第90話:タナフォーリの宴②
突然現れたカロラス。
振られた手に振り返す智香子だったが、カロラスの様子がなんだか可笑しい。
そして気づく。
振られていたと思っていた手は、助けを求めるために伸ばされていた手だということに。
「カロラス!!」
「チ、カ…。」
智香子が助けるために近づけば、妖精たちは嫌悪を顕にしてカロラスを遠ざけようとする。
カロラスの腕をなんとか掴むことが出来ても、妖精たちが妨害してくるので動くことが出来ない。やがて智香子までも妖精たちに囲まれてしまう。
エフィエルシーの静止の声がなければ妖精たちに埋もれていただろう。
「はぁ、はぁ…。カロラス、どうしてここに…?」
「チカ、を、助けに来た…。んだけど、なんか、思ってた以上に、妖精たちが凄くて…。」
息を整えて、智香子はカロラスを抱きしめる。
「迎えに来てくれてありがとう、カロラス。」
「…ん。」
すぐにでも帰りたいが、その前にやらなければいけないことがあるとカロラスはエフィエルシーに向く。
「チカ、ちょっと席外してもらってもいい?」
「…分かったわ。」
何やら大事な話があるようだ。そういえばカロラスも王族であったなと思い出す。
ここに一人置いていくのは心配になったが、ここは妖精の国。
カロラスのことを傷つけることは滅多にしないだろう。
それに妖精のご飯が美味しく、想像よりも食べていたらしい。
膨れた腹が少々苦しく、ちょっと運動しようと智香子はその場を離れる。
智香子が離れたことを確認し、カロラスはエフィエルシーに跪く。
『妖精女王陛下に拝謁いたします。』
『面をあげよ。…アドリオン第二皇子、カロラス殿。ここは公的な場ではない。そう固くならないで欲しい。』
カロラスは王族。それも王位継承権を持つ。
国内外問わず高い権力を持つ彼ら王族は、基本他者に頭を下げるどころか跪くこともない。
しかし他国の国王ともなると、礼を尽くすのは当然のことであり、マナーでもある。
国王同士や、国王同然の地位であればまた話は別であるが。
ここが公的な場ではないとしても、隣国の国王に無礼な態度を取れば、今後の国交に関わる一大事。
『しかし、』
『見ての通り、今は宴の最中。我が無事に皆の元へ戻ってきた祝いの場だ。どうか一人の人として、共に祝って頂きたい。それに、我が望んでいるのだぞ?』
王が望むことを拒否するつもりか?と脅されては、何も言うことはできない。
カロラスは安堵と緊張の息を吐く。
『陛下のお心遣いに感謝いたします。』
王族といえど、カロラスはまだ幼い。
自分の肩に国の未来をかけるには、多くのものが足りない。
妖精女王の言葉は、『私的な場であるから、多少の粗相は問題ない』という意味にもなる。
だがここは妖精国タナフォーリ。
周囲には、カロラスに好意的な妖精ばかり。
カロラスをこのまま妖精の国に留めようとしている、妖精ばかり。
前には、妖精女王陛下。
全知を知りながらも尚、知を探求し続ける。
もし一歩間違えれば国に帰れなくなるだけではなく、粗相により存在が消える可能性も大いにある。
嘘を吐くつもりはないが、知識で叶わぬ相手だ。下手に飾るよりも素直な言葉が良い。
それに想定外も一つ。
まさか妖精女王が、智香子を気に入るとは。
(あぁ、後でめんどくさいこと起きそう。)
特に兄とか兄とか兄らへんが。
己の命も、チカの人生も、国も。
守るのは自分だ。
『つきましては陛下のお耳に入れていただきたいことがございます。』
『聞いている。して、詳細は如何に?』
『はい。クロ、でございました。』
立ち上がり、女王と目線を合わせる。
やはり彼女の心の声は聞こえないようだ。
『家の食糧庫に偽装された扉を開けてみると、地下への梯子が出現。降りてみると、そこは実験室でした。』
アドリオンへ帰国した際に連れてきた自分専属の配下たち。
中でも魔力が多く、妖精親和性の高い者を選んで連れてきた。
彼らを率いて潜った場所で見たものは想像を絶する現場である。
地下へ降り、光に灯され最初に目に入ったのは机。
書類や書籍が乱雑に置かれ、何かの記録途中である紙を見つける。
