第93話 魔神バファル
漆黒司祭ネビロスの体から闇が溢れ出る。
ゾワリとセレンの背中を不愉快な感覚が襲う。
恐らく、外で戦っていたハイエルフが殺された未知の術だ。
砦の外でハイエルフがこの術で殺されたのを見てセレンは遠距離型の術だと考えていたが、近距離型の術を持っていてもおかしくはない。
何もかもが分からない術である。
勝負は一刻を争う。
セレンは一撃で勝負を決めるべく、騎士剣技を使った。
先手必勝だ。
【閃烈剣】
瞬間的にセレンの移動速度が爆発的に跳ね上がる。
ネビロスの姿があッと言うまにセレンの目の前へと迫る。
――殺った!
剣撃が閃光のように眩く煌めく。
光の残滓を残してネビロスの体がバラバラに斬り刻まれる――
はずであった。
セレンの剣撃はネビロスに届く直前で止められていた。
封剣ゼクスナーガを握る両手首を左手で押さえたのは、ローブ姿の男であった。
いとも簡単に騎士剣技を見切られてしまい、セレンに動揺が走る。
これまでセレンの剣技をまともに防いだのはモンステッラだけだったのだから当然と言えば当然かも知れない。
「くッ!」
セレンは宙ぶらりんの格好から体を捻ると男の顔面目がけて右足で蹴り上げる。
その一撃は軽々とかわされるが、男が被っていたフードが捲り上がった。
露わになった顔は蒼白で、不気味な紋様の刺青が入っている。
男の右手がセレンの腹にめり込む。
「ガハッ!」
肺の中の空気を全て押し出されたかのようなな息苦しさがセレンを襲う。
何とか足をばたつかせてもがいてみるも両手を掴まれて動けない。
「セレンッ!」
ネオンが長剣を抜き男へと躍りかかる。
同時にディロードも大剣を振り上げて駆け出した。
彼らは男の左右からタイミングを合わせて挟撃を掛ける。
セレンを盾にして牽制する男に対してネオンは焦りの声を滲ませる。
下手に仕掛ければセレンを傷つけかねない。
一方、セレンは男の顔を見た瞬間、今自分を縛めている者が何者なのか理解した。
――魔神
クロムの記憶やゴルセムナたちの話から、この世界に魔力は満ちていないのは知っている。そんな世界でどうやって顕現しているのかは知らないが、堕ちた神、堕ちた天使と言われる魔神に効果のありそうなスキルは――
【覇戒】
セレンの体から空色の力が発せられ、魔神の体を破戒する。
破戒――戒めを破り、魔界へ堕ちた神には相応しい。
「グアアアアアアアア!!」
縛めから逃れたセレンは床に着地するや否や魔神の首元へ鋭い突きを放つ。
ダメージを負いながらも左手で迫り来る大剣を掴む魔神。
その手を斬り裂かれながらも大剣はその動きを封じられてしまう。
セレンに同じ過ちを犯す気はない。
すぐさま、柔剣技を行使した。
【真球倒撃】
先程は両手を抑えられて剣技を使えなかったが、【真球倒撃】は触れていさえすれば効果はある。傍から見れば間抜けに見える程豪快に魔神はバランスを崩して床に倒れ伏した。その隙にセレンは聖剣技の発動に移ろうと集中力を高める。
倒れた魔神にディロードが好機とばかりに斬り掛かる。
「ディロードッ! 戻りなさいッ!」
セレンの意図を読んだのかネオンの大声が飛んだ。
【雷轟神聖撃】を放つつもりだったセレンは止まらないディロードを見てすぐさま戦術を変える。
ディロードを巻き込む訳にはいかない。
【聖剣撃化】
封剣ゼクスナーガが金色に光り輝く。
何しろ元から神聖属性、竜種特効属性を持ち、今まで喰ってきた数々の聖剣、神剣、魔剣の能力が宿っているのだ。
そこへ更なる聖剣技による神聖力の増幅である。
何級の魔神であろうが絶大なダメージを与え得るだろう。
ましてや魔力のない状態であれば尚更だ。
床に転がされた魔神はディロードから振り下ろされた大剣の一撃を紙一重でかわすと、着ていたローブを脱ぎ捨てる。
目くらましとなってディロードの動きがほんの一瞬だけ止まった。
大剣でローブを払った彼の目の前には魔神が待ち構えていた。
背中に2枚の漆黒の翼を持った魔神が。
「クソッタレッ!」
悔しさの滲む声がディロードの口からついて出るが時既に遅しであった。
彼の鳩尾に魔神の右ストレートが決まる。
「ガァッ!」
鈍い音が響く。骨が砕かれる嫌な音である。
ディロードは咄嗟に丸太程はあろうかと言う太い左腕で魔神の一撃をガードしたのだ。結果、左腕と引き換えに体への大ダメージを回避した。
「ウオラァァァァァァ!」
お返しと言わんばかりに大剣が振り下ろされる。
直撃コースだ。
ディロードの濃い顔が確信の色に染まる。
パッキーーーーーーーーン!
予想とは違う結果にディロードの顔から笑みが消える。
魔神に左肩へと直撃した大剣は澄んだ音を残して砕け散ったのだ。
「舐めているのか? 魔力がないからと言ってその程度の攻撃が通用すると思っているのならとんだ侮辱だぞ貴様」
魔神はディロードを見下しながら冷ややかな声で告げる。
冷たいだけではない底冷えするかのような声色は、怒りすら滲んでいた。
セレンとネオンもジッと傍観していた訳ではない。
魔神の左右から同時に斬り掛かる。
大剣を砕かれたディロードは後方へ下がろうとするが魔神の動きは速かった。
皮の軽装鎧とは言え、丈夫な作りをしていた装備は易々と貫通されてしまった。
ディロードは胸の辺りを押さえて激しく吐血する。
「がはッ!」
「おのれぇぇぇぇぇ!」
そこへ怒れるネオンが長剣を下から払い上げる。
魔神はこともなげに右手で長剣を受け止めた。
「ほう。光の精霊の力か……だが及ばんよ。俺を滅ぼしたければ聖剣でも持ってく――」
「ガアアアッ! なッ!?」
最後まで言わせずにセレンの大剣がディロードを貫いていた魔神の左腕を斬り飛ばした。放り出されるように床に倒れ伏すディロード。セレンは更に追撃を掛けつつ、ネオンに指示を出す。
「ネオンッ、ディロードさんを頼むッ!」
魔神はネオンの持つ長剣から手を離し、セレンの攻撃をいなそうとする。
脅威はセレンだけだと判断したのだろう。
斬り落とした左腕は塵へと変わり、傷口は少しながら再生が始まっているようだ。超再生の力であるが、魔力がないのに何故起こっているのかはセレンにも分からなかった。
「何なのだお前はッ!?」
セレンの追撃から辛くも逃げ切った魔神の焦躁の混じった声がセレンへと投げ掛けられた。
魔神は憎々《にくにく》し気にセレンを睨みつけ、セレンは今にも飛び掛からんと隙を窺いながら両者は再び対峙した。




