day 4
それから花巻さんは大人しくなった。私への嫌がらせも無くなり、取り巻きだった子たちも普通にしていた。変わったことと言えば、私のことを怖がる子が出て来たってこと。
「(私ってそんなに怖いの…?)」
一般論を述べただけだし、自分の身を守るためにしたことが、ここまで怖がられるとは思わなかった。まあ、そんなことは慣れっこだけど。
『あーやーかー、メロンパン食べたい』
「I don't know.」
『何それ…?』
「は…?英語だけど」
『そんなの習ったっけ?』
私たちが通っている高校は、普通のレベルの学校だ。っていうか中学行ってたんだから、それくらい分からなきゃヤバい。
『ああああああ!』
「何…?」
『メロンパンじゃんっ!』
かじっていたメロンパンを指さして、キラキラした笑顔を向けてくる大和。これ結構高いメロンパンなんだから、絶対にあげる訳にはいかない。
「これはあげられない」
『何で』
「貰い物だから」
『誰に? 男?』
「男にメロンパン貰うとか可笑しいじゃん」
『女にもらう方が可笑しくね?』
「知らないし」
『ああああああああ!』
「何」
私はあいていた片手でカフェオレを飲むと、大和に指さして叫ばれた。
『か、カフェ俺…!』
「カフェ“オレ”じゃないのこれ?」
『期間限定のカフェ俺知らないの?』
「意味不明だよ、大和」
『もらうわ』
「あ、」
私の手からカフェ俺を奪いさると、ストローに口をつけた。あ、間接キスじゃん。ストローから口を離した大和はニタリと笑って、机の上にカフェ俺を置いた。
『ちょっとメロンパンの味がした』
「変態チックな発言はやめて」
『そんなんで変態とか意味不明』
「(って、言うか間接キス気にしないんだ…)」
大和はもう何くわぬ顔で、カフェ俺を飲んでいる。これで私が飲んだら大和と間接キスになるじゃん。そんな事を考えたら顔が熱くなってきた。
『何で顔赤いの?』
「私、りんご病なの!」
『なにそれ? りんご食べれないの?』
「いや、そう言う訳じゃないけど」
驚いた顔でストローを吸い込む大和。もはや私のカフェ俺じゃなくなっている。それよりも早くメロンパンを食べることにした。
「そういえば大和、お昼は?」
『無い』
「何で?」
『買うの忘れた』
今日の朝いちごみるく飲んで無かったっけ、この人。そんな疑問を抱きつつも、仕方が無いから口をつけていない部分のメロンパンをあげることにした。
「ちょっとだけだからね」
『おー! 絢香ありがとー!』
綺麗に染め上げられた赤髪を揺らして、私の手からメロンパンを受け取った。普通のメロンパンよりもビッグなサイズのメロンパンは大和にあげてもまだ掌サイズは残っていた。
『んー! これ、美味しい』
「当たり前」
『どこに売ってるやつ?』
メロンパンを一口食べ終わった大和は、カフェ俺のストローに口をつける。
「ひみつー」
『何で、やっぱり男からもらっ―――…』
「違うよ! 手作りだから、これ」
『……え?』
目を見開いて私をじっと見る大和は顔をばちんと叩いて、もう一度こちらを向いた。パンを手作りするのが大変で、結構コストがかかるのだ。だから高いっていう表現をした。
「嘘じゃないよ」
『絢香にそんなこと出来たんだ』
「これでも女だからね」
鼻でフッと笑った私は最後の一口を口に放り投げて、大和が飲みきったカフェ俺をビニール袋の中に詰め込んだ。
『じゃあさ、俺のためにメロンパン作って』
「これ作るの大変なんだよ」
『でもまだ家にあるでしょ?』
「……う、ん。後3つはあるけど…」
『それ全部頂戴!』
笑顔で駆け寄って来る大和に体を少し後ろに下げる。顔が近い。余りにも綺麗な顔で、純粋な瞳でじっと見てくる所為で、だんだん顔が赤に染まるのを感じる。
「まっ、て。顔、近い」
『ねえ、だめ?』
「……、」
『じゃあ、キスするよ?』
その言葉に気づけば唇を噛んでいた。私のこと好きじゃないクセに気持ちを持て余す大和。ずるいよね。
「私で遊ばないでっ」
机に体重をかけている大和を机ごと押して、椅子から立ち上がった。変わったのは髪色だけじゃなかった。性格まで変わってしまったような気がした。
