表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

魔法召しませ

冬の谷間

作者: 黒森 冬炎

 吹雪の夜のことでした。

 セリョージャは、小さな体を雪まみれにして、必死に歩いておりました。

 周りは渦巻く雪ばかり。叩きつけられる雪片に、目を開けることすら出来ません。

 手袋は雪に濡れて湿り、靴に入り込んだ雪が溶けて重くなってしまいます。このままでは、体温で溶けた雪のせいで、凍傷になることでしょう。


 よく晴れて輝く冬の森へ、少し散歩に出ただけでしたのに。セリョージャは、もう、自分が何処に居て、何処へと向かっているのか、まるで解らなくなっています。


 それでもセリョージャは、必死で雪を漕いで進みます。歯を食い縛り、殆んど瞑った瞼の隙間から前を見て。吹雪く風の音しか聞こえない周囲に、必死で耳をすませます。



 その気持ちが通じたのでしょうか。

 それとも幻聴だったのでしょうか。

 吹雪に混じって、澄んだ泉のように清涼な歌声が聞こえて来ました。雪原は輝き、暖炉は歌う。そんな楽しい冬の情景を、美しい声が描き出します。


 セリョージャは、不思議と力が沸いてくるのを感じました。

 さっきまでは、鼻が痛くて足が凍って、辛くて悲しくて、たまらなかったのに。

 心なしか、湿った衣服が乾いてきたようにも思われました。

 やっぱり周囲は真っ白に雪と氷が渦巻き、酷く哀しげな風の唸りが取り囲む。


 セリョージャは、重たい脚をぎこちなく動かしながら、我知らず、澄んだ声にハミングを合わせます。すると、ただ聞いていただけよりも、もっと暖かになってきました。

 不思議に思いながらも、セリョージャは、歌の聞こえてくる方へと進んで行きました。



 その小屋は、雪に閉ざされた寂しい谷の、崖と大樹に守られておりました。ぽつんと一軒、嵐の冬に建っていました。

 ピタリと閉じた鎧戸からは、橙色の暖かな光が漏れています。

 白しかなかった視界に、オレンジ色の縞模様が現れたのです。セリョージャはどんなにか、ほっとしたことでしょう。


 そして、何よりもその扉の向こうから、あの澄んだ美しい歌声が響いて来るのでした。

 歌は、高く低く、軽やかに冬の空気を震わせます。

 セリョージャは、ハミングを続けながら、固まった腕を必死に動かして、扉を叩きました。


 黒々と夜に沈んだ重たい扉に、微かな音しか立てられません。

 小屋の中には、何人いるのでしょうか。どんな人々なのでしょう。煌めく歌は、休みなく続いておりました。



 セリョージャは、ハミングをしてはおりますが、口を開けることが出来ません。酷い吹雪のせいです。かじかんだ手を凍った扉に打ち付けるのは、痛くて顔が歪んでしまいました。

 それでも、部屋の中の暖かそうな明かりに望みをかけて、セリョージャは小屋の扉を叩きます。


 ふと、歌が止みました。セリョージャは、扉を叩く拳に力を込めました。

 セリョージャが諦めそうになって、拳の力が抜けたとき、がちゃりと鍵を外す音が聞こえました。

 そっと開かれた扉の隙間から、茶色く優しそうな瞳が覗きました。


「まあ」


 茶色の瞳をした女性が、小さな叫びをあげました。それから、急いで扉を開けました。セリョージャが通れる、少しだけ。

 強く、乱暴なくらいに素早く、セリョージャは小屋に引き込まれました。


 小屋の奥には、煉瓦作りの小さな暖炉が見えました。パチパチと火の粉を舞わせて、薪が頼もしく燃えております。

 女性に連れられて、セリョージャは温かなお湯につけられました。それから、そっと服を剥がれ、大きくて清潔なタオルにくるまれました。


 乾いてふわふわの服を着せられ、暖炉の前に座らされます。女性のシャツらしきその服は、地肌に着ても柔らかく、よい香りがしました。

 女性は、軽く暖めたミルクに、たっぷりの蜂蜜を入れてくれました。にっこり笑う茶色の瞳は、栗色の睫毛に縁取られ、暖炉の赤を映して輝いておりました。



 春になり、セリョージャは、少し大きくなりました。

 嵐が去るまでの10日間、世話になった女性の家へ、沢山の肉や果物を積んだ荷馬車に乗って急ぎます。

 今日は、お父さんと、お母さんと、妹も一緒でした。


 あの日の歌は、もう季節外れですが、歌えば心が暖まります。

 谷へと続く森の空には、セリョージャに合わせて囀ずる小鳥たちが、あの素敵な小屋へと案内してくれているようでした。

お読みくださりありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 描写が細やかですね。脳裏に浮かんだ映像が、細部に渡って再現されました。温度、質感、風の音や冷たさも。 [一言] 作家というより、描写職人って感じがしました。←ふざけてませんよー。 セリ…
[良い点] とにかくまずは文章、特に描写の美しさにとても感動しました(^^♪ その丁寧で美しい描写で、心の優しさ、セリョージャと女性との交流が描かれるので、まるで連続して描かれた絵画を美術館で鑑賞して…
[良い点] ブレンダンくんに引き続き、セリョージャくんも読ませていただきました。小さい男の子の描写が、やはりとてもかわいいです。 雪の中を歩く様子や迎え入れてもらえたときの様子が、目に浮かぶようでした…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