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モヤモヤする。

作者: 伊村とうめい

「いつものことだけど、モヤモヤするなあ…」


 ふと、独り言を呟いた。


「どうしたの?」


 それを聞いていたアリスが声を掛けてくる。


「……コレを見てくれ」


 少しの躊躇の後に、私は手にしたタブレットを彼女に見せる。


「なになに…、『開店7周年セールのお知らせ』?? ただの広告メールじゃない」


 確かにアリスの言う通り、そこにはなんの変哲も無い電子書店の広告メールが映し出されているだけだ。

 しかし、そこで企画されているキャンペーンが問題なのだ。

 無言で、ある文字列を指差す。


“犬池篤志、新刊配信フェア 開催中!”


「犬池篤志…?」


 アリスが訝しげな声で不快な名前を読み上げる。


「知り合いなんだ、ソイツ」

「作家の、それもそこそこ有名な人と友達なのを自慢したい、と?」


 不思議そうな顔を作って言う彼女。

 私が浮かない顔をしているのと、有名作家の話が結びつかないようだ。


「その作家さん、仲が悪いとか、ムカつく人だったの?」

「いや、クラスが同じで偶にクラスで流行っていたカード麻雀の面子で出くわすくらいの知り合いというだけだったんだ。なんかの切っ掛けで二人だけになったら少し困るなあ、くらいの距離感」

「ただのクラスメイトじゃん」


 そう、彼はただの高校のクラスメイトでしかなかった。

 たった1回だけ、偶然、帰り道が一緒になったことを除いては。


 まだ覚えている、高校3年生の5月23日の話だ。


「その日は、仲の良かったユージが休みだった、それで私は一人で帰ろうと自転車に乗ると、運の悪いことに後輪がパンクしている。仕方なく自転車を引きながら歩いていると、電車通学で駅まで歩いている犬池と一緒になってしまったんだ」

「よく覚えているね…」


 そう、覚えている。


 高校から駅へと続く道、たしか1kmもなかったはずだ。

 その道で私と犬池は共通の友人であるケンジの話をしていた。グループの中心人物であるケンジの話はそれなりに弾んでいたとは思う。

 駅につけば「それじゃあ」と言い交わして別れるはずだった。


 ところが。


 いつまで経っても駅に着かない。

 見慣れた線路沿いの通学路が終わらないのだ。

 ケンジと最近付き合いはじめたカノジョの話をしていた私と犬池は、その奇妙な現象を最初は無視していた。

 日常が終わっていないと思いたかったのかもしれない。

 それでも、体感的に1時間以上も歩いているのに景色も変わらない、陽も沈まない状況はさすがに無視できなくなっていった。


「なあ…、おかしくない?」


 恐る恐る口に出しす私。


「うん…。オレも言おうと思ってた」


 応える犬池。


「この道、こんなに長くないよね?」

「ああ」

「それに時間経ってなくない?」

「ああ」

「腕時計の秒針が動いてないよ! なんだコレ!」

「ああ…」


 生返事しか返さない犬池。


「おい、オマエも変だぞ!」

「いや、それよりも…、アレ…、なん……だと思う?」


 呆然とした犬池が彼方を指差す。

 彼が言う「アレ」は直ぐにわかった。

 終わらない通学路の先から徐々に近づいてくる「アレ」。

 最初はただの影法師に見えた。

 大きい影法師、距離の関係もあるが2メートルはあるだろうか。

 近づくと影の中が見えてくる。

 影法師の中に浮かぶソレは人間の貌なのだろうか、赫い瞳に白い皺だらけの苦痛に歪んだ貌にも見える。

 それは、得体のしれない「なにか」が人間を装う為に人間の生皮を被っているようにも見えた。


「なん…だろう?」

「良さそうなモノには見えない…よな…?」


 影法師がどんどん近づいてくる。

 私も犬池も動けない。


「縺薙?荳悶?蜈ィ縺ヲ縺ッ縺薙→繧ゅ↑縺」


 声が響く。

 言語とはとても思えないが、獣の咆哮とも違う気持ちの悪い音。


「…釩鞇돦骗꣦膨…蓣膧苣芋…いあ…さん」


 チャンネルを合わせるように、単なる「音」が言葉へと近づいてくる。


「これ…おと…つう」


 徐々に音が言葉として意味をもってくる。

 その度に影法師の貌が人に近くなっていく、魔性が人へと化けていく過程を見ているようだ。

 なんて悍ましい。


「お……ら、ど……、こい」


 未だに発音は不明瞭だが、私ははっきりわかってしまった。

 この化物は私達に言っているのだ「こっちにこい」と。

 思わず私は犬池の方を見る。

 犬池も私を見たところだった。

 視線を交わし、お互いがまだお互いであることを認識する。

 数瞬、どちらも言葉がなかった。


「オレ…、行くわ…」


 犬池はそれだけ言って、足を踏み出す。

 彼がこの時何を考えていたのか、今でもさっぱりわからない。

 私は彼にとってかけがえのない友人というわけでもない。

 それでも彼は私を護るかのように前に出たのだ。


「⁑£€々々々々々々」


 再び、雑音じみた音が聞こえる。

 一時的に私たちに合わせていたナニかが再び理解不能の領域に戻ったようだ。

 凶相の貌が来た道の方向へ振り返り、用は済んだとばかりに去っていく。


 犬池と共に。


 彼はこちらを見なかった。

 力なく、ナニかに付いて行くのみだ。

 私も追いかけるわけでもなく呆然とそこに立ち尽くすのみだったのだ。


「それで、犬池君は行方不明になってしまったんだ…」

「いや、次の日には普通に学校に来てた」

「…」

「怪訝そうな顔になるだろう?」

「これ、怖い話…なの?」


 憮然としてアリスが聞いてくる。


「わからない。その後、私と犬池は仲良くなることも、このことについて話すこともなく学校を卒業したんだ」

「不条理に終わっちゃったね」

「その後、しばらくして彼が本名で作家デビューしているのを発見したわけだ」

「それは気になる」

「そう、気になったから買ってみたんだよ」


 私は机の引き出しから1冊の書籍を取り出す。

 何年も前に購入した、日に焼けてちょっと古びてしまった犬池篤志のデビュー作の単行本を。


「電子書籍派のあなたが紙の本で保管しているのは珍しい」

「中身は普通の推理小説だったよ、けっこう面白かった。でも、問題はそこじゃない、カバーそでにあるこれだ」


 私が指さしたところには「著者近影」という文字が刷り込まれている。

 普通に作家の顔写真が入っていることもあれば、飼っている犬や風景やイラストなどが入っているのが慣例となっているスペースだ。

 作家・犬池篤志はそこにいつも決まった写真を載せている。


 著者近影のスペースには、あの人ならざる不吉な影法師の貌の画像が静かに写っているだけだった。


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