第74話 大打撃と大戦果
砦を包んでいた炎は精霊術士が操る水精霊の力によって消されていた。
とは言え、最早原形は留めておらず、至るところから煙が立ち上っている。
時折、風が熱を運んでくることもあった。
現在は被害状況を確認しているところである。
幸か不幸か剣士団長のガリレアと精霊術士団長のアマリアは無事であった。
ガリレアはかなりの大怪我を負っていたものの精霊樹の雫の力で回復したのだ。
アマリアの方はセレンに危急の際を救われて無傷で済んでいた。
ひどいのは剣士団である。
二五○の内の五分の一程が討死し、その他の者も怪我人ばかりで誰一人として無傷の者はいない。
精霊樹の雫にも限りがあるので全員に使える訳ではないのだ。
辛うじて生きてはいるが手足を失った者も多い。
対して精霊術士たちは、奇襲を受けた直後こそ混乱したものの、アマリアが上手く陣を組んで対応したお陰で犠牲者は少なかった。
一応、砦は落としたものの、大損害を受けての敗北に近いとセレンは考えていた。セレンが速やかに敵将を討ち取っていなければ、被害はもっと増えていただろう。
「ノルヴィーレ陛下の部隊はご無事だろうか……」
ノルヴィーレと言うのは妖精王の姓だ。
フルネームはリングジョン・ファルス・ノルヴィーレ・レイル・バラシーダと言うらしい。
セレンは何故王族は名前が長いのか、場違いなことを考えていた。
現実逃避と言っても良いかも知れない。
この戦果を持って、非戦派を説得し大兵力を持って清浄なる泉を取り返すつもりだったのだ。こちらの被害の大きさを知れば、及び腰になる族長が出てくることは目に見えている。セレンはガリレアが責任をなすりつけてくる可能性すら考えていた。
「うーん。長引くのは困るんだけどな……」
ミッドフェルにはリオネルたちが先に避難しており、セレンを待っているのだ。
レイラーク王国が難民に対してどのような対応をするか分からないし、モンステッラ率いるジオナンド帝國軍が南下してミッドフェルを襲う可能性だってある。
長い期間、ここに留まっていることはできない。
かと言ってネオンの恩を返さないと言う選択肢はないし、セレンの力のみで解決しても何の意味もない。
川の淵に立ってそんなことを考えていると、背後から遠慮がちに声が掛けられた。
「あ、あのッ……セレン様、光精霊の力で怪我人たちの傷を癒し終えました」
セレンが振り返ると、そこにはアマリアが手を前で組んで佇んでいた。
気のせいか、その態度はどこかしおらしい。
光の精霊にはわずかながら傷を回復する力を持つ種族もいるので治癒を任せたのだ。焼石に水だったとしても、やらないよりは良い。
「お疲れ様です。じゃあ、一旦撤退ですね。妖精の森に戻って本格的な治療をしないと治るものも治らない。後は妖精王陛下には伝令を出さないといけませんね」
精霊樹の雫を使用した時の回復力は非常に強い。
数こそ少ないらしいが、それを使えば再び戦える者も出てくるだろう。
セレンの判断で使うことは出来る訳ではないため、ハイエルフのお偉方がどうするかは分からないが。
「では無事だった者に怪我人を運ばせましょう」
セレンはアマリアと共に怪我人が集められている場所へ歩き出した。
「でもあの人数を運ぶのは大変ですね。時間もかかりますし……」
「精霊術で風精霊に働きかけますわ。それで歩けない者を浮かせて運びます」
「精霊術って本当に便利ですね。ハイエルフにしか使えないんですか?」
「恐らく、精霊言語を操れる者なら扱えると思いますわ。でも人間が使っているところを見たことはないですわね」
セレンは、自分も何か術を使えないものかとふと考えたがそんな都合の良い力がある訳がないと、その考えを否定した。
天力を使えば、元素を使った何らかの現象を起こすことも可能かも知れない。
天力ではないが、聖剣技には様々な属性が付与された技が多い。
大勢の怪我人が寝かされている横で、アマリアは精霊術士たちに指示を出し始めた。特に精霊力が強い術士に怪我人が少なかったのは不幸中の幸いであった。
そんなところへガリレアが数名の剣士を引き連れてやって来た。
彼は開口一番で言った。
「よしッ! 治療は大体終わったな。では陛下の下へ馳せ参じるぞッ!」
