day 8
その日以来、私は森拓海と一緒にいるようになった。周りからは冷たい視線を、送られることもしばしばある。別に一緒にいたくている訳じゃないんだけど。
森拓海も結構カッコいい男子だから、そう言われても仕方が無い。大和から時々視線を感じることがあるが、ほとんど私は目を合わさない様にしている。大和と目が合うと、罪悪感に押しつぶされそうになるのだ。私は誰でも良かったんだろって暗に伝えられているようで。
『またサボりか不良少女』
「違います。病気です」
保健室に入り、ベッドへ直行しようとしている私を止める森先生は、コーヒーが入ったマグカップを持って近寄って来る。冷たい目で森先生を視界で捕らえながら、仕方なく長椅子に腰をかけた。
「言いたいことがあるなら言って下さい」
『鋭いな、お前』
ニタリと笑ってマグカップに口を付けて、壁に追い詰めてきた。ビクリと体を震わせた私は、じっと森先生を見る。
「な、んですか…?」
『拓海とは最近どうなんだ?』
「えっ……」
そこを森先生に突かれるとは思っていなかった私は、目を見開いて目を逸らしてしまった。それを見逃さなかった森先生はふーんと言って離れた。
「森拓海とは…、ただの友達です」
『ただの友達ねぇ、この間いちゃこらしてたのにな』
「いっ、いちゃこらって何ですかっ」
『キスとかキスとかキスとかなあ?』
自分の顎を撫でながら、左眉を上げて鼻でクスリと笑った。森拓海から聞いたのだろう。
どうして森拓海のキスを受け入れたのだろうか。大和のキスは拒んだのに。また負のループをしている私の表情をくみ取った森先生は、『図星か』と呟きコーヒーを飲み込んだ。
「…いたんですか、あの日」
『ん?まあな。俺の配慮に感謝しろよ』
感謝もクソも無い。気分は最悪だ。どんどん心の中に、黒い罪悪感が積もって行く。目が合った時の大和の悲しそうな目も、くしゃりと悪戯な笑顔を向ける、森拓海の顔も、全部リセットしたい。
『立花ぁ』
「何ですか」
『嫌なことは嫌って、はっきり言えよ』
森先生の言葉は正しい、正論だ。森拓海の気持ちくらい馬鹿な私でも分かる。じゃなきゃキスなんてして来ないはず。私の自惚れなのかもしれないけれど、勘違いでなければ好意を持たれている。
「分かってます、それくらい。痛いほどにね」
どうしてこんな風になってしまったんだろう。自分の気持ちも、考えている事も、何もかもが分からない。
森先生の前では、私と言う人間を透かして見られているようで仕方ない。
『もっと感情を出せ』
その言葉に頭が真っ白になって、何も考えれなくなった。浮かぶのは過去の私の姿。その姿はあまりにも小さくて、何が正しくて何が悪いのか分からない状況にいて、色々な感情が頭の中を駆け巡る。
どうして今更、過去にとらわれる。どうして今更、過去が現れる。どうして今更、こんなに苦しい。何がいけなかったんだろうか。何がこうさせたのだろうか。何が今の私を作り上げたのだろうか。
その答えはどこにも見当たらない。第三者で昔の自分を見つめている自分はあまりにも滑稽に見える。
『気をしっかり持て!』
「……あ、森先生」
『大丈夫か? 何か飲むか?』
目の前に立っている森先生は眉間にシワを寄せている。私の頬に触れて、手首に触れる。
「何もいりません」
ソファーに私を座らせた森先生は、隣に座り何かを見透かすかのように、じっと目と目を合せて無言の空気が流れる。私はただボーッと森先生を見ていた。
『大丈夫か?』
「大丈夫です。なにもありません」
『俺は騙せないぞ』
「騙せると思ってないです。ただ私は最低で最悪で弱いって思っただけ」
心配している森先生の目をしっかり見つめた。そんなに怖い顔、しなくてもいいのにね。私の頭の中は空っぽだった。
『立花は強いよ』
「強く、ないです」
励ましてくれているのだろう。静かに取り乱した私を慰めるように、ゆっくりとした口調で話す。
『立花は自分を卑下し過ぎ。もっと褒めてもいいはずだろ』
その言葉に何も言えなかった。確かに私は、自分を卑下し過ぎだと思う。
全部が全部、過去の所為にしている私。人の優しさを素直に受け止められない私。
小さい頃は無邪気だった。施設の中にいても、友達に嫌われても、お父さんやお母さんがいなくても、私はいつでも笑ってた。
