【短編小説】三人の途中下車[日常]
「はぁー、終わったぁ……」
教室の窓際で、綾音は思いきり伸びをした。今日でテスト期間が終わり、ようやく気楽な放課後が戻ってきたのだ。隣の席では、悠人が筆箱を片付けながらぼそっと言った。
「終わったけど、結果が良いとは限らないよな……」
「それは考えない考えない!」綾音は明るく言い切った。「せっかく解放されたんだから、今日はどこか寄り道しない?」
「寄り道? どこに?」
悠人の質問に、綾音はニヤリと笑った。「どこでもいいの。むしろ決めないのがいいんだよ」
「……何言ってんだ?」
「ほら、帰りの電車でさ、普段降りない駅で降りてみるの。行ったことない駅って、意外とおもしろいものがあるかもしれないよ?」
「それ、ただの迷子になるパターンだろ……」
「まぁまぁ、それが冒険ってもんよ!」綾音は勢いよく立ち上がった。凛も話を聞いていたらしく、椅子からのそのそと立ち上がる。
「知らない駅で降りるって、ちょっと楽しそうかも」
「だよね!」綾音が勢いよくうなずくと、悠人は呆れ顔でため息をついた。
「まぁ、どうせ止めても行くんだろ?」
「もちろん!」綾音が笑う。
こうして3人は、帰りの電車に乗り込み、「降りる駅は行き当たりばったり」というルールで冒険を始めることになった。
「次、柏ノ森駅です」
車内アナウンスが響いた。
「ここ、どうかな?」綾音が指をさして提案する。
「え、降りるの? こんな駅、聞いたことないけど……」悠人が窓の外をのぞきこむ。ホームには誰もいない。駅舎は古びた木造で、周囲は静かな住宅街が広がっていた。
「まぁ、行ってみるだけならいいんじゃない?」凛がのんびり言い、綾音は「決まり!」と笑った。
電車を降りると、駅前は驚くほど静かだった。商店街らしき通りはあるが、人通りは少なく、営業している店もまばら。八百屋の店主が野菜の箱を並べているほかは、ほとんど人気がない。
「……ほんとに何もないな」悠人がつぶやく。
「でも、こういうところのほうが面白いものが隠れてたりするんだって!」綾音は意気揚々と歩き出す。悠人と凛は、顔を見合わせてからしぶしぶ後を追った。
しばらく歩くと、洒落た木製の看板が目に入った。
「カフェ&ギャラリー」
「ちょっと入ってみようよ」綾音が看板を指さして提案する。
「入るの?」悠人が眉をひそめるが、凛は「カフェならケーキがあるかも」と軽く乗り気だった。結局、2人は綾音に引っ張られるようにして店のドアをくぐった。
中は静かで、壁一面にはさまざまな絵が飾られていた。テーブルに座り、3人はメニューを開いたものの、綾音はすぐに壁の絵に目を奪われる。
「ねえ、これ……」
綾音が指さしたのは、暗い路地が描かれた不思議な絵。その片隅には、鉛筆で走り書きのように書かれた文字があった。
「秘密の裏道」
「……何これ?」悠人が首をかしげる。
「ほら、やっぱり何かあるじゃん!」綾音の目が輝いた。
こうして3人の「放課後の冒険」は、静かに始まりを告げたのだった。
「ねえ、行ってみようよ」
綾音は目を輝かせながら、絵の前で立ち止まっていた。
「は? いや、待てって」と悠人がすかさず止める。「この『秘密の裏道』って、ただの絵のタイトルだろ?」
「でも、"路地"の絵が描かれてるし、場所によっては本当にこの辺にありそうじゃない?」
「いやいや、根拠なさすぎるだろ……」悠人が呆れ顔でツッコむが、綾音はすでに店の外に飛び出していた。
「まったく、また始まったよ……」悠人はため息をつきながら、凛と共にあとを追った。
綾音は絵の中に描かれていた「赤いポスト」を頼りに、商店街の奥へと進んでいった。古びた看板が並ぶ通りを歩き、店の隙間にひっそりと設置された赤いポストを見つけると、そのすぐそばに小さな路地があった。
「これだ!」
「いやいや、普通に裏道じゃん」悠人が肩をすくめる。
「でも、ちょっと気にならない?」凛が興味を示し、3人はその細い路地へ足を踏み入れた。
道はすぐに入り組み、曲がり角が多く、少し進むだけで見慣れた商店街の景色が見えなくなった。壁は古びていて、錆びた自転車や放置された木箱が散乱している。
「……なんか、薄暗くない?」凛がぽつりとつぶやく。