『絢香…?』
「何個でもメロンパンならあげるから」
私はそう言い捨てて、予鈴が鳴りだした教室から抜けだした。教室を出て向かう先と言えば、保健室しかなかった。
「失礼しまーす」
『立花、また来たのか』
扉を開けると保健医とは思えないほどの、脱力系教師な森(Mori)先生が目に入る。白衣じゃなくジャージ姿で、体育教師みたいな恰好をしている。この人ほんと、保険医っぽくない。
「しんどいから寝ます」
『おいおい、ちょっとストップー』
シャーペンをクルクル回しながら、がらりと椅子から立ち上がり、ベッドに行こうとしていた私を止めた。
「何ですか…?」
『お前、なんかあったろ?』
「別に」
『ツンツンしてんな』
脱力系とは言え、大和とは違う。何か気にくわない部分がある。特に保険医のクセにジャージを着ているところとか一番気にくわない。
持っていたシャーペンで私の頭を叩いた森先生は、クスリと鼻で笑うと、がたんと音を立てて椅子に座った。
「暴力反対」
『サボり反対』
「サボりじゃない」
『どこからどうみてもサボりだろ』
「どこをどう見たんですか」
『保険医をなめんな』
森先生とはいつもこんな感じだ。保健室に入ると心が温かくなる。私はこの会話をするだけの為に、保健室に来ると言っても過言じゃない。
『どうせ松下大和だろ?』
「……、」
『反抗期か』
「……違います」
いつも大和の名前を出して来る。森先生は基本校内は歩きまわらない主義なのに、いつどこで私と大和が一緒にいる姿をみているんだろうか。
『ホント立花は分かりやすいな』
「分かりにくいはずです」
机に肘をつきながらシャーペンをクルクル回して、こちらに視線を向ける森先生の所為で私は未だドアの前に立っている。
『そういや花巻を倒したらしいな』
「倒したって大げさです」
『へぇ、噂はホントか』
ニタリと頬笑みを零した森先生はエセ脱力系のクセに結構モテる。だから昼休みの保健室は絶対に近づきたくない。
「噂って何ですか」
『昼休みに来る女子が言ってたんだよ“立花絢香が花巻一行を倒した”ってな』
倒したってどっかのRPGみたいになっているが、私はただ正論を述べただけだし、自己防衛をしただけにすぎない。まあ確かに花巻さんは女子のリーダー的な存在だったから、噂になるのは仕方のないことかもしれない。
「もう寝ていいですか?」
『どーせ寝ないクセに』
森先生は知っている。私が布団の中に入っても寝ていないことに。その言葉を敢えて無視して、布団の方へ向かう。
『待て、今日は寝かさないぞ』
「イヤらしい響きに聞こえるのは私だけですか?」
『今のは言葉のあやだ』
「で。何かしろってことですか?」
『おお、理解が良いな』
ニッコリ笑った森先生は私の頭をグシャグシャに撫でて、自分が座っていた隣の椅子に座らせた。
「なんですか、これ」
『歯科記録。クラス別に分けてくれ』
「分かりました」
どっさりと置かれてあったものは歯科記録で、クラス順に置いてあるはずのものが、学年クラスすらもバラバラになっていた。見るだけで嫌気がさしてくるが、たまにはこういうのも悪くない気がした。
私は溜め息を一つたてると、作業に取り掛かった。学年クラス別に分ける為、テキパキと手を動かす。じっと横から見つめる視線を感じながら、敢えて口を開かなかった。すると森先生が沈黙を破るように咳き込み控えめに問うた。
『立花さ、ここ何で来るんだ?』
「来たらダメですか?」
何かのカウンセリングなんだろうか。噂で聞いたところによると、森先生は心理学の免許も持っているらしい。私のメンタルケアでもするつもりなのか。
『ダメな訳じゃないけど、松下に怒られないのか?』
「何も言われません」
大和は森先生と話しても怒らない。それは教師と言う立場の人間だからだろう。大和の変な束縛もよく分かっていないが。
『それもそうか』
何かを知っているかのように言う森先生。こういう所も気にくわない。今のちらりと先生を見てみれば、マグカップに口を付けている。私に仕事をさせるなら、飲み物くらい出して欲しい。
『ま、松下大和も馬鹿なんだよな』
「どうしてですか?」
