37 愛の重さ
莫大なるダイヤモンドと、世界の支配者ともいえる地位。
それに対するは、ただひとりの紳士……!
見た目だけでは、何度目をこすって見直してみたところで、釣り合うものとは思えない。
しかし紳士のいる右側の秤には、目には見えないものの、確かに存在していたのだ。
『愛』という重さが……!
その愛は、溶けた飴のようにグニャグニャに歪んでいたが、確かに持っていた。
少女の初恋という、『重さ』と『甘さ』を……!
ゴッドフォーチュンは生まれ持った『未来を見通す力』で、幼少の頃から両親すらも従えさせてきた。
「あの子が言ったことは現実になる」と彼女は怖れられ、手を上げられるどころか悪口を言われたことすらなかった。
誰もが彼女を畏怖し、神のように崇めてたてまつる。
……少女は、孤独であった。
そのことにすら気付かないほどに、彼女は生まれたときからひとりぼっちであった。
しかし、少女は初めて知る。
それは、9歳の時。
最年少で聖偉となった少女のもとに、大臣たちがお祝いに詰めかけていた。
少女よりも二回り以上、中には三回りも四回りも歳上の者たちが、地面に頭をこすりつけて平伏し、ご機嫌を取ってくる。
しかし、最後の最後にやってきた、ある男だけは違っていた。
土下座どころか膝を折ることもせず、こう言ってのけたのだ。
「あなたが視ている未来というのは、決定した事項ではない。
その対象者が積み重ねた行動から導き出された結果が、視えているだけに過ぎないのだ。
対象者が行動を変えれば、未来はまた変わっていく」
それは見ず知らずのオッサンからの言葉であったが、雷鳴のようなインパクトがあった。
少女はしばらくの間、初めて頬を張り飛ばされたかのように呆然としていたが、強気を取り戻すと、
「だからなんだというのじゃ!?
わらわのスキルが絶大であることには変わりなかろう!
わらわは偉大なる聖偉であるぞ! ひかえなければ、そなたは地獄に堕ちるであろう!」
しかし紳士は永久凍土の氷柱のように、冷然とそびえたままだった。
「あなたのスキルは確かに絶大だ。
だが聖偉とう立場についた以上、あなたのすべきことは、その力で人々を恐怖で支配することではない。
明るい未来があることに気付かせ、導いてしんぜることだとわたくしは思う。
ただそれを判断し、どのように国を導いていくかはあなた次第。
調律師であるわたくしは、自分にできることをするまでだ」
紳士は言い終えると、玉座の少女にずいと近づく。
懐から、刃物のように光る銀色のエモノを取り出しながら。
「わ……わらわに近寄るでない、無礼者っ! なにをするつもりじゃ!?」
「スキルの調律だ」
紳士それだけ告げ、少女の胸の前に手をかざす。
そして、鳴らした。
……ポーン!
その瞬間、少女の全身に、激しくも甘い痺れが駆け巡る。
「あっ……ああああああああああーーーーーーーーーーっ!?!?」
「じっとして」と告げるその言葉に、枷を嵌められたように動けなくなる。
少女は玉座の肘掛けをギュッと掴み、のけぞらせた身体を硬直させた。
どこかに飛ばされてしまいそうになるのを、必死にこらえるように。
頭の中はすでに白く飛んでいて、紗のかかった視界の向こうには、ひとりの紳士の顔だけがあった。
気がつくと、少女はぐったりと玉座に身体を預けていた。
紳士はすでにいなくなっている。
荒い呼吸を繰り返しながら、少女はつぶやいた。
「な……なんなのじゃ……あの、男は……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……なにも言わないってことはオッケーってことね?
それじゃあ、さっそく『聖約』の準備をしまちょうねぇ~」
不快な猫なで声に、ゴッドフォーチュンはハッと我に返る。
目の前では、ゴッドマザーが聖約用の羊皮紙をウキウキと広げていた。
もはや少女に、迷いはなかった。
「いやじゃ」
「えっ」
「最後のお願いだけは、いやじゃと言ったのじゃ」
それはキッパリとした口調だったが、ゴッドマザーは余裕の笑みを崩さない。
「へぇぇ、やっぱりゴッドフォーチュンちゃんは悪い子だったんでちゅかぁ?
でも、いいんでちゅかぁ? このままあなたのお山がメラメラ~ってなっても」
「窮地に立たされておるのは、そなたも同じであろう」
ゴッドマザーの表情が、わずかに曇る。
「延焼具合は違えど、そなたの『おっぱいや山も燃えておるのだからな。
このまま放置しておけば、わらわの『フォーチュン・マウンテン』と同じで火に包まれるのは時間の問題。
どのみち『メッ殺の炎』の力をゆるめて火勢を弱めるつもりであったのだろう?
だがその前に、わらわからシュタイマンを奪うつもりであったのだろうが、アテが外れたな」
「ゴッドフォーチュンちゃんの山のほうが先に燃え尽きるでしょう!?
そしたら、火勢を弱めて……!」
「そんなことはさせぬ。その前にわらわが『運命の旋風』の力を強めて、延焼を早めるのだからな」
ハッ!? と水晶玉を見やるゴッドマザー。
そこには今まで以上の突風が吹き荒れていて、『おっぱい山』を囲む炎はさらに猛り狂っていた。
水晶玉に映り込んだ顔が急変する。
「やっ、やめてぇぇぇぇぇぇ! 風をとめてぇぇぇぇぇぇ! ママのおっぱいを焼かないでぇぇぇぇぇーーーーーーーーーっ!!」
「風を止めてほしければ、わらわと聖約を交わすのだ!」
聖約の内容については一切語られなかったが、もはやその必要もなかった。
ママは幼い子供のように、涙顔をブンブンと左右に振り回す。
「い……いやっ! いやいやいやっ、いやあああっ!
シュタイマンちゃんを手放すだなんて、絶対にいやあっ!
シュタイマンちゃんがいれば、ママ、他の子なんていらない!
ママはシュタイマンちゃんのママになれれば、それでいいんだからぁっ!
そうじゃなきゃ、イヤなんだから、イヤなんだからぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」
我を忘れ、駄々っ子のように泣き喚くゴッドマザー。
なんとふたりの少女は、たったひとりの紳士のために、それまで積み上げてきたものすべてを投げ打つ覚悟をしてしまったのだ。
もはや両者、がっぷり四つ。
崖っぷち以外はすべて崖下転落という、死のチキンレースに突入する。
先に折れたほうが、負け……!




