第96話:芽吹き
智香子とベネッタが世界に飲み込まれたのを見て、カロラスは膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐えた。
弱さを見せないようにと王族としての教育を受けてきた賜物か。
貴族たちが大勢いる中で絶望し泣き喚くことは出来なかった。
ただ内は別だ。
チカ!ベル!どうして!なんで!
もう戻ってこない二人の名を呼んでしまう。
「特別な”世界の乙女”であったのに、やはり世界に飲み込まれてしまったか…。」
「期待はずれな。この計画にいくらかけたと。」
「まぁ”世界の乙女”ならばまた生まれる。それを使えば良いだけの話だ。」
「次は上手く同化してくれると良いのだが。」
貴族たちの会話に怒りが湧く。出来損ないだと罵られても感じたことはなかったが、これほどまでに、彼らを憎いと思ったことはない。
しかしカロラスは怒りや憎しみを感じる以上に、恐怖を感じた。
カロラスよりほんの少し先に教会に足を踏み入れていた、ダミアン。
左斜め前に立つ彼から漏れる魔力が、辺りを冷やしていく。
気づいたときにはカロラスを除く全員の足が氷で固められ、今にも全身を氷漬けにされそうになっている。
これはまずい。慌てたカロラスは兄に声をかける。
「兄さん!落ち着いて!兄さん!」
声を張り上げ、身体を揺さぶっても、兄は一切反応を見せない。
「チカコ…。チカコが…。」
以前から感じていた、兄から智香子への執着。
ベネッタと二人で懸念していたのだ。
まだ兄さえ気づいていないその身の内に潜む熱が、まだ表に出てきていないだけで、いつか何かをきっかけに芽吹いてしまえば。
智香子が危ない、と。
人を信用できない兄が、自然と心を寄せていき、小さな智香子に翻弄される様はとても面白かった。
しかし智香子が誰かと親しくなる度に、誰かを魅了する度に、見えていた兄の心の内底に光る黒い執着。
燻ぶり始めたのは、華国シルナリヤスの皇太子が見せた智香子への情。
第一騎士団が抱いた興味。ガトーが持った好感。
新しく妖精女王も加わって、今後も智香子が魅了する者は増えていくだろう。
芽吹かないようにしていたのに、智香子が目の前で消えてしまったから、隠れていたそれが今、表に出てきてしまった。
しかしそれは全体のほんの僅か。芽吹いた程度。
(まだ間に合う!)
まだ智香子の名を呼ぶダミアンにカロラスはめげず話しかける。
「兄さん!兄さん!聞こえているんだろう?兄さん!チカに会いたいんだよな!チカともう一回会いたいんだよな?!」
「いや…もう、一回、じゃ駄目だ…。ずっと、ずっと、一緒に、」
「うん!そうだな!一緒にいよう!家族みんなで!」
危ない危ない!と心臓がバクバクなる。芽吹いた程度だと思っていたが、なんか、思ってたよりも芽吹きすぎというか。慌てて家族みんなでと足したが、恐らく兄的には二人きりを想定していることが分かった。
意識をこちらに向けられた。
次の言葉を口にする前に、離れたところから爆発音が聞こえる。
音の方向は、王宮だ。
なぜ王宮から爆発が?と考えた瞬間、カロラスの頭の中を嫌な考えが巡る。
両親だけじゃない。兄や姉がいない城。
教会信者の貴族が結託して、王宮から離れたこの場所に集められた。
それが、教会の真の目的から目を反らすためだとしたら。
この場で一番向かうべきは兄だ。
しかし兄は今、智香子を置いてこの場を動かない。
どうすれば、と考えたところで、カロラスともう一人、足を固められていない者がいた。
空中に浮かぶ、人ではなく獣。
薄桃色の毛を靡かせ、怪しく光る紫の瞳でこちらを見る獣。
食欲をそそる甘い香りといった特徴も合致する。
甘獣ビスウィト。
襲い掛かってくる心配は今の所なさそうだが、兄が使いものにならない状況で来られては、戦闘能力で劣るカロラスに為す術はない。