私はずっと施設にいたかった。施設のみんなが家族だった。なのにある日を境に、地獄へと変わった。
『絢香ちゃん、今日からこの人たちがお母さんとお父さんよ』
施設のおばさんからそう言われた時、私の心は寂しさと嬉しさが折混ざったようだった。親が出来るってことは、施設の子の憧れのようなもの。私もその中の一人だった。
でも現実は違った。幸せな日々を味わう事さえも出来なかった。
『こんな事も出来ないのか?同じ人間でも、うちの子とは違うな』
『それはダメだって言ったでしょっ?施設で習わなかったの?』
すること全てにに文句を言われて、ちょっと失敗したら暴力を振るわれる日々。自分の子供と比べられたり、お仕置きと言われて知らない所へ、置き去りにされたこともあった。兄弟や姉妹にもいやがらせをされて、精神的にも体力的にもボロボロだった。
これがみんなの憧れていた生活なのか。施設から出て行った子たちは、こんな生活を味わっているのか。自分よりも他の子たちの心配をした。
六歳の頃から新しい家庭に入れられては地獄の生活を送り、施設に返されるの繰り返し。そんな生活をしている内に、気付けば十三歳になっていた。
施設のおばさんは何度も戻って来る傷だらけで、ボロボロの私を抱きしめてくれた。それだけで安心できた。夢見てた幸せな日々は来なくても、施設にいるってことが幸せだ。そう思っていた。
そんなある日、施設のおばさんが私の小さい頃の話しをしていたのを、聞いてしまったのだ。
『絢香ちゃんは生まれてそのまま捨てられた子なのよ。なんとかして、また新しい家庭で幸せになって欲しいわ』
その事実を知った私は、体から力が抜けた。生まれたまま捨てられただなんて、自分でも可哀想だと思う。本当の親が捨てなければ、私はあんな地獄の日々を送らずに済んだはずだ。
育てられないのにどうして私を生んだのだろうか。私の未来について考えなかったのだろうか。あんな地獄の日々を、自分達の娘が送っていたことを知ったら、どう思うのだろうか。いつしかそんな事ばかり、考えるようになった。
それからは施設が紹介してくれた全ての里親を断った。大人は信用できない。そして次に頼ったのが、彼氏と言う存在だった。
施設に居ずらくなった私は、彼氏にとことん甘えた。愛に飢えた私は過剰なまでに好意を振りまいてしまい、酷い言葉で捨てられた。だから男の人も嫌いになった。
そんな矢先、大金が舞い込んだ。産みの親の資産らしい。何故か遺産相続者の名前が私になっていたそうだ。私のことを知っていたのであれば引き取ってくれても良かったのに。
お金を手にした私は施設を出ることにした。慕ってくれた子たちには、私のような日々を送らない様に願った。今の私は何不自由無い生活を送っている。
唯一、私の過去を森先生は知っている。だから私に対して、優しく接してくれるのだと思う。
同情なんかはいらなかった。でもその優しさがあまりにも心地よかったから、ずっと甘え続けてしまった。
「森先生…。私の傍には誰かがいたらダメなんです…」
『何で?』
夏の生温かい風が、ぶわっと部屋に流れる。眉間にシワを寄せて、睨みつけるように私を見る森先生。やめてよ、そんな目で私を見ないでほしい。そう思いながら瞼を伏せた。
「甘えを求めてしまうんです。私の所為でその人を何らかの形で縛り付けてしまう。このまま、じゃダメなんです。私は」
森先生は何も言わなかった。今思えば私の過去は全て、私の自分勝手で作られ続けていたんだと思う。
特に彼氏のことがそうだ。利用するだけ利用して、自分の欲を満たすだけ満たして、捨てられたって仕方が無いのに、それをトラウマだとか言って。彼らが私をみたら、あざ笑うはずだ。
『お前、松下大和と話せ』
「どうしてですか?さっきの話し聞いてませんでしたか?」
『しっかり聞いてた』
「じゃあ……」
『ちゃんと話し合え。拓海だって松下大和だって自分で関係を潰せばいい』
「……そうですね。そうします」
森先生の言葉に素直にうなずいた。言われなくても、始めからそうするつもりだ。
丁度良いタイミングでチャイムが鳴ったので、保健室を出た。
「じゃあケリをつけますね、森先生」
『ああ、もうサボりにくんなよ。不良少女』