場の空気が重い物に変わる。
「ガリレアさん、これだけの損害ですし怪我人を治療するためにも撤退するのがいいのでは?」
「何をヌルいことを言っているのだ? 陛下の部隊は今も前線の砦を攻めているはず。それに駆け付けずしてどうすると言うのだッ!」
「もちろん、後詰としていくらかの戦力は出す必要があると思います。敵にも援軍があると思いますし陛下を孤立させる訳にはいかない」
「そうだろう。ならばグズグズしている暇などない。準備に掛かれッ!」
セレンは妖精王を見守るためにニルファーガの霊魂を憑依させ、彼の天力能力〈悪魔の瞳〉を発動させていた。
これは対象を俯瞰して常に監視を行う能力なのだ。セレンは戦いながらも妖精王たちの様子も確認していたのである。
リザードマンの奇襲により、クロムの霊魂に切り替えたせいでニルファーガの能力は解除されたが、妖精王の部隊の戦況は途中までは追っていたのだ。
彼らが攻めていたのは、取り戻すべき清浄なる泉に最も近いオーク側の砦であり、その規模は先程セレンたちが落とした砦よりも大きかったものの、妖精王を筆頭に果敢にも攻め掛かり戦況は圧倒的に有利だった。
セレンが見ていた状況のことを思い出していると、アマリアが疑問を口にした。
「怪我人はどうすると言うのかしら?」
「怪我人は置いて行く。自力で妖精の森まで帰還するがよかろう」
「そんなッ!? 同胞を見捨てると言うの!?」
「見捨てるとは言っていない。ただ我々は妖精王陛下の剣なのだ。今行かずしていつ行くと言うのだ?」
事前の打ち合わせでは、清浄なる泉の最寄りの砦を奪い、これを橋頭堡とする予定であった。
オークの本拠地から援軍が出てくることは火を見るより明らかだと思われるのに、妖精王は速やかに陥落させると豪語していた。
その自信がどこから来るのかセレンには分からなかったが、妖精王が虚勢を張るような人物ではないことは確かだとも感じていた。
「これ以上、仲間が死ぬのを黙って見ている訳にはいかないわ! 一刻も早く怪我人を運ぶ必要があるのが分からないのッ!?」
「ガリレアさん、ただでさえ兵力で劣るハイエルフがこれ以上兵を失ってどうすると言うんですか? 今回の大損害で非戦派が勢いづいたら戦どころではなくなりますよ? 後詰に向かうのはガリレアさんと怪我のない剣士団のみで行くべきでは?」
「よそ者がごちゃごちゃと抜かすなッ!」
兵士たちの視線が3人に突き刺さっている。
指揮官級の3人が衆人環視の中で揉めに揉めているのだ。
その心中や如何ばかりか。
その時、険悪な雰囲気が漂う3人の下に1人のハイエルフが駆け込んできた。
それは妖精王の部隊からの伝令であった。
彼は少し息を整えてから口を開いた。
その顔は喜色に染まっている。
「申し上げます! 妖精王陛下は敵軍のスリナ砦を落して無事、帰還中であります」
「な、何ッ!? それはめでたいが……砦はどうなされたのだ?」
「陛下はリンスキー様に兵三○○を与えて砦の守備を任されました」
「リンスキーだと? あいつに最前線の砦を守り切れるはずがないッ!」
「はッ! つきましては貴殿の部隊から戦える者を送るようにとの仰せであります。また、セレン様、ガリレア様、アマリア様は直ちに妖精の森に戻るようにとのこと!」
「クッ!」
伝令の言葉は妖精王の言葉。
ガリレアは朗報であるにも関わらず喜ぶに喜べないようだ。
妖精王はセレンとガリレア、そしてアマリアの仲がこじれると考えていたのだろう。分かっていて組ませる辺り、性格が悪いなとセレンは思ったが同時に面白い人物だとも思わされた。
「良かったですね! セレン様! すぐに妖精の森に戻りましょう!」
「ひとまず作戦が成功して良かったです。これで非戦派の説得も進むかも知れませんね」
最初に会った時からすっかり変わってしまったアマリアの態度に、セレンも悪い気はしない。殺されるところを救われたのだからアマリアの態度が軟化したのは普通のことである。もっとも、助けた相手がガリレアであったならそうはならなかっただろうが。
流石にこれは妖精王も予想していなかっただろうなと考えながらセレンは帰還の準備を始めた。




