02 ショッピングモールの少女
翌日、磨陣市六堂町、五階建て大型ショッピングモール〈FOUR SEASONS〉。
ウィンドウショッピングだけのつもりでやって来た理世は、衝動買いの誘惑に耐えながら一店ずつ見て回っていたが、三階の店の70%OFFというPOP広告に惹かれ、ワゴン内の夏物Tシャツを二枚購入してしまった。
──決して無駄遣いなんかじゃないもん。まだ暑い日も多いから着るだろうし! うん!
店を出て大して歩かないうちに、理世は喉の渇きを覚えた。
──下で何か買おっと。
吹き抜けのエスカレーターで一階まで降りると、縁遠い高級ブランド店の間を通り、全体がスーパーマーケットとなっている北側エリアへ向かう。
──コーラにしようかな、それとも──……
「おねえさん、イワザワさんって知ってる?」
──え?
声がした方を見やると、数メートル離れた所に、一人の少女が壁に背をピッタリくっ付けるようにして立っていた。小学校低学年くらいだろうか。黒色のノースリーブのワンピースに焦茶色のサンダル姿で、肩より少々長い黒髪を三つ編みの二つ結びにしている。
「イワザワさんって知ってる?」
理世が足を止めると、少女は再び同じ問いを、理世の目をしっかり見据えて口にした。
──知ってるけど……。
無視して通り過ぎるか迷ったものの、理世は少女の元へ歩み寄った。
「こんにちは。家族で買い物に来たの?」
少女は微笑むだけで答えない。
「……あー、イワザワさんなら知ってるよ。今、流行ってるんだよね」
「どれくらい知ってる?」
「……えー、と……確か、おじさんの動画配信者が広めた都市伝説で……」
話しながら、知っていると言える程知っているわけではないと気付き、理世は苦笑した。
「ごめんね、本当は名前くらいしかわかんないや。怖い……のかな?」
「そうだよ。怖いよ。一度目を付けられたら最後だと思った方がいいよ。おねえさんたちだって敵わないよ、きっと」
「そ、そうなんだ……」
「もう目を付けられてるって言ったら驚く?」
「え?」
少女は歯を見せてニタリと笑った。その表情は純粋な子供のものには見えず、どこか異様で、理世は無意識に一歩引いていた。
「あー……おねえちゃん、もう買い物に行かなきゃいけないの。あなたの家族はそろそろ来るかな?」
「敵わないよ。何の力も持たないんだもの、当たり前でしょ」
「……えっと──」
「睨んだってねえ。事実を言ってるだけなんだから」
──この子は何を言ってるの……?
立ち去ろうとしていたのに、理世は奇妙な少女から目が離せなかった。戸惑いは混乱、混乱は恐怖へと、少しずつ変化してゆく。
目を逸らそうとして、理世は気付いた。少女の黒色のワンピースには、渇いた血のような色合いのシミがあちこちに付着している。
──おかしい……この子、何かがおかしいよ……。
「イワザワさんからは逃れられない。おねえさんは、何日持つかなあ」
──どうしよう、どうしよう、どう──……
大きな破裂音がして、理世は飛び上がらんばかりに驚いた。
「何だ?」
「割れちゃったみたいよ、ほら向こう」
通り過ぎてゆく夫婦らしき二人の会話につられて、理世は北側エリアの方に振り返った。ウォーターサーバーの勧誘の人間が配るために持っていた風船が、何らかの拍子に割れたようだった。
──ああ、ビックリした……。
理世は安堵に小さく息を吐いたが、ハッとして壁際に向き直った。
少女は姿を消していた。
──何だったんだろ……。
〈FOUR SEASONS〉を出た理世は、最寄りのJR線新六堂駅までの道のりを歩きながら、不思議な少女とのやり取りを思い返していた。
〝おねえさん、イワザワさんって知ってる?〟
〝一度目を付けられたら最後だと思った方がいいよ〟
〝もう目を付けられてるって言ったら驚く?〟
少女の子供らしからぬ笑顔や、口にした言葉の数々は挑発的で、悪意さえ感じられた。あれらはただの冗談や悪ふざけだったのだろうか。それに、少女の黒いワンピース。あの汚れは普通ではなかった。あんな状態の服を、自分の子供に着せる親がいるのだろうか。
──あの子……ひょっとしたら、幽霊か何か……?
理世はゴクリと唾を飲み込み、同時に喉が渇いていた事を思い出した。少女がいなくなった後、すっかり怖くなり、スーパーには行かず回れ右してしまったのだった。
──何でもいいから炭酸が飲みたいや。
駅前まで来ると、理世は隣接するコンビニに入った。
「なあ、まだ決まんねーの? 早くしろよな」
スイーツコーナーの前で、茶髪の男性が連れの金髪の女性を急かし、右肩に後ろから顎を乗せた。
「ちょっと待って。ねえ、重いんだけどー。背後霊かアンタは」
抗議の声を上げながらも、女性は満更でもなさそうだ。
──そういえば……。
〝おねえさんたちだって敵わないよ〟
〝睨んだってねえ〟
謎の少女の口振りは、理世だけでなく別の誰かにも話し掛けているかのようだった。
──やっぱり、誰かが憑いてるのは確実なのかな……。
スイーツを選びながらイチャつく二人の後ろを通ってドリンクコーナーまで来ると、理世は迷わずアイスコーヒーに手を伸ばした。
炭酸飲料が飲みたかった事を思い出したのは、帰宅後、空になったプラスチック容器の中身を水で簡単に洗い、ゴミ箱に捨てようとした時だった。