しかし次いで目に入ったものに、その場の皆が息を飲み目を見張った。
飾られる大量の鳥籠。その中で悲惨な姿となった妖精たち。
「殿下!」
幼い子供に見せるものではないと配下の一人が慌ててカロラスの前に立つ。
カロラスは自分の視界を隠してくれたことに感謝した。
横にいる配下の男でさえ、耐えられずに嗚咽が出てしまうほどの光景だ。
自分がどうなるかなど目に見えていた。
妖精親和性が高いほど、彼らとの繋がりが深まり多くのことが可能になる。
だがそうでなくても、日常的に妖精の力を借りることはできるため、彼らは人間にとって身近な存在だ。
身近な存在の悲惨な姿は、心に酷く刺さる。
しかしカロラスには責任と義務がある。
目をそらすことは出来ないのだ。
ぐっと込み上げるものを堪え、彼らに指示を出す。
「辺りの捜索を開始。紙一枚だろうと、見逃すな。……もしまだ生きている妖精がいたなら、オレの前に連れてきてくれ。」
唯一生きていた妖精は、息も絶え絶え。
羽を毟られ、右半身が損傷。なぜ生きているのか不思議なほどである。
『室内で囚われていた妖精の中で唯一生きていた者に話を聞くと、やはりそこは妖精殺しの実験室と分かりました。つまり、ユースティースという人間が、今までの妖精殺しの犯人であり、この国に危機を持ち込んだ罪人ということです。』
*
カロラスから離れてすぐにトイレに行きたくなった智香子。
しかし人間用のトイレが思ったよりも遠い場所にあった。
その分結構な距離を歩き、腹の膨らみは大分減った。
腹をさすり息を吐きながら、そろそろ元の場所へ戻っても良いかなと歩く。
途中、知った顔が見えて足を止める。
「あなた……風音の家で会った、操妖精?」
こちらに体を向けて立っていた操妖精は、智香子を見て顔を緩める。
『おぉ、あなたは。以前お会いした、お優しいお方ではありませんか。』
御無事で何より。操妖精の安堵した様子に、智香子は今更ながら自分たちの行動と結果の凄さを思い知る。
成功よりも失敗の可能性が大きかった。
一歩間違えればすぐ目の前には死があるような状況だった。
そのことを自覚して身震いする。
「ほんと、生きていて良かったわ……。」
『ほほほ。命はあるからこそ、その重みがしみじみと身に染みるものですなぁ。』
ふと智香子は思い出す。
ティムニヒッカ。あそこの集まっていた妖精たちのこと。
「ねぇ、あなた。ティムニヒッカにいた?」
転生の儀式が執り行われた際、最上級妖精が全国民が儀式の承認になる、と言っていた。
全国民が国内だけか国外もかは分からないが、この国の中にいた人間も来ていたのだから妖精もそのほとんどが来ているのではないか?と智香子は検討を付ける。
そこに、この操妖精がいなかった気がするのだが。
操妖精はその首を傾げる。
『おや、お気づきになれなかったか。もちろん、わしもおりましたぞ、あの場に。』
「それなら助けなさいよ。私たち、もう少しで死ぬところだったんだから!」
『何を言うかと思えば。あなたもお人が悪いのぉ。わしが出ていったところで無意味だろうて。』
先程の下級妖精たちから言われたことと同じことを言われ、智香子はぐぅと唸る。
正論を言われてしまえばそれまでだ。
命があるだけましだと思おう。気にしても仕方がない。
「今、エル、…妖精女王が復活したから、その祝いの宴を開いているの。あなたは来ないの?」
少し離れたところから聞こえる楽し気な笑い声や話し声。
場を盛り上げるために、音楽も流れ出す。
音楽が自然の木々同士がこすれる音や風の震える音、火の揺れる音、水の零れる音で奏でられていると気づいたときには驚く。
妖精の音楽はこんな感じなのかと感動する。
『……ぃや、わしは遠慮しよう。ティムニヒッカへ赴いたときも思ったが、やはり騒々しいのは好かん。森深い場所で、ただただ薬の研究をするのが性にあっておる。お誘い頂いたのに申し訳ありませぬ。』
「別に構わないわ。始めから期待していないもの。ただ、美味しいものが沢山あるから、食べないのは勿体ないと思っただけよ。」
『おいしい、もの……。』
「あら、興味が出てきたのかしら?」
しかし操妖精は慌てて首を振る。自分には分不相応だと。
