇が空を切る。その一振りで、まるで見えない大鎌が走ったかのように数人の敵が吹き飛ばされた。粉雪が舞い上がり、白い霧のように彼らを包み込む。

 彼の動きは風のようだった。軽々と敵の攻撃をかわし、翼を広げて空中に舞い上がる。漆黒の翼が陽光を受けて輝き、上空から強烈な風の刃を放った。


 しかし敵の数は多く、彼らは執拗に攻撃を仕掛けてくる。雪原では身を隠すこともできず、蒼玄は向かってくる刺客の攻撃を受け続けた。


 一方で私は茫然自失のまま立ち尽くしていた。岳の裏切り。華怜の出現。そして今、目の前で繰り広げられる壮絶な戦い。あまりの展開の速さに、私の思考が追いつかない。



「氷織っ!」



 蒼玄の警告に、我に返る。気がつくと、一人の刺客が私に向かって走ってきていた。恐怖で体が硬直する私の前で強い風が吹き、その刺客を吹き飛ばした。



「大丈夫か?!」



 蒼玄が私の傍に駆け寄ってきた。荒く息をついている。私は小さく頷いたが、言葉が出てこなかった。



「くそっ、あの半天狗を何とかしろ!」



 刺客の怒鳴り声が聞こえた。その声に、更に多くの刺客たちが襲いかかってくる。

 蒼玄は目を瞑り、言葉を紡ぎはじめた。周囲の空気が変容し、鳥の子色の長い髪がゆったりと宙を舞う。



「天地の息吹を司り給う 清浄なる風の神よ


科戸の風(しなとのかぜ)の天の八重雲を 吹き放つことの如く


御威光を此処に顕し 大いなる風を起こし給へ」



その瞬間、凄まじい突風が吹き荒れる。雪が勢いよく舞い上がり、刺客たちは次々と吹き飛ばされていく。


 しかしその攻撃の後、蒼玄の動きが明らかに鈍くなったのが分かった。彼の呼吸が荒くなり汗が額を伝っている。その隙を突くように新たな刺客たちが襲いかかってきた。蒼玄は必死に応戦するが、徐々に追い詰められていく。


 私は何もできずただ見ているしかなかった。無力感が胸に広がり、目に涙が溢れる。



「やめて……お願い、やめて……」



 私の声にならない叫びは戦いの音にかき消されてしまう。


──そのときだった。



「動くな!」



 突如、私の首筋に冷たい刃物が押し当てられた。蒼玄は私の方を振り向き、その瞬間、彼の顔が驚愕と恐怖で歪んだ。



「氷織!」



 華怜は満足げに笑って近づいてきた。



「さて、半天狗さん。これでおとなしくしてくれるかしら? でないと、お姉さまの首が飛ぶわよ」

「卑怯な……!」



 蒼玄が歯を食いしばって、空中から華怜を見下した。私は震える声で懇願する。



「蒼玄、逃げて……!」



 蒼玄は私を見つめ、一度ふっと笑った。まるで諦めたような微笑みに胸が騒ぐ。

 彼はゆっくりと、華怜の前に降り立った。私はその様子を絶望しながら見ることしかできない。



「そう、その調子よ。武器を捨てて、大人しくしてなさい」



 蒼玄が手に持っていた羽団扇を雪の上に放り投げるのを見て、華怜は楽しそうに笑った。



「やめて! お願い、蒼玄を……!」



 刺客から逃げだそうと、抵抗する。しかし首に当てられた刃物が更に強く押し付けられ、身動きが取れない。

 涙をこぼす私の姿を見ながら、華怜は恍惚とした表情を浮かべ、刺客の一人から刀を受け取った。



「さぁ、逃げないようにしないとね」



 私は恐怖に震えながら、華怜を見つめた。彼女の目には底知れぬ狂気が宿っていた。

「何を……」と私の言葉が途切れたその瞬間、華怜は手に持っていた刀を振り上げた。鋭い刃が、空気を切り裂く。



「ぐあっ!」



 蒼玄の悲鳴が、山々にこだました。

 彼の背中から、美しい黒い翼が切り離され、地面に落ちていく。雪面にゆっくりと赤い染みが広がっていき、私は慟哭した。



「蒼玄っ!」



 私は叫びながら、彼の元に駆け寄ろうとした。しかし「動くな!」と華怜の部下たちに拘束され、動くことができない。華怜の高笑いが響く。



「あぁその顔よお姉さま! あなたの絶望に満ちた顔がだいすきなの!」



 狂ってる。

 私は呆然と華怜を見つめていた。目の前の景色が一瞬にして歪んでいく。現実の色彩が薄れ、過去に受けた言葉や暴力が鮮明に蘇ってきた。心臓が早鐘を打つ。


(なぜ……なぜ、そこまで私を嫌うの)


 どろりと澱のような思考が巡り、一つの答に辿り着く。奥歯を強く噛みしめた。


(私を、人だと思っていない)


 幼子がおもちゃを床に叩きつけるように、無垢な瞳で蟻をつぶすように。

 そこには相手の感情や尊厳などはない。ただ楽しいから、ただ興味があるから、壊し続ける。


 そのとき今まで隠れていた白雪が、怒ったように華怜に突進した。不意打ちで避けることができなかったのか、彼女の頬に傷ができる。たらりと頬から血が流れ、華怜は怒鳴り散らした。



「なによこの汚い鳥!」



 再び突進しようとする白雪を握り、地面へと叩きつけた。「チチッ」と痛々しく悲鳴をあげる鳴き声が耳に届く。



「白雪!」



 私が叫べば、華怜は再び恍惚とした表情を浮かべた。

 ぞわりと体が震えるのを感じながら、地面に叩きつけられた白雪や、翼を切り落とされた蒼玄を見つめる。背中から鮮血を流し続け、がくりと項垂れた蒼玄の姿が目に焼き付く。


 突然、私の中で様々な記憶が駆け巡り始めた。蒼玄と初めて出会った日、彼が私を救ってくれたこと。一緒に旅をしながら、彼が調合した温泉に浸かったこと。飄々とした笑顔の裏には、惨い過去があったこと。お互いに寄り添いながら、暖を分け合ったこと。旅の間、笑い合い語り合ったこと……


 記憶が、まるで走馬灯のように私の中を駆け抜けていく。そして記憶と共に、腹から新たな感情が湧き上がってきた。


その瞬間、私の中で何かが壊れた。



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