『まず立花を一人で保健室に来させるって所から』
「どういう意味ですか?」
『どういう意味だと思う?』
何か意味あり気にクスリと笑い、またマグカップ口を付けた。何だろう、この含みのある言い方は。これから何かが怒るようなそんな言い方だ。
『お前らは馬鹿だ。ドアホだ』
グッと顔を近づけてそう言った森先生の鳩尾に拳をぶつけた。
『ぐはっ……!』
「馬鹿だなんて言われる筋合いないです」
がっつり鳩尾に入ったからなのか、涙目になりながら私を見ている。でも実際は馬鹿なことくらい分かっていた。近くにいるのに、遠くにいる気がして、仕方がない。互いに干渉し合わないことが一番良いんだって、思ってる自分が哀れだって思えてくる。
『お疲れ』
歯科記録を並べ終えた私にマグカップを手渡した。中身はカフェオレで牛乳たっぷりのようだ。これこれ、求めてたものは。やれば出来んじゃん。
「ありがとうございます」
座ったままマグカップを受け取ると、そのまま口に付けた。あ、思ったより苦い。私の顔を見て、森先生はいたずらっ子のように笑っていた。
『苦かったか? まだまだ子供だな』
「これ、牛乳入ってるんじゃないんですか?」
『入ってるけど、甘さひかえめな奴だから』
「牛乳に甘さ控えめとかあるんですか?」
『いや、知らないけど』
フッと鼻で笑った森先生は、右手に持っていたマグカップに口を寄せる。ちらりと時計を見ると、もう少しでHRの時間だった。
「もう教室に戻ります」
私は椅子から立ち上がり、保健室を出た。教室に戻ると、ちょうど授業が終わったところだった。
『絢香、またサボったんだ』
「……うん」
お昼のことを気にしていないらしい大和は普通に話しかけて来た。きっと大喧嘩をしても、次の日にはケロッとした顔で話しかけてくるんだろう。笑顔で話しかけてくる大和は、どうして赤く髪の毛を染めたのだろう。そのことばかりが頭を支配する。それに森先生の言葉も気になる。私は帰る支度をしながら、そんなことを考えていた。
帰り道、いつも通り大和と一緒に帰る。でもいつもと違うのは私の気持ちだった。森先生の所為で私たちの間になにか見えてない歪みがあるのではないかと思うようになっていた。
『絢香はさ、何で1人暮らししてるの?』
ずっと考え込んでると、大和が口を開いた。前を向いたまま普段と何も変わらない口調だが、初めてヤマトが私に干渉してきた瞬間だった。
「私、天涯孤独なんだ」
『そう、なんだ』
「……大和は?」
『俺も親はこの世にはいないよ』
「そうなんだ」
私も大和も同じだった。何となくそれを大和も分かっていたのかも知れない。だから惹かれあってた。大和のことだって知りたいと思う。でも私はまだ自分から踏み込むことが出来ない。だってもっと思い出したくないことを話さなきゃ行けなくなりそうだから。
『俺、今の絢香嫌い』
「……え?」
大和の言葉に背筋が凍った。訳がわからなかった。今の私ってどういうことなんだろう。歩いていた足が止まり、大和も少し後に止まった。
『絢香だって今の俺、嫌いでしょ?』
大和の目は真っ直ぐこちらを見ている。その言葉に何も言えなかった。今の大和が嫌いな訳じゃない。前の大和の方が好きなだけ。
私が黙っていくと、大和だけが歩き出す。
「そっか。嫌いか……大和にはそう見えていたんだ」
赤い後ろ姿を私は見つめることしか出来なかった。無言のまま、お互いの家の前まで戻ってきた。大和も私も何も話さず、ドアの前で立ち止まったまま。
『態度だけじゃ分かんない。何で言葉にしないんだよ』
苛立っているのか、怒りを含んでいるのか、私にはわからない。大和だってそうじゃないか。何を求められてるのか分からない。そう言おうと思ったけれどグッと堪えて逃げるように家に入りドアに背中をつけて、そのまましゃがみ込んだ。
最低だ、私。大和の友達としての言葉を拒絶したあげく、心の中では酷い事を思っている。
「明日からは一人か……」
ふとそんなことを思った。私には“大和”と言う存在が大き過ぎる。大和は私なんかと一緒にいたらダメだ。大体、どうして私と一緒にいてくれたんだろう。
冷蔵庫のメロンパンは捨てることにした。