手形
ある日のこと。
ふと、手形が気になった。
退屈な会議の途中、俯いて視界に入ったのは、人の手の形をした跡。
机の端に五本指の先が二つ。
前に会議室を使った誰かの手汗が残ってしまったのだろう。きっとその人は緊張していたのだな。
それから、帰路の途中。電車の窓。
低い位置にうっすらと、小さな手形が見えた。
恐らく子どもが手を張り付けたもの。
窓の外に映った景色に興奮していたのかもしれない。「あれを見て」と指差す姿が目に浮かぶ。
自分が手にするスマートフォンの指紋も気になった。
指紋の位置や使った指の形・大きさで、いつ何をしていたのか思い出せる。
画面下部にやたらと親指の跡がある。そういえば、今日はよく他人と連絡をとっていたな。忙しい一日だった。
そして、帰宅。
荷物を置いて、洗面所へ向かう。
手を洗い、うがいをする。
うがい用のコップは鏡の後ろにしまっているから、開けるときに毎回手の跡を残してしまっていた。
なんとなく気になるため、それを濡らしたティッシュで拭き取り、乾拭きして、鏡を綺麗にする。
——すると、気がついた。
鏡の上端、私の手が届かない位置。
指の長さがあべこべの手形。
親指が人差し指よりも長くて、中指が小指より短い。
それが、手のひら三つ分。
誰が、何が、そこにいたのだろう。
私は冷や汗をかいた。
全身の毛が逆立つような身震いをする。
そして、背後の気配。
水の滴る音。
誰かが私の背中に触れる感覚。
「やっと気づいてくれたね」
耳元で誰かがそう囁いて、私は意識を失った。
——翌日、私は寝室のベッドで目を覚ました。
何か悪い夢を見ていたらしい。
カーテンを開けて朝日を浴び、ベッドから立ち上がる。
少し乱れたシーツを直そうとすると、枕元に付いた皺に視線がいった。
そこには、何かが手で這ったような跡が残っていた。