第91話:ユースティースという人間
カロラスとエフィエルシー。
二人に合流した智香子は、カロラスからすぐに帰らなければならないことを告げられる。
アドリオンで何かが起きているようだ。
詳細については行きながら話すとカロラスに言われ、それなら早い方が良いと智香子も頷く。
別に妖精の国に後ろ髪を引かれるようなことはない。
妖精たちからも変わらず嫌われているし。
今もカロラスは残れ、お前は帰れ、カロラスを巻き込むな、可哀そう、という言葉を吐かれているところだ。
「負け惜しみは聞いてて笑えて来るわね。私にあれこれ文句を言う前に、カロラスが残りたいと思える環境づくりが出来ていない自分たちを責めるべきじゃないのかしら。出来ているのなら、カロラスはこの国に残りたいというはずでしょ?」
言い返す智香子に妖精たちは更に食って掛かろうとするが、妖精女王であるエフィエルシーが止める。
『お前たちは離れていろ。これは我が友とのしばしの別れ。時は闇とは異なり有限なのだ。』
妖精王はそれでも残ろうとしたが、エフィエルシーの言葉にはやはり逆らえないようで、渋々引き下がる。
智香子、カロラス、エフィエルシー。
3人だけになった丘の上で、カロラスからアドリオンまでの経路を聞いたエフィエルシーは首を傾げた。
『お送りしますよ。アドリオンまで。』
「できるの?!」
『えぇ。これでも私は、妖精女王ですので!妖精の国からの出入口を作る程度のことはお茶の子さいさいです!』
胸を張るエフィエルシーに智香子とカロラスは「おぉ!」と拍手を送る。
照れていたエフィエルシーは、次には寂しそうな表情で俯いた。
『チカコさんと離れるの、寂しいです……。』
ほんの数日一緒にいただけ。
それでも確かに、智香子とエフィエルシーの絆はとても強いものになった。
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ。妖精女王でしょ?なよなよしてるんじゃないわよ!」
『はいぃ!!』
ピンッと勢いよく正された姿勢に、智香子は思わず笑い、つられてエフィエルシーも笑う。
「第一ね、これで最後なわけないじゃない。いつでも会えるわよ。会いたいと思えばね。」
『会いに行っても、…良いんですか?』
「えぇ。」
『会ってくれるんですか…?』
「暇だったらね。それに貴方から妖精の文字、教えてもらう約束してるもの。せっかく文字を覚える機会を有効活用しない手はないわ。」
『っ、はい!教えます!沢山!沢山、教えたいこと、お話ししたいこと、沢山あるんです!会いに行きます!沢山!』
智香子の手を自分の手で包み込む。
同じだった背は、いつの間にか大きく離れて、手の大きさも変わってしまっている。
そのことに少し寂しさを覚えるが。
「後で文句言われるのも面倒だから、待っててあげるわ!」
守れるなら何でもいいと思ってしまう。
二人をアドリオンまで送り届ける。
智香子のあとを眺めるエフィエルシーに、4色の下級妖精が触れる。
本来であれば、彼らは妖精王たちの一部。
しかし4人は妖精王たちには戻らず、こうしてエフィエルシーのそばで、今までの姿のまま残っていた。
妖精王たちが『戻れ!』と命じても戻らず、妖精王たちとはまた別の意思を持った彼らを不思議に思うが、エフィエルシーは安心していた。
急な環境の変化に、心は落ち着かない。
エフィエルシーとして生まれて、ずっとそばにいてくれた彼らの存在は、彼女にとって精神を安定させてくれる存在だった。
戯れていた彼らの元に、土の妖精王ザラークが声をかける。
『陛下。』
『……あぁ。行く。』
表情はすぐさまエフィエルシーから妖精女王へと。
目指すのは、罪深き者を収容する場所へ。
妖精殺しを行った、ユースティースの元へ。
*
妖精の国タナフォーリでの牢獄は、天空にある。
浮かぶ小さな島の中に用意された檻は、空を飛べるものでないと脱獄できない。
また妖精であれば、妖精がいれば脱獄できるというわけでもない。
檻そのものは島の地中深くに埋まっている。
空間移動を使える者でなければ入ることはできないし、高い能力を持つ者は魔力は魅力ではなく理性を持つ。高い能力を持つ妖精は、また別に檻が用意されそこへ入れられる。
ただ多くの魔力を持ち、妖精親和性が高いだけの人間であるユースティースでは、脱獄は不可能なのだ。
牢の中。
『誰か、誰か出して!みんな!妖精のみんな!助けて!』
死にたくないと叫ぶユースティースは自分以外の気配を感じて振り返る。
そこにいたのは宙にふわふわと浮かぶ下級妖精。
かわいらしい顔は、いつもの笑顔を浮かべていなかった。
ユースティースは助けが来たのかと喜び、下級妖精に近寄る。
しかし一定の距離まで近づいてすぐ、動けなくなる。
風が彼をその場に縛り付けていた。
下級妖精の力だと分かったユースティースは媚びた笑みを浮かべる。
『ねぇ、なに?これ。やめてよ。僕がわからない?ユースティースだよ?君らが大好きなユースティースだよ!』
『この顔に、覚えはあるか?』
通常であればすり寄り、何かと力になってくれるのは彼らの方だ。
思い通りにならないことにムカムカとしつつ、『顔?』と下級妖精の顔を見る。
『もちろん!君のことは知っているよ!いつも僕にやさしくしてくれたよね。いつも僕を助けてくれたよね。ありがとう!』
笑顔で返される言葉に、下級妖精は天を仰ぐ。
今まで見たことのない下級妖精の行動や表情に興味津々なユースティースは、次の瞬間には地に伏していた。
上から空気の圧が圧し掛かっていて、起き上がることができない。
痛い、痛いと叫んでも、下級妖精は開放するどころかより圧を強くする。
なんだこれは。
ユースティースは不思議に思った。
いくら抗おうともビクともしない。魔法で抵抗しようとしても、できない。
下級妖精の力にしては、大きすぎる。
目の前に来た下級妖精は変わらずユースティースを見下す。
小さな妖精から見下されるのも、初めてだった。
『君のことは知っているよ、か。貴様が知っているのは、妖精には羽が生えて自力が扱えて、尚且つ自分を愛する存在ということだけだろう?我々の顔の区別など、できているわけもない。』
できるわけがない。
普通の人間は、そうだ。
呟く下級妖精にユースティースはキラキラした目を向ける。
常とは違う行動や発言をする下級妖精。
今まで会ったことのない、力を秘めた下級妖精。
調べたい!知りたい!実験したい!
