03 見付けました
理世は購入した二枚のTシャツを洗濯網に纏め、洗濯機の中に突っ込んだ。それから自室に戻ると、先にハサミで切り離していた値札タグをゴミ箱に捨てた。
〝イワザワさんからは逃れられない。おねえさんは、何日持つかなあ〟
──そもそもイワザワさんってどんな?
調べてみようと、理世が勉強机の上のスマホに手を伸ばしかけた時だった。リビングの固定電話が、高い音で着信を告げた。
「えー、何……?」
電話に出るべきか迷ったが、どうせ何かの勧誘だろうから無視しようという結論を下すと、イワザワさんを検索した。
「おっ」
検索結果一覧の一番最初に、動画投稿サイトのロアニイのページへのリンクと、動画の切り抜き画像が表示された。画像の真ん中にいる、アフロヘアーと顎髭が特徴的な男性が本人なのだろう。
──それにしても、しつこいなあ。
電話は鳴り止む気配がなかった。二〇コール目にもなると、理世はとうとう折れて自室を出た。
「はいはい、今行きますよ!」
リビングを移動中に止まるのではないかという予想と期待は外れた。
「はい、もしもし」
気怠げに受話器を取ったが、相手に失礼な印象を与えないよう、明るいトーンを意識して声を出した。
「イワザワです」
低い男の声は淡々と名乗った。理世は受話器を落としかけた。
「……はい?」
「雑賀理世さん、見付けました」
「ち、ちょっと──」
「見付けました、雑賀理世さん」
「ちょっと待って──」
「見付けました」
「ねえ──」
「見付けました」
「嫌っっ!!」
理世は音を立てて受話器を置いた。心臓が早鐘を打ち、背中を冷たい汗が伝う。
「何で……何でなの!?」
〝もう目を付けられてるって言ったら驚く?〟
──あの子の話は……本当だった?
悪戯の可能性も頭を過ったが、それにしては芸能人相手のドッキリ企画のように手が込んでいる。
〝一度目を付けられたら最後だと思った方がいいよ〟
──そんな。
固定電話が再び鳴り出した。理世は短い悲鳴を上げた。
「やめてよ!!」
逃げるように自室へと戻り、襖をピシャリと閉めると、両手の指を耳の穴に突っ込んでしゃがみ込む。
──嫌だ! 絶対出ないから! 早く諦めて!!
三〇コールを超えても鳴り止まず、理世は泣き出しそうになった。
「お願いやめて……もうやめてよぉ!!」
勉強机から鈍い音が聞こえた。スマホが小刻みに震え、着信を告げている。固定電話はなり続けているが、これもイワザワさんを名乗る者からだろうか。
まるで爆発物でも見付けたかのように慎重な足取りでスマホに近付き、恐る恐るディスプレイを覗き込むと、バイブレーションはピタリと止んだ。
「……あれ?」
表示されていたのは、不在着信通知ではなく、メモ帳アプリの新規メモだった。その真ん中には、入力した覚えのない三文字。
〝にげろ〟
「え……」
固定電話が鳴り止んだ。
理世はリビングの方へ振り向き、未だ強く残る恐怖と警戒心にそのまま身構えて──正確には固まって──いた。
自宅の外を行き交う自動車や人間の気配すら感じられない程の静寂が戻ったが、これっぽっちも安心出来ない。もう大丈夫かもしれないと気を抜いた次の瞬間に、またまた鳴り出しそうな気がしてならなかった。
理世を解放したのは、二度目のスマホの小刻みな震えだった。
──!!
三文字はいつの間にやら消え、新たな言葉が記されている。
〝とっととにげろ〟
その七文字で理世はようやく気付いた──電話を掛けるのをやめたイワザワさんが、次に取るであろう行動を。
危うくパニックを起こしかけたが、二度の深呼吸と両手で頬を強めに叩き、無理矢理落ち着きを取り戻した。
──そうだ、早く逃げなきゃ……!
スマホを手に取り、ショルダーバッグにしまう前に問い掛ける。
「教えてくれて有難う。誰だかわかんないけど、あなたを信じていいんだよね?」
文字には何の変化も起こらない。
「……し、信じるよっ!」
玄関のドアスコープで周囲に誰もいない事を確認すると、恐る恐る外に出て鍵を閉める。念のためにもう一度周囲を見回し、異状はなさそうだと判断すると、理世は昔からの住宅街の方へ早足で進んだ。
──まだこの間の御礼参りも出来てなかったし、それも兼ねて……。
恐らくイワザワさんは、質の悪い人外の存在だ。交番に駆け込んで助けを求めるよりも、理世自身がお祓いをしてもらうのが一番だろう。目的地は、ナナノの病気平癒を願った、二丁目の神社だ。
──そういえば、まだイワザワさんの事を調べてなかったな。
理世は周囲の安全を確認すると、空き家となっている日本家屋の玄関引き戸の前で足を止め、ロアニイのページへアクセスした。
動画は何十本も投稿されているようだが、幸いにも『ちょっと迷惑なイタズラ者、イワザワさんとは!?』というタイトルのものがすぐに見付かった。
──時間ないから、要点だけ──……
すぐ後ろで、ガラガラと玄関引き戸が開く音がした。驚いて振り返った理世は、出入口を塞いでいた事を謝罪しようと口を開きかけ、そのまま固まった。
玄関には誰もいなかった。引き戸の向こうは月のない夜の闇のように真っ暗で、中の様子が全くわからない。
──というか……ここ空き家だよね?
「雑賀理世さん、見付けました」
淡々とした低い男の声が、闇の中から聞こえた。
「見付けました、雑賀理世さん」
青白い手が、闇の中からにゅっと伸びてきた。