こんなお祝いの場でしか食べられない御馳走があるのだから、遠慮しているだけなら来ればいいのに。
思うだけに留めて智香子は「あっそ。」とそっけなく返す。
離れたところから、カロラスの声が聞こえる。
自分の名前を呼んでいるようだ。
返事をしようとした時、操妖精が彼女の服の裾を引いた。
『ぁの、大変厚顔ながら、お願いしたいことがございまして…。』
「お願い?なによ。もたもたせずにさっさと行ったらどうなの?」
もじもじと手をしばらく動かしていた操妖精。
しかし意を決して口を開く。
『抱擁を!して、いただきたく…存じます…。』
赤くなりながら見た目可愛らしいしかし口調は老人のような妖精が求めるのが、まさかのハグだとは。
驚く智香子は僅かの間を開けて噴き出す。
「ふふっ!別にハグくらい構わないわよ!どうしてそんな恥ずかしがるのか理解できないわね!」
ギュッと、操妖精を抱きしめる。
一瞬震えた操妖精だったが、恐る恐る智香子の背に手を回し、彼女と同じか、いやそれ以上の強さで抱きしめ返す。
『ふぉ~~…………。』
「なんて声出してるのよ。」
まるで温泉に入った人みたいな声を出す操妖精に智香子は笑う。
そろそろ離れるか、と体を離そうとするが、動かない。
「ん?」
『………………………。』
「あの、…えっと、はなして、もらえるかしら?」
『……はっ!申し訳ありませぬ!抱擁など久方ぶりで、ついつい感動しておりました…。この年にもなって、なんとお恥ずかしいことか…。』
「いや見た目そんなんで言われても。」
カロラスがずっと探してくれている。
流石に帰らなければと智香子は操妖精に背を向ける。
『チカコ様!』
呼ばれた声に振り向けば、可愛らしい姿の妖精がそこにいる。
『また、いつか。必ずお会いいたしましょうね。』
「えぇ!また会いに来るわ!」
去っていく智香子の背がやがて見えなくなるまで。
操妖精はその目を離さず、閉じない。
彼女がアドリオンの王族と合流したのが分かる。
離れ難い。離れたくない。
しかし彼女のそばに妖精女王の気配が近づく。
妖精女王にバレるのは、妖精王たちにバレるよりももっとまずい。
一先ず帰ろうと断腸の思いで彼女に背を向ける。
歩きながら、操妖精は己の体を抱きしめ、思い出す。
あの小さな体に触れた時の感触、匂い、味。
今は自分の方が体が小さいから、包まれ、より満たされた気がする。
『さいっこ~~~~!!!まじ至福だったわ~~~~~!!!』
はぁ~~~!!!と息を吐いても、興奮は冷めない。
何度も反芻する。
何度も。何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も!!!!!!!
『ちょっと!やることちゃんとやってんだろうな?!』
あの最高の瞬間を己に刻み込んでいたのに、とんだ邪魔が入ったものだ。
一気に気分が醒める。何なら気持ちが悪い。気分が悪い。
最悪だ。
『はいはい。わかってますよ~。』
適当に合図を送り、まだ何か言いかけていたが強制的に会話を終わらせる。
あぁ、と心の中で独り言つ。
『連れて帰りたかったなぁ~。』
せっかくこの腕の内にいたのだ。
そのまま連れ帰ってしまえば良いのでは?と考えるのは当然のこと。
おかげで一瞬思考が止まっていたのだが。
しかしそれでは駄目なのだ。
条件が満たされなければいけない。
満たされて、整って。
ようやく落ちてくる。この手に。この腕に。
ずっと空腹だ。ずっとお腹が空いている。
とんでもない御馳走があるのなら、それが目の前にあるのなら、食べたくなるのは当然のこと。
でも今はお預けだ。
我慢するよ。
ちゃんと待てするよ。
だって何十年も、何百年も、待ってたんだもの。
だから、ちゃんとできたら。
ご褒美、たーくさん、ちょうだいね。
『っと、その前に、さくっと終わらせますか!』
御馳走のことはまず置いといて。
涎を拭い、一伸びする。
『妖精の国の滅亡の、はじまりはじまり~!』
これから起こる愉しいことに思いを馳せ、楽しい気持ちに身を任せ、手を羽のように広げて空を見る。
それの体を包むのは、黒い黒いモヤであった。