ビスウィトとカロラスが一歩も動かない時間が続くと思われたが、先に動いたのはビスウィトであった。
ダミアンの魔法がギリギリで届かないところまで降りてくる。
「ふむ。この場は我が請け負おう。お主等は何やらせねばならぬことがあるのだろう。」
「……何が目的だ。」
ビスウィトは背後を振り返る。
視線の先にはまだ光り続ける世界。智香子とベネッタが飲み込まれた先。
「…はじめは我を恐れず、触れてくれたのが嬉しかっただけなのだがな。」
にやりと笑うビスウィト。見える鋭い歯にカロラスは背筋が凍る。
「安心しろ。別に取って食うわけではないからな。」
「安心出来るわけないだろ!というか、チカも、ベネッタも、もう…」
「ふむ。お主は戻ってこないと思っているのか。」
ビスウィトの言葉に「何を言ってるんだ」と思う。世界に飲み込まれた人間が、今まで戻ってきたことなんか一度もないのだ。だがビスウィトはなんてことないような顔をする。
「この時期は世界が揺らぐ。偶然それに巻き込まれただけに過ぎない。世界は、無用な殺しはしない奴だ。」
カロラスの何倍も生きているビスウィトが言うのだ。間違いないのだろう。
でも、簡単に信じることは出来ない。事実、目の前で二人は飲み込まれた。
不確実な帰還より、確実な消失を信じてしまうのは仕方がないこと。
「ふむ。お主は、”チカ”が簡単に死んでくれる存在だと、思っているのか。」
「…………!」
思い出すのは、上級妖精に捕らえられたカロラスを救おうとする智香子。
力の差なんか火を見るよりも明らかで、何より智香子は魔力を持たず、魔法も使えない。
なのに彼女は、カロラスを救おうとした。
最後まで、ずっと諦めなかった。
(オレは、一体チカの何を見てきた。)
諦めの悪い智香子のことだ。
きっとどう考えても無理な状況だろうと、世界に飲み込まれても、どうにかして、それこそ這ってでも出てくるだろう。
雰囲気の変わったカロラスにビスウィトは軽く頷いた。
未だ貴族を氷漬けにし続けるダミアン。
「兄さん!王宮で爆発音が聞こえた!もしかしたら教会の信徒が乗り込んでるかもしれない!あの部屋に向かってるかもしれない!兄さん!聞いてんのかよ!おい!あーもう!えっと…、あ!兄さん!良いのか?仕事ちゃんとしない奴は、チカに嫌われるぞ!」
ビタッとダミアンの動きが止まる。
急に振り返った兄にカロラスは思わずのけ反った。
「チカコに、嫌われる…?いやだ、絶対に、嫌だ!!!」
「そうだよな!チカは責任感がない奴は嫌いだって!」
智香子に嫌いだとでも言われる想像をしたのか、ダミアンは絶叫した後その場からすぐに消える。
きっとあの部屋へ向かったのだろう。
自分はどうするか迷ったカロラスの体が浮かび上がる。
ビスウィトの魔法だった。
確かにカロラスがこの場にいてもビスウィトにとっては邪魔だろう。
今だって、ダミアンの氷による拘束から抜け出した貴族たちを足止めしている。
「チカとベルを頼んだ!」
少し離れた場所に降ろされたカロラスは、兄が向かった場所へ走る。
智香子がいなくなったことで暴走した兄がやらかさないように、見張らなければ。
しかし、魔力を多く所持する貴族を一匹で相手に出来るほどの攻撃魔法。
他魔法と同時展開していた防御魔法。
高度・速度ともに最高位の浮遊魔法。
それらの多彩な魔法をいとも簡単に使えてしまい、尚且つダミアンが時折放つものに似た威圧感。
(ただのビスウィトとは思えない。)
ビスウィトは超危険な生き物。
それは甘い匂いの誘いだけでなく、知能、身体能力、魔力量ともに軽く人間を超えてしまえるからだ。
目の前のビスウィトは、恐らく彼らの中でも上位個体。
(なんでそんな生き物に気に入られてんだよ…。てか、なんで背中に乗ってたんだよ…。)
妖精女王と言い、ビスウィトと言い。
異世界人は皆こうなのかな?と思いながら、カロラスは兄が向かった王宮への道を急いだ。