「まぁ、ただの裏道だし……」悠人が言いかけたその時、綾音が指さした。
「見て! あの壁の向こう、なんか開けてる!」
3人は路地の奥に進み、レンガの壁の隙間を抜けると、そこには意外な光景が広がっていた。
「え……何ここ?」
そこは、静かな空き地だった。長い間放置されていたのか、雑草が生い茂り、中央には錆びついたブランコがぽつんと立っていた。
「まさか、こんな場所があったなんて……」
綾音は、何かを見つけた探検家のように目を見開いた。
「何かあるかも」と言いながら、綾音は空き地の中央へと駆け寄った。
「うわ、ちょっと待てって!」悠人が慌てて後を追う。
空き地は驚くほど静かで、周囲の建物が壁のように囲んでいるため、外の音すらほとんど届かなかった。まるでここだけが時間から切り離されたような、不思議な空間だった。
「これ、動くのかな……?」
綾音が興味深そうに、錆びついたブランコの鎖を握った。ギィ…と金属の不気味な音が響く。
「ホラー映画かよ……」悠人が顔をしかめる。
「ほら、怖がってばかりじゃなくて、何かないか探してみようよ!」
綾音はブランコのそばに置かれた古びたベンチに目を向けた。そこには、埃をかぶったノートが置かれていた。
「何これ……?」
表紙にはかすれた文字で「願いごとノート」と書かれていた。
「おい、触るなよ! なんか怖いって!」悠人が慌てて止めるが、綾音は迷わずノートを開いた。
ページには、子どもの字で「サッカーがうまくなりますように」と書かれていたり、年配の筆跡で「孫が元気に育ちますように」と書かれていたり、誰かの小さな願いごとがびっしりと綴られていた。
「これ、昔の人たちが書いてたのかな……」凛がページをめくりながらつぶやく。
「放置されてる割に、最近の字もあるみたいだな」悠人が指さしたのは、つい最近の日付が書かれたページだった。
「これ、せっかくだから私たちも書いてみない?」綾音が提案した。
「え、別に願いごとなんて……」悠人が渋るが、凛は「せっかくだし、ちょっとくらいいいんじゃない?」と笑った。
それぞれノートに願いを綴った。
綾音:次の冒険も楽しいものになりますように
悠人:この商店街がもっと賑わえばいいな
凛:おいしいものが食べられますように
「よし、これで完了!」綾音は満足げにノートを閉じ、3人はその場を後にした。
「……ほんとに、何か起こるのかな?」帰り道、悠人がぼそっと呟いた。
「さぁ? でも、起こったら面白いじゃん!」
綾音は軽やかに笑い、3人は再び静かな商店街を抜けて駅へと向かった。
翌日、3人は放課後に再び柏ノ森駅を訪れた。あの「願いごとノート」に書かれたばかりの願いが気になり、なんとなく様子を見に行くことにしたのだ。
「どうせ、何も変わってないって」悠人が言いながらも、昨日の空き地へと続く路地に足を踏み入れる。
「でも、ちょっと気になるじゃん」綾音は軽快な足取りで進んでいく。
「私、もう一回ケーキ屋さん探してみようかなぁ……」凛がのんびりつぶやく。
再びたどり着いた空き地は、昨日と同じように静かで、錆びついたブランコがぽつんと佇んでいた。
「ほら、やっぱり何も……」悠人が言いかけた瞬間、綾音が「あっ」と声を上げた。
ベンチの上に置かれていた「願いごとノート」が、昨日とは違う場所に動かされていたのだ。
「……風で飛ばされたんじゃないの?」悠人が言うが、綾音は首を横に振った。
「ほら、ページが開いてる」
ノートのページは風でめくれたとは思えないほど丁寧に開かれており、昨日書いた自分たちの願いのすぐ後ろに、新しい文字が綴られていた。
「願いごとは、持ち帰らないと叶わない」
「……持ち帰らないと?」凛が眉をひそめる。
「どういうことだろう?」悠人が首をかしげる。
「とりあえず持って帰れってことじゃない?」綾音がノートを閉じ、ベンチからそっと拾い上げた。
「いやいや、知らない人のものかもしれないんだし、勝手に持って帰るのは……」悠人が止めようとしたが、綾音はすでにノートを抱えていた。
「大丈夫。明日ちゃんと返しに来るよ。ね?」
「まぁ……そこまで言うなら」悠人はあきれたように肩をすくめた。
こうして3人は「願いごとノート」を手に、再び柏ノ森駅を後にした。
「で、どうするの? そのノート」
