第20話 覚醒
テルルが辛そうにセレンに向けて話し始めた。
その眼差しは真剣で、表情には鬼気迫るものが感じられた。
いつもの柔和に微笑んでいる印象が強いテルルからは想像もつかない表情である。
「セ、セレン……。よ、よくお聞きなさい。ゴホッ! あ、貴方の、ス、スキルを使う刻が来たのです」
「スキル……? 母様、【憑依】スキルのことですか?」
「そ、その通りです。能、能力に、か、覚醒することが出来れば、あ、貴方はもっと強くなれる……ゴホッゴホッ!」
セレンは思い出す。
聖地アハトのガリランド神殿でクロムに言われたことを。
セレンが持つ【憑依】と言う固有スキルのことを。
「あ、貴方は天力が解放、さ、されています……。【憑依】スキルを基にして天力能力を覚醒させることができれば、その身に、け、稀有な力を宿すでしょう」
【憑依】スキルを使うと、セレンは対象の力を自らに憑依させてその力を振るうことができるようになる。
聖地アハトにいる間、クロムを対象にして【憑依】スキルを試したことがあったことと、頭に浮かんだスキルの効果を確認済みであったため、そう言うスキルだとセレン自身がよく理解している。
だが、クロムも言っていたようにスキルを基に天力能力を授かると言う感覚が分からない。能力が天から授かるものなのであれば、そこにセレンの力が介入する余地はないはずである。
「しかし母様……天力能力とは天から授かるものではないのですか? 僕がどうこうできるものなのでしょうか……?」
「た、確かに……そ、その通りです。ですが、あ、貴方の天力は、し、修行により洗練され練り上げられています。ゴホッ! か、覚醒は精神性に大きく左右されます。い、今が、そ、その好機なのです。せ、世界に身を委ねるのです……」
「好機……身を委ねる……」
「あ、貴方は条件を、み、み、満たしているはず……。し、使用してみ、みなさい……。ゴホッゴホッ!」
「母様、そう言われましても感覚が分かりません……」
「し、集中しなさい……。せ、世界に語りかけるのです。ゴホッ! そう、そ、そうすれば世界の理の力が応えてくれるでしょう」
セレンは父を寝かせたベッドに腰かけると、【憑依】スキルを発動する。
憑依対象は死者であるクロムである。
当然、スキルを使ってもクロムの力がセレンに乗り移る感覚はない。
セレンはとにかくテルルに言われた通り、心の中でひたすら祈ってみた。
と言ってもクロムの突然の死を受け止めきれず、セレンの精神はボロボロである。心にポッカリと空いた穴に冷たい風が吹き抜けているような気がして、セレンは空虚な感覚に陥っていた。
全くもって手探りの状態である。世界に語りかけると言う感覚が理解できなかったからだ。それでもセレンは黙々と続けた。尊敬する母が言うのだから何かが起こるはずだと信じて。
しばらく瞑想を続けていると、セレンは心に何かストンと落ちるような感覚に襲われた。何かが囁いている。セレンの精神に何かが鮮明に浮かび上がってくる。
「母様! 何かが聞こえたような気がします!」
「そ、そうですか……。ゴホッゴホッ! そ、それを口にするのです。ゴホッゴホッ! そう、そうすればそれが、せ、世界の言葉となり、い、意味を為して貴方は覚醒できる……天力能力を授かるはずです……」
テルルがそう促すので、未だ曖昧な『何か』を形にしようと試みる。
もやもやしたものが明確になっていく中、セレンはそれを言葉にした。
心に浮かんだその言葉を。
〈堕ちた幻影〉
その瞬間、セレンの頭の中に能力の情報が怒涛の勢いで流れ込んできた。
そして悟った。天力能力の名前から発動条件、発動した場合、セレンにできることなど様々なことが。
セレンが得た力はスキルを進化させたようなものであった。
【憑依】スキルは単に対象に選んだ生物の力を借りるものであったが、〈堕ちた幻影〉は取り込んだ者の霊魂――死者を自らに降ろすことで、その者の技術や才能、そして記憶までもが継承できるようだ。
霊魂を降ろしたまま戦闘などの経験を積むことで、その霊魂の持ち主であった者のスキルや技、術なども習得できる。
ただし、技術に体がついてこれない場合もあるので気を付ける必要がある。
対象の人物を憑依リストに加えるには幾つかの条件があるらしい。
一つ、その人物の天力能力、または剣技やスキルなどを見ること。
一つ、その人物と戦った経験があること。
一つ、その人物の死体があること。
一つ、……
セレンがふと両手を見ると、まるで漆黒のオーラのようなものに包まれていた。
もちろん、その意味も既に知っている。
セレンは迷わずベッドで物言わぬ死人と成り果てたクロムの体にそっと手を置く。
すると、クロムの遺体を闇のように黒い粘体のようなオーラが包み込み始める。
やがてクロムの前身を覆い隠すと、その体が忽然と消失し、代わりに正八面体のクリスタルのようなものが出現した。それは透き通った水のような色をしており、室内のわずかな灯りに照らされて鈍い輝きを放っている。
セレンは迷わずそれに触れた。
その瞬間、クリスタルはまるで手から吸収されたかのように消滅し、セレンの脳内に憑依可能な人物の名前として浮かび上がる。
同時にセレンの心は温かい何かで満たされていく。
