第66話 モンステッラの憂鬱
ジオナンド帝國の伯爵モンステッラ・ド・ラムダークは多忙に追われていた。
クロムが追放処分を受けた4年前は子爵だった彼は今や伯爵の地位へと陞爵していた。
ここレイラーク王国北端の都市ノースデンの中枢を抑えはしたものの、戦争で民の心までは掴めない。彼は影響力のある街の有力者や大商会の人間と会って協力を要請する日々が続いていた。同時に真偽、大小を問わず様々な情報をかき集めているところだ。
疲労が溜まっていたモンステッラは、執務室の椅子に思い切り寄りかかって体を預ける。
「ふーーー。やはり騎士として戦いに専念していた時の方が気が楽だ」
腕利きの職人が製作したのか、椅子の座り心地だけは抜群だ。
副官を始めとした事務方の面々は、今食事へ行っている。
誰もいない執務室で少しばかり気を抜いても咎める者などいないだろう。
モンステッラは室内を見渡す。
汚れのない白壁には神話をモチーフにしたような絵画が掛けられている。
描かれているのは神と竜、そして人間の姿である。
人間たちは強大なる者に翻弄されているのか、平伏す者、逃げ出す者、形容し難い表情をする者など様々だ。
書類などを保管しておく棚やその上に置かれている調度品の出来も良い。
街自体が余程潤っていたのか、それともノースデンの代官が贅を尽くしていたのか、恐らくは両方だろう。
ノースデンで日々採掘されるミスリルの量は、モンステッラが聞かされていたよりも遥かに多いものだった。
嬉しい誤算に、本国に良い報告ができると喜んでいたものの、ミスリル鉱山の採掘の実態を知るにつれて、素直に喜べるものではないと彼は理解した。
労働環境は最悪であり、子供を含めた奴隷たちが日々長時間に渡って採掘を強いられている。また、ノースデン攻略戦でかなりの区画が燃え尽きてしまったが、街には大規模なスラムも存在している。
正義感の強いモンステッラとしては見過ごすことなどできないところだ。
「セレンはクロム様とテルル様が亡くなってからどうやって生き延びてきたんだろうな……」
報告ではセレンは既にノースデンから出て行ったと言う。
今頃は南にある都市ミッドフェル辺りに向かっているところだろう。
ラディウス聖教国に向かうにはレイラーク王国領をひたすら南下すればよい。
モンステッラが目を閉じて物思いに耽っていると、扉の開く音がした。
椅子に深く寄りかかったまま、目を開くと副官のゴルザスと事務方の者たちが戻って来たところであった。
「閣下、お疲れのようですな」
部下が戻って来たにも関わらず態度を改めないモンステッラを見てゴルザスが近づいてくる。
相変わらず表情が読めない男である。
「ああ、俺には向かん。貴様に変わってもらいたいところだよ」
「ご冗談を……。閣下は今や帝國になくてはならない存在です」
「ふッ……。無実の罪で追放された師匠とその家族すら救えない俺がか?」
「あれは誰にも止めようのなかった陰謀だと愚考します」
ゴルザスは常に冷静沈着で、自分の感情を露わにしない。
それに彼がセレンに対して取った態度から考えると、モンステッラは今の言葉が空耳ではないかと疑ってしまう。
「ッ!? 貴様にしては大胆な発言をするものだ。驚いたぞ」
「失言でした。お忘れください。ですが……私には裏で何か大きなことが動いているように思えるのです」
「ああ、そうしよう。俺も慎重に動かねばな……」
幸い、事務方の者たちには聞こえていなかったようで、彼らは黙々と仕事を再開している。その時、執務室の扉がノックされる。
「入れッ!」
モンステッラの言葉に応じて入室して来たのは黒狼騎士団の第3部隊長であるミリアス・パルスザンであった。
黒狼騎士団とはモンステッラの兵、つまりラムダーグ家の騎士団である。
ジオナンド帝國の皇帝直属である北斗騎士団とは違う。
ノースデン攻略は北斗騎士団と黒狼騎士団の共同作戦だったのだ。
ミリアスはモンステッラのデスクの前まで来ると敬礼し、報告を始めた。
「申し上げます。ノースデンの南に広がるリングネイトの森周辺にてハイエルフとオークが度々武力衝突を起こしているようです」
「ハイエルフが? オークと? ……まぁお互いに憎悪の対象らしいからな」
「あの森にはハイエルフが多く棲むと言います。流れて来たオークが元々棲んでいたハイエルフと諍いを起こしたと言ったところでしょうか」
「帝國内にも仕えているハイエルフは多いからな。場合によってはハイエルフ側に加勢すべきかも知れん」
「魔物の国家など創られては厄介ですからな」
ゴルザスと一言二言話し合ったモンステッラは直立不動のミリアスに指示をだした。
「パルスザン、ご苦労だった。その件を含めて情報収集を続けろ。情報は逐一報告してくれ」
「はッ!」
ミリアスは元気良く返事すると、回れ右をしてさっさと退室していった。
「オークか……。セレンは巻き込まれてないだろうな……?」
魔物は滅ぼすべしと息巻いていた小さな頃のセレンを思い出して、モンステッラはノースデンから出て行った彼の心配をするのであった。