電車に揺られながら、悠人が綾音に問いかけた。
「うーん……とりあえず家に持ち帰って、じっくり読んでみるつもりだけど」
「いや、それ絶対ダメなやつだって。ホラー映画だったら、最初に呪われるパターンだぞ」
「大丈夫大丈夫、そんなわけないって!」綾音は笑い飛ばした。
翌日、3人は学校の昼休みに再びノートを開いてみた。綾音が持ち帰ってから、ページの端に新しい書き込みが増えていたのだ。
「願いを叶えるには、自分で動くことが大切」
「……なんだ、普通のこと書いてあるだけじゃん」悠人が肩をすくめる。
「でも、もしかして私たちが書いたことにも意味があるのかな?」綾音がポツリとつぶやいた。
「私、おいしいものが食べたいって書いたでしょ? それでケーキ屋さんでも見つかるのかなぁ……」凛がのんびりと言う。
「じゃあ悠人の『商店街が賑やかになればいい』っていうのは?」
「いや、そんな都合よくいくわけ……」悠人が言いかけたとき、綾音のスマホが鳴った。
「え、柏ノ森商店街で『路地裏マーケット』ってイベントが始まるって……」
「え? マジで?」悠人がスマホをのぞきこむ。
「これ、ノートのせいかな?」凛が目を丸くする。
「いや、たまたまでしょ」悠人が言いながらも、どこか気になっていた。
「とにかく、行ってみるしかないでしょ!」綾音は笑顔で言った。
「まぁ……どうせ止めても行くんだろ?」悠人が苦笑いし、凛がクスクスと笑った。
「ノートの願いごとが本当に叶ったのかはわからない。でも、何かが動き出している気がする」
そんな期待を抱きながら、3人は放課後の電車に揺られて再び柏ノ森駅へ向かうのだった。
翌日、3人は再び柏ノ森駅に降り立った。駅の前には、いつになく人の姿が多かった。いつもは閑散としていた商店街が、どこか活気づいている。
「本当に『路地裏マーケット』なんて始まってるの?」悠人が半信半疑の声を上げる。
「ほら、あっちに旗がある!」綾音が指をさすと、細い路地の入り口にカラフルな布が垂れ下がり、「路地裏マーケット」と書かれた手作りの看板が掲げられていた。
「本当にやってる……」凛が驚きの声を漏らした。
「これ、ノートの影響かもね」と綾音が得意げに笑う。
「たまたまだろ」悠人は肩をすくめたが、興味がないわけではなさそうだった。
3人は路地裏マーケットへと足を踏み入れた。細い路地には、小さなテーブルが並び、手作りの雑貨やアクセサリー、古本が所狭しと並べられている。商店街の人々がそれぞれの品物を持ち寄り、訪れた人たちと和やかに話をしていた。
「ねえ、これ……」凛が指さしたのは、商店街の奥にある駄菓子屋の店主が出していたテーブルだった。そこには「願いごとノートの話、知ってますか?」と書かれた小さな立て札が置かれていた。
「……やっぱり、このノートと関係があるのかな?」綾音がポツリとつぶやく。
「ちょっと話、聞いてみようか?」悠人の声に、3人は顔を見合わせ、ゆっくりと駄菓子屋の店主のもとへと向かった。
「すみません、この『願いごとノート』って……」
綾音が声をかけると、駄菓子屋の店主は顔を上げ、3人の姿を見てにっこりと笑った。
「ああ、それを知ってるってことは……君たち、空き地のノートを見つけたのかい?」
「やっぱり、あのノートは有名なんですか?」悠人が尋ねる。
「有名ってほどじゃないけどね……」店主はノートについて語り始めた。
かつて柏ノ森商店街が今よりずっと賑わっていた頃、空き地は子どもたちの遊び場だったという。子どもたちはそこで「願いごとノート」を作り、学校のことや友達のこと、家族のことなど、思い思いの願いを書き込んでいたらしい。
「誰が始めたのかはわからないけど、いつの間にか『ノートに願いを書いたら、何か行動を起こせば叶う』って話が広まったんだ。偶然かもしれないが、何人かの子どもたちは本当に願いが叶ったって言ってたよ」
「行動を起こせば……」悠人がつぶやく。
「そう。何かを願ったなら、あとは自分で動くことが大事なんだろうね。ま、ただの噂話かもしれないけどさ」
「でも、この『路地裏マーケット』は……?」
「それは、若い人たちが『商店街を盛り上げたい』って言い出してくれてね。その話を聞いて、昔の『願いごとノート』のことを思い出して立て札を作ったんだよ」
