22 ノーフが来た
時は少しだけ戻る。
ヘルボトムウエストのオールドホームの里。
ガタヤスをはじめとする農夫たちの農耕スキルと、シュタイマンの調律によって、彼らはサツマイモという新しい食料源を得ていた。
このヘルボトムにおいて農業をする者はひとりもいない。
なぜならば、収穫期になるとすべて奪われてしまうからだ。
しかしこの誰もこない山奥ならばその心配もない。
干し肉と草だけだった山小屋の食卓に、サツマイモが加わっただけでもかなり豊かとなる。
そんなある日、山小屋に小さな客がやって来た。
麦わら帽子のそのシルエットだけで、シュタイマンはすぐにそれが誰かを理解する。
「キミは、ノーフ君……?」
滅多なことでは驚かないシュタイマンも、この時ばかりは眉を少しだけではあるが吊り上げていた。
麦わら帽子を取った少女は、ずっと代わらない純朴な赤ら顔をポッと染め、頭をぺこりと下げる。
「ご無沙汰しておりますだ、シュタイマン様。
帝国の兵士さんからここにいると聞いて、尋ねて来ましただ」
尋ねてくるといっても、普通の引越し先とは違う。
こんな幼い少女では、国境の検問を越えることもできないだろう。
となると、彼女がここにいる理由はただひとつ。
「まさかとは思うが、ノーフ君、キミも……?」
「はい。ゴッドファーマー様のお怒りに触れて、追放されてしまいましだ」
そう。少女はゴッドファーマーから追放を言い渡されたあと、生まれ育った農村を出た。
最初は行くあてもなくさまよっていたのだが、彼女は決意する。
……初恋の人に……。
いや、いまでも大好きな人に、会いに行こう、と……!
ヘルボトム領は物騒であったが、麦わら帽子をかぶった彼女は田舎少年にしか見えなかった。
そのおかげで変な輩に絡まれることもなく、オールドホームの里までたどり着くことができたのだ。
さっそく、その他大勢の者たちがわらわらと寄ってくる。
「おいおい、なんだこのおチビちゃんは。
汚れちまったこの場所には似合わねぇな、帝国から来たばかりなのか?
この俺にはまぶしすぎるぜ」
「はじめまして、わたしはドロップティアーと申します。ティアと呼んでくださいね。
ここには女の子がわたししかいなかったから、とっても嬉しいです!」
「俺はガタヤスだ。お前、農家の人間か? 身体つきを見りゃわかるよ。
居候の俺が言うのもなんだが、のんびりしていきな」
自分よりも背の高い少年少女、そして山賊のような男たちに囲まれて少女は硬直する。
ヘルボトム領は『この世の地獄』と聞かされていたのに、天国のような歓迎っぷりだった。
「お……オラは、ここにいても、いいだか……?」
おずおずと尋ねる彼女に、シュタイマンは頷く。
「無論だ。わたくしが帝国にいた頃、キミはわたくしに良くしてくれた。
その恩に、今度はわたくしが応える番だ。
だから好きなだけここにいてくれて構わない」
「あ……ありがとうございますだ、シュタイマン様!
一生懸命、お尽しさせていただきますだ!」
「いや、キミは小作人でも、ましてや使用人などでもない。
我々の仲間となったのだ。
そしてわたくしはもう帝国に仕える身ではないのだから、『様』は不要だ」
「そんな、とんでもねぇだ!
オラにとってはシュタイマン様は帝王様よりも尊敬できる、立派なお方だ!
シュタイマン様はなにがあってもシュタイマン様ですだ!」
「まあ、呼び方は好きにするがいい。
キミのような優秀な農夫が来てくれたら、ここの野菜ももっと立派に育つであろう」
シュタイマンからそう言われ、ノーフは山小屋のまわりにある畑を見回した。
「わぁ、ここいらは全部畑だか?
この葉っぱの付き方サツマイモはまだ小ぶりのようだが、すくすくと育っているだ!
幸せそうにしているのが、見てわかるだ!」
「おいおいカントリーガール、野菜が幸福とか不幸なんて感じるのかよ。
それじゃ生き物とおんなじじゃねぇか」
「んだ! 野菜はみんな生きてるだ!
嬉しいときには笑うし、悲しいときには泣くだ!
だから愛情を持って育てれば、おおきくなって、おいしくなってくれるだ!」
ノーフは幼稚園の先生にでもなったかのように、畑を巡ってサツマイモたちを見て回っている。
彼女はいちいちしゃがみこんで、やさしく葉っぱを撫でながら囁きかけていた。
「……大きくなぁれ、元気になあれ、美味しくなぁれ。大きくなぁれ、元気になあれ、美味しくなぁれ……!」
するとどうだろう。
足元にあったツルがさらに伸び出し、彼女の足に甘えるように巻き付いた。
それだけでなく葉っぱはツヤを増し、埋まっていたサツマイモは「見て見て」といわんばかりに膨れ上がり、地面から顔を出す。
シュタイマンがやった、作物の成長スキルを促す調律を、さらに上回るほどの急成長っぷりであった。
見ていた者たちは「すげ……」と唖然とする。
その中で唯一見慣れていたシュタイマンが、皆に向かって言った。
「あれが彼女の固有スキル、『作物の成長促進』だ。
『成長促進』系のスキルはどれも、使いこなすのが非常に難しい。
ほとんどが見た目を大きくするだけで、味を悪くしてしまうのだ。
しかし彼女は野菜への愛情があるのであろう。
成長を促しながらも、味も最大限に引き出すという理想的なスキルの使い手なのだ」
ガタヤスがぼそりとつぶやく。
「ほ、本当かよ……!? 『作物の成長促進』スキルっていやぁ、上級スキルだ。
しかもここまで使いこなせるとしたら、聖偉だって夢じゃねぇはずなのに……!?」
「聖偉になるためには上級スキルに加え、権力者に媚びることもしなくてはならない。
『高貴野菜』と呼ばれる権力者たちに喜ばれる野菜のみを育て、手柄をアピールしなくてはならない。
彼女はそんなことよりも、多くの人間に美味しい野菜を食べてもらう道を選んだのだ」
サツマイモたちをひととり撫で終えたノーフは、シュタイマンの元にぱたぱたと戻ってくる。
背負っていたリュックから、小さな布袋をいくつも取り出す。
「村を出てくるときに、みんなが持たせてくれただ!
この子たちを、この畑に植えてもいいだか?」
少女の小さな手にこぼれたそれは、この地の者たちにとっては宝石といってもいいものであった。
ガタヤスたちが真っ先に食いつく。
「おおっ!? 野菜の種じゃねぇか!
タマネギにニンジンにホウレンソウにダイコン……それに、『高貴野菜』のカボチャまであるじゃねぇか!?」
「まあ!? カボチャ、とっても大好きです! ぜひおじさまに、パンプキンパイを作ってさしあげたいです!」
「よぉーし、それじゃシンデレラ! お前は今日からこのオールドホームの『野菜のお姫様』だ!
ガラスの靴はやれねぇが、この手下どもをやるよ!
せいぜいこき使って、うまい野菜をじゃんじゃん育ててくれよな!」
「って、手下って俺たちのことかよ!?
でもこれだけの野菜が育てられるなら、それも悪くねぇな! よろしくな、ノーフ姫!」
「お、オラみたいな田舎娘がお姫様だなんて、そんな……!
で、でも、よろしくお願いしますだ!」
リンゴのように顔を真っ赤にするノーフ。
恥ずかしさのあまり麦わら帽子でパッと顔を覆うと、ドッと笑いが起こった。