六話
先輩は瞬きすらせずに、御倉さんを睨み付けていました。
御倉さんは目を閉じて、満面の笑みで先輩の睨みを受け流していました。
「落ち着いてくれよ天才くん。 僕は危害を加えたいわけじゃ無いんだ」
「どう信じろと言うんだ?」
御倉さんのわざとらしい高めの声を掻き消すように、低く鋭い刃のような先輩の声が、私の耳に響きます。
私の身体は氷のように固まり、動けないまま先輩の腕の中で二人の会話を聞いていました。
凍りつくような空気が周りにも広がり、周りにいた人達も私達の方に目を向けていました。
私はいよいよこの空気に耐えられずに、声を上げました。
「先輩! 私は大丈夫ですから喧嘩しないでください!!」
「んぇ? あ、ごめん」
先輩の目が大きく開き、声はいつも通りの音に戻りました。
そして、私は先輩の腕の中から抜けて御倉さんに身体を向けて顔を見つめます。
私は一度深呼吸をして、御倉さんに向かって声を発します。
「御倉さんに一つ言いますが、私だってどうして自分がこうなったのか分かりません」
「へぇ、そうなん」
「なので」
私は御倉さんの言葉を遮って、一度言葉を区切ります。
そして、私は再度口を開いて、少し大きな声で言葉を発しました。
「次! また同じようなことしたら、その時は魔法で吹き飛ばしますので、そのつもりでよろしくお願いしますね!」
私は声を荒げて、怒りを隠すことなくあらわにして見せます。
すぐに何か言ってくると思っていたのですが、御倉さんは目を少し見開き、先程の笑みは消え、呆気に取られたような顔で私を見つめていました。
少しの間を置いて、御倉さんは固まっていた身体を動かして、口を開きました。
「君は」
「行くよ律ちゃん」
「え、ちょっ、先輩!?」
御倉さんが声を発したその瞬間、先輩が私の右手を引っ張り、少し早歩きで歩き出しました。
私は先輩の方に目を向けて、抵抗しようとしますが、先輩の方が力が強く、私はそのまま図書室の外へと連れて行かれました。
図書室に出る直前、目を御倉さんに向けると、左手を少し伸ばしていて、さらに目を見開いて私達を見ている姿が見えた後、図書室を出て行きました。
***
「…………あの無気力の天才が、あそこまでの反応を示すなんて、さらに学園長のお墨付きで、ペーシェンなのにプライドのクラスへと選ばられる。 何者なんだろ彼女は」
顔に自然と笑みが浮かぶ、こんな感情は私にとって初めてだ。
こんなにも心が高揚したことは無い。
あんな面白い存在がこの世に存在していたとは思わなかった。
もっと知りたい、彼女のことを。
彼女は何者で、どこから来て、どういう存在なんだ、その全てを知りたい。
そして恐らく、彼女の何かをあの天才は隠している。
それが何かは分からないが、隠すということはそれほど何かがあるのだろうと予想できる。
「調べるか、楽しくなりそうだかなぁ……これから先」
口を抑え、笑みを隠すようにし、私は歩き出し、外へと向かった。
***
「先輩、どうしてあんなことをしたんですか?」
俺は今、二つ歳下の後輩の女の子に正座させられて、説教されている。
自分でも、どうしてあんなことしたのか分からない。
でも、気付いた時には身体が動いていて、俺は律ちゃんの腕を掴んでいた。
あの時、俺はどうしてあんなにイラついたのか分からない。
普段ならあんなのイラつかないのにどうしてあんな風に動いたのか、自分でも。
「先輩、聞いてますか?」
「あはは、ごめんごめん。 律ちゃんの話が長くて眠くごめんなさい」
冗談口調で言おうと口を開いたが、律ちゃんの顔を見て俺はすぐに謝罪の言葉を放った。
律ちゃんの顔は笑ってはいたけど、目は全く笑っていなかったから。
いつもは弄りやすいか、真面目な後輩という感じだけど、今は見えないはずのオーラが見えた気がした。
しかし、流石に今回は俺が百悪いので、俺は黙って律ちゃんが満足するまで正座を続ける。
「はぁ、もういいですよ。 それでは先輩」
律ちゃんは目を閉じて、俺から目線を外すと横に置いてある鞄を持って、その中から俺が入れておいた本を一冊出して、見せるように両手で持った。
「復習したいので、今日の授業のこと、教えてください。 正直全く意味が分かっていないので」
律ちゃん少し悔しそうな顔をして、俺に本を見せながら、迫ってきた。
律ちゃんはほんとに真面目だ。
思えば、この子はいつも真面目だった。
向こうの世界でも、律ちゃんは生徒会の仕事を最後まで行い、誰もやらないようなめんどくさい仕事も行い、勉強も予習と復習をきちんと行なっていた。
そして、彼女は俺の知る中で、誰よりも心優しかった。
俺と一緒に仕事を出来る人は律ちゃんが初めてだった。
何故なら、全員俺の怠惰さに失望して離れていったからだ。
しかし、彼女だけは違った。
なんだ俺がサボろうと何度も俺のことを叱り、何度も仕事に戻してきた。
そして、何回俺がサボろうと俺のことに失望せず、逆に憧れを抱いて、何回も俺の元に来た。
俺の中で、この子は大きい存在なのかもしれない。
変な気持ちだが、悪い気はしない。
「先輩? 聞いていますか?」
俺は立ち上がって、律ちゃんの頭に手を置いて撫でる。
「ふぇ? 先輩?」
呆けた顔をしている律ちゃんの目を見つめて、俺は律ちゃんから本を取る。
そして、その本を開いて少し離れて律ちゃんの方を見た。
「律ちゃんが分かるまで、何回も教えるよ。 部屋に行くよ」
「!…………はい、お願いします!」
律ちゃんは呆けた顔が消え、目が輝いている嬉しそうな顔をして、俺にお願いしてきた。
俺はその顔を見て、少し笑顔なりながら、律ちゃんの手を掴んで、魔法を使った。
「…………これだけは、きちんとやる気を出さないとな」
誰にも聞こえない俺の呟きは、光と共に消えていった。