『ねぇ!僕をここから出してくれないかい?そうしたら、僕はずっと君だけを大切にするよ!君のことだけを考えて、君だけを頼る!その代わり、ちょっと君の体を調べさせてほしいけど、でも、良いだろう?君たちの望みは、愛しい人間を愛でることなんだから!』
合っているはずの視線が合っていないことに気づいては、人間とはこうも訳のわからない不快な存在だったかと思う。
もっと、しっかり互いの視線が混じり、こちらをまっすぐ見る目だけしか目に入らないような。
その向けられる黒に、自然と己を認められているような。
そんな存在ではなかったか。
下級妖精は理解する。
なるほど、あの人間と一緒にいたからか、と。
それならばずいぶん毒されたようだと思うが、別に不快ではなかった。
思い出せる始めの記憶は、水の中であった。
水の中、小さな声を聞いた。
声の元を手で掴み、水の中から体を引っ張る。
地べたに這いつくばり、しばらくして疑問に思う。
何故自分の目には、茶色ばかりが映っているのかと。
普通なら水色や緑色が映っているのではないのかと。
分からなかった。
何も、分からなかった。
自分がどんな存在で、どうやって生きていたのかが全く分からなかった。
手で掴んでいたものが身じろぎをして、身体を起こす。
水から出ていたから、身体を自由に動かすことは簡単なことなのだと知る。
それは手のひらサイズの同種。
白い顔をした同種は、まだ息をしているが、自力が無かった。
あたりまえにある自力がない。
これでは生きられない。
頭が痛む。
無意識で首に伸びた手に、冷たい固い何かが触れる。
これだ。これが原因で、我は死ねないのに存在が消えていく。
『いきたい……』
小さな同種と己の声が被る。
生きたい。生きねば。生きなければ。
消えかける自分の自力を、小さな同種に流していく。
何も知らない同種から。何も持たない同種へ。
力の衝突は起きることなく、二人の妖精はただの下級妖精となった。
『我はお前の実験とやらで殺されかけた下級妖精と、何の因果か記憶が抜き取られてしまった上級妖精の混ぜ物だ。そして一人の人間に見いだされ、名を与えられただけの存在。それ以上でもそれ以下でもない。故に、我を調べても貴様の期待するような結果は得られぬだろう。』
自分にかかる圧が消えても、ユースティースはしばらく動けなかった。
驚きすぎて、動けなかった。
下級妖精と上級妖精の、混ざり物…?
妖精同士を混ぜたことはあるが、結果は全滅。
うまくいかなかったのに、なぜ目の前の個体は成功しているのか。
人間が存在を認識し、名前を与えることで、何かしらの影響を受けた…?
名前を与えられた妖精は過去にもいる。
特別な結果が出たことはどこの文献にも記録されていない。
「新事実……急いで調べなきゃ……新しい実験ができる……道具は何がいるかな……材料は妖精だけ…?」
人の言葉で何やらぶつぶつと話されては、下級妖精にはわからない。
本当はユースティースに殺されかけた下級妖精のため、目の前の人間を殺そうと思っていた。
しかしこちらに向かってくる気配から、自分がわざわざ手を下さなくても良いと判断する。
逆にこの場にいては面倒なことに巻き込まれると、下級妖精は移動しようとする。
意識を戻したユースティースは、慌てて尋ねた。
『君の名前はなんていうの?君に名前を与えた人間は、いったい誰なの?』
少し考えて、教えた方が面白そうだと笑う。
魔力なしで魅力なし。
妖精を個で認識し、対等に話し。
まっすぐにこちらを見る黒い目。
『チカだ。我は、風音。風の音という意味らしい。素晴らしい名だろう?』
頬を興奮で赤く染めるユースティースを置いて、風音はその場から姿を消す。
直後、地下牢に現れたのは、妖精女王であるエフィエルシーと土の妖精王ザラークであった。