初めて天力能力を使ってクリスタルを取り込んだので、当然だが現在はクロム1人だけだ。
「母様、天力能力について理解できましたよ!」
セレンは次々に起こる未体験の現象に興奮していた。
大好きだった父クロムを埋葬して弔ってあげる訳にはいかなかったが、彼の霊魂とも呼ぶべきものを自らの内に取り込んだのだ。
そのお陰だろう。
クロムが死を告げられた時の絶望感は霧散して、今まで心を支配していた喪失感や虚無感はすっかりと消失していた。
「これで、僕と父様はいつも一緒です! 」
「ふふふ……。そ、そうね。きっと、ク、クロム様がセレンを護ってくれますよ。ゴホッゴホッ!」
テルルの顔は穏やかなものに変わっていた。
セレンにはそれが、故郷であるスタークス領で過ごした温かな日々で見た母の顔だと気づいて知らぬ内に笑顔になる。
「ふう……。セ、セレン、わ、私は疲れました。ゴホッゴホッゴホッ! も、もう休もうと思います」
「はい、母様。おやすみなさい。これからは僕が母様を護ります!」
「ふふッ……頼もしいこと。ゴホッゴホッ! セレン……たくましく生きるのですよ」
「……? はい。それではおやすみなさい」
セレンはテルルが横になるのを手伝うと、自分も早く寝ようとベッドに入った。
ショックはあるが、クロムの魂が自分の中でまだ息づいているのだと考えるとセレンは何とかやっていける気がした。
クロムの無念は晴らせなかったが、必ずテルルを故郷へ連れ帰るんだ!と心に誓ってセレンは眠りに落ちた。
翌朝、採光のための小窓から差し込む光で目が覚めたセレンは、テルルを起こさないようにベッドから起き出すと顔を洗う。
ノースデンは上水道が整備されており、多くの家に水が直接引かれている。
しかし、度重なる無計画な都市の拡張によってスラムを中心に水道がない家もまた多いのだ。そのような家庭では、井戸に頼らざるを得ない。
セレンは、土間で理術を使って火を点火し、少し残っていた野菜スープを鍋で温めると、それとパンで朝食を済ませた。
そして椅子に腰を下ろして、これからのことを思案する。
「僕は11歳だから、とにかく探求者の仮登録をしよう。そして狩りでお金を稼ぐんだ」
クロムは土に還らずにクリスタルとなり、セレンに継承された。
今、この家にあるのはクロムの愛剣と探求者稼業で使っていたナイフや弓矢、昔の真の探求者タグ、ノースデンで新たに作った探求者タグ、そしてマントなどの衣類くらいである。
セレンが思案の海に身を任せていると、外から鐘の音が聞こえてきた。
鐘の音は7つ。時計が普及しつつある現在でも時刻を知らせる手段として活用されているので、時計を持たないセレンにはありがたいところだ。
テルルは、ここのところ目を覚ます時間が遅くなってきているので、彼女用に朝食の準備をするのはもうしばらく後にしようとセレンは考えて外へ出た。
家の前で大剣の素振りをして、1度頭を空にしようと思ったのである。
ここのところずっとクロムから稽古をつけてもらっていなかったが、素振りや型、足捌きや体捌きは1人で反復練習してきた。
もちろん、瞑想も続けている。
セレンは黙々と今日もそれを繰り返した。
何も考えず、心に波を立てずにただただ日課をこなしていると、鐘が8つ鳴り響いた。
セレンは時間の経過の速さに驚いた。どうやらいつも以上に集中していたようだ。一汗かいたセレンは、大剣をベッドに立てかけると土間に向かって再びスープを温め始めた。そして汗を水で濡らした古着で拭って体を清めると、テルルを起こしに向かう。
「母様、母様、朝ですよ。朝食にしましょう」
そう言いながらテルルの体を優しく揺らすセレン。
それを何度も繰り返すが、いつもならすぐ目を開くはずの母親は何も反応を示すことはなかった。
「母様! ……母様ッ!?」
セレンは何だか嫌な予感がしてテルルの頬に手を当てた。
何故か体温が感じられないような気がした。
セレンは少し焦った様子でテルルの首元へ手を当て、その顔を窺う。
しかし薄暗いこの部屋ではその顔色を窺い知ることはできない。
その後も体を揺すったり、頭を撫でてみたり、上半身を起こそうとしてみたりと様々なことを試してみたが全て無駄に終わった。
セレンは、予感が当たったことを察した。
何故?と言う思いと同時に、やっぱりかと言う思いがセレンの胸に去来する。
〈堕ちた幻影〉
セレンは昨日、使い方を覚えたばかりの天力能力を使用する。
発動するのに少し戸惑ったものの、何とか発動すると漆黒のオーラをまとった左手でそっとテルルの頬に触れた。その体をセレンのオーラが包み込んだかと思うと、一瞬にしてクリスタルへと変化したのだ。
この能力で対象者を取り込むための条件の1つは死者であることだ。
つまり、クリスタルへ変わったと言うことはそう言うことなのだ。
セレンは天を仰いだ。
そこにはしみったれた古い天井が見えるのみ。
流石に僅か半日足らずで両親を相次いで亡くしたと言う現実にセレンの心は耐えきれなかった。
「母様! 母様! 母様ぁぁぁ! うわあああああああああ!」
セレンは少しだけ温もりの残る母親のベッドに顔を伏せて泣いた。
その隣では光輝く黄金色のクリスタルが眩い輝きを放っている。
室内にセレンの嗚咽が響く中、無機質なクリスタルがふよふよとベッドの上で浮かんでいた。




