08. ほどける糸
シャルロット様は私に気づくと、グレッグに話しかけにっこり微笑む。どこかを指差しているのを見ると、2人で移動しようとしているのかもしれない。
(またシャルロット様……、どうしよう。今私がグレッグのもとに行って、みんなの前で嘘つきだと言われたら。グレッグの努力が報われた日に、そんなことで彼に恥をかかせたくない! それに私だって、注目されている時に婚約破棄だなんて嫌!)
私はいそいで2人に背を向け、わざと人混みの中に入る。遠くでグレッグが何か叫んでいるような気がしたけど、止まることなく走り、なんとかバルコニーに逃げることができた。
(どうしよう……帰るにしてもグレッグの馬車で来たから、王宮の予備の馬車を借りなきゃ!)
「―――信じられない!」
「―――恥しらずね!」
会場からは大きな声で争っている様な声が聞こえる。
(ここまで騒がしければ、抜け出して馬車を呼んでも気づかれないわね)
私は靴音を立てないよう、気配を消してそうっと歩き出す。しかし1歩踏み出した瞬間、目の前にグレッグが飛び出してきた。ぜえぜえと息を荒げ、こちらを睨むように見ている。
「どうして俺を置いて帰ろうとするんだ?」
「だって! それは……!」
そういえばシャルロット様に秘密を知られた事を、まだグレッグに伝えてなかった。でも帰ろうとしたのは、それだけが理由じゃない。どこから説明すればいいのかわからず黙っていると、グレッグは涙目になって責めるように見つめていた。
「好きな男のところに行くのか?」
「えっ!? なにを言ってるの?」
(自分はあんな事しておいて、あんまりじゃない?)
「好きな女性ができたのは、あなたでしょう! さっきだってシャルロット様と一緒にいて、それにこの前、抱き合ってたじゃないの! 私、見ました!」
普段ほとんど感情が大きく動かない私だけど、この時ばかりはグレッグをビシっと指差し、大声で責め立てた。さぞや慌てふためくだろうと思っていたのに、目の前のグレッグはキョトンとした顔で首をかしげている。
「……? そんなことしてないぞ! たしかに彼女と騎士団で会ったが、君のことで相談があると呼び出されたからだ! 会ったのはあの時が初めてだしな。しかもその時俺の胸に寄りかかってきたから、首根っこをつかんで引き剥がしたけど、抱き合っていたとはあれの事か?」
グレッグはその時を再現するように、自分の服の襟をつまみ上げて説明している。……そういえば抱き合っているところまでは見なかったわ。グレッグの手が背中にまわったからてっきりそのまま……と思ったけど、実際はシャルロット様の襟をつかんで引き剥がしたってこと?
「く、首根っこ……」
「令嬢には良くない態度だったが、彼女はちょっと頭がおか……それにさきほども……いや! こんな話はどうでもいい」
なんだか所々聞こえづらいけど、本当に誤解だったのかしら? でも今日までの冷たい態度の意味がわからないわ。まだ不満が残っている私が見つめているのにも気づかず、「じゃああれは嘘か?」「でもあの口ぶりは……」とぶつぶつ言っている。私まだ怒ってるんですけど! それなのにグレッグはまた私の方を責めるように見始めた。
「それより、なぜ手紙に返事をくれなかったんだ?」
「え? 手紙? もらってませんよ?」
「10通以上は送ったが」
「……実は私も手紙を騎士団あてに送りましたけど」
「届いていない」
「……ということは」
「誰かがわざと、俺達を別れさせようとしていたみたいだな」
私達は顔を見合わせ、うなずきあった。ようやく誤解はとけたけど、またひとつ問題が出てきてウンザリする。
(状況からして、私の家の者がしていたのよね。一体誰が……?)
「あの女、徹底的に調べないと……いや、これも今はどうでもいい!」
グレッグがガシッと私の肩をつかんで、じっと私の目を見つめる。もう怒っている様子は無いけど、さっきより泣きそうな顔になっているのは、どうしてだろう?
「……本当に好きな男は、できていない?」
「できてません」
そう私が即答すると、グレッグは大きく息を吐き、首をガクリと前に倒した。小さく「やっぱり嘘か。良かった」と何度も呟いている。もう! 1人で理解しないで! 私にはまだ状況が見えない。私は手を腰に置いて怒ってる雰囲気を出し、グレッグを問いただした。
「あなたこそ、今日の態度はなんですか?」
「す、すまない。手紙を何通送っても返事がないから、君に愛想を尽かされたと思って。それに今日は……!」
「今日は?」
小首をかしげグレッグの話の続きを待つと、彼は耳まで真っ赤にしてうつむいている。さっき国王陛下の前で堂々としていた人と同じとは、とうてい思えない。それでも意を決したように、グレッグは顔を上げ私を見つめる。その熱のこもった青い瞳には、さっきまであった迷いはもう無かった。
「今日は俺にとって、夢が叶う日なんだ。武術会で優勝し表彰されるのも、その夢のひとつだ」
グレッグは緊張した面持ちで、私の前に片膝をついた。