「……じゃあ、ノートの力で起こったわけじゃない?」凛が首をかしげる。
「どうかな?」店主は笑って肩をすくめた。「でも、きっかけは何だっていいんだ。誰かが『何かしたい』って思うことが一番大事なんだから」
その言葉に、綾音たちはそれぞれの願いを思い返した。
「……やっぱり、あのノートってちょっとすごいかもね」綾音がぽつりとつぶやいた。
「私、おいしいケーキ探してくる!」凛が笑い、綾音と悠人も後に続いた。
柏ノ森商店街は、かつてのにぎわいを取り戻しつつあった。
「ねぇ、なんか嬉しくない?」
商店街の賑わいを見渡しながら、綾音が笑顔で言った。
「まぁ……そうだな」悠人がポツリとつぶやく。
柏ノ森商店街は、昨日よりもさらに活気づいていた。路地裏マーケットの噂が広がり、子どもからお年寄りまで多くの人が訪れていた。懐かしい顔ぶれの常連客や、初めて来たような人々が笑顔で話している。
「こんなに人が集まるなんて、びっくりだね」凛が感心したように言いながら、両手に持った紙袋をふりふりさせる。袋の中には、焼き菓子や手作りのジャムがぎっしり詰まっていた。
「さっきの店、最高だったなぁ。まだ食べる?」
「もちろん!」凛は満面の笑みを見せた。
「おいおい、お前が一番ノートの恩恵を受けてるんじゃないか?」悠人が苦笑する。
「ほら、悠人の願いだって叶ったじゃん」綾音が指さした。
目を向けると、商店街の駄菓子屋の前で、小さな子どもたちが楽しそうにお菓子を選んでいた。その近くでは、昔からの常連客が店主と話している様子が見えた。
「……本当にノートの力なのかな?」悠人がぼそっとつぶやく。
「わかんない。でもね、ノートをきっかけに誰かが行動を起こしたから、こうなったんだよね」綾音は嬉しそうに言った。
「それって、すごく素敵なことじゃない?」
悠人はその言葉に返事をしなかったが、静かにうなずいた。
「次はどこ行く?」綾音が振り返ると、凛が「ケーキ屋さんの隣に、パン屋もあったよ」と嬉しそうに提案する。
「ええっ、まだ食べるの?」悠人が呆れた声をあげたが、凛は笑いながら「冒険はお腹が空くからね」と得意げに言った。
「じゃあ、次の冒険の場所はパン屋さんってことで!」
3人はにぎやかな商店街を後にし、再び知らない路地へと足を踏み入れた。
パン屋で焼きたてのメロンパンを手にした3人は、商店街の片隅にあるベンチに腰を下ろした。ふかふかのパンから立ち上る甘い香りに、凛はうっとりと目を細める。
「やっぱり、来てよかったねぇ……」
「お前、今日は食べ物のことしか言ってないぞ」悠人が呆れ顔で言うが、その手にもカレーパンが握られている。
「ま、結果的にうまいものにたどり着いたし、いいんじゃない?」綾音が笑った。
「それにしても……」悠人がカレーパンをかじりながら言葉を続ける。「あの『願いごとノート』、結局なんだったんだろうな?」
「ねぇ、それがさ」綾音はカバンからノートを取り出し、膝の上に広げた。「このノートって、"願いが叶った人"が書き足してるっぽいんだよね」
「え?」悠人と凛が同時に顔を上げる。
「見て、ここ」綾音がノートの最後のページを指さす。そこには、昨日にはなかった新しいメッセージが書き加えられていた。
「願いはきっかけ。行動することで、道は開かれる。」
「これ、店主さんが言ってたことに似てるよね」凛がつぶやく。
「ほんとに、誰かが見てるのかな……?」悠人が少し不思議そうな顔をした。
「ううん、きっと"ノートの力"っていうより、"誰かの気持ち"なんだと思う」綾音はそう言って、ノートをそっと閉じた。
「誰かが『こうなったらいいな』って思う気持ちと、それを後押しする行動があるから、きっと少しずつ変わっていくんだよ」
「……なんかそれ、いいね」凛がにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、次はどこに行く?」綾音が立ち上がると、悠人と凛も続いて立ち上がった。
「……次は、どの駅で降りようか?」悠人がつぶやくと、綾音は嬉しそうに振り返った。
「きっと、どこに行っても何か楽しいことがあるよ」
3人の笑い声が、賑わい始めた柏ノ森商店街の中に心地よく溶